のんさんの個人セッション in 「坐忘」セルリアンタワー東京ホテル

一か月前から楽しみにしていた、

Healing Harmonyののんさん

に、個人セッションをしてもらうお約束で、

渋谷のセルリアンタワーホテルへ。


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季節の花を、あしらった正面が、かわいらしかった。

西洋風な、ちょっとでも優しいナチュラルな感じと。

梅雨のあじさいって、一年で特別な花だよね~。

初めての場所だったので、駅からすこし道に迷い、
ロビーについたころには、
待ち合わせの5分前!

のんさんも、すでにいらしてた。

すみません!といいつつ、

ふわり、すらりと、

ガーデンラウンジ「坐忘」へ。

予約していただいた、アフターヌーンティーセットも楽しみでありつつ、

ホテルの空気が、海外の雰囲気と優雅さ、モダンな都会的なくつろぎ感が混ざり合っていて、
なんとも、素敵。

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お茶は、およそ20種類の茶葉から選べ、
珈琲も10種類くらいあったかな。

ドリンクの種類が多くって、おまけに、一杯ずつ出してくれるので、
お腹に無理なく楽しめるのが、とても理にかなっている。

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じゃじゃーん!

気分が上がる~♪

そして、一つ一つが、美味しい!!予想以上に。

細部によく気が利いていて、サンドイッチやミニハンバーガー、前菜も、しっかり存在感があって、感動!

アフターヌーンティーセットって、
しょっぱい食事系食べ物は、添え物なのかな、って先入観で思っていたが、

甘いものに負けない、味のディテールがすごかった。ちゃんとお料理でした。


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サーモンのクリームチーズをまいたマリネ?

エビのミニハンバーガーと、キッシュ。

もう一回、誰かと行きたくなる、
いや、一人でも行きたくなるような、とても良い雰囲気。

空間のセレクト、
食べ物のセレクト、
すべてが、じつはジャストフィットだったんだな~と、後から気づく。

そういうところから、もう、のんさんの「能力」なんだよね。

さすがとしか、いいようがない。

センスの世界。

そんな中、春分の日のワークショップ以来で、いろいろなお話をした。

振り返れば、
この2~3か月の間、
案外、いろいろ変化があり。

日々、全力で生きているから、あんまり冷静な自覚はないのだけど、
自分の「前進」と呼べる、
「これか?」
「それな!」
の気づきがあって、
それを、のんさんに話しながら、確認したかったのかもしれない。

ごくごく自然な、話の流れでありつつ、
のんさんのあるがままの姿勢で、
自分の話をしてくれたり、私の話に感想を言ってくれたり、質問してくれたり、
フラットな目線で、話ができるというのが、
私には貴重なんだと、気づいた。

最初に、セッションをと思った動機は、
一か月前に、ちょっと、リーディングやセッションを受けてみたい気が浮かび、

でも、「サイキック」らしい、
もしくは、「占い」らしい、ものというのが、
気になるけど、どうもフィットしない感覚があって。

結果、のんさんとお話ししながら、食事をいただくのが、一番ピンとくるアイディアだった。

今日、また振り返って思うに、
必要としているものが、だいぶん、私も変わってきていて、

ぐぐっと引っ張ってもらうとか、
見えない何かから、ひゅいっと抜いてきて、教えてもらうとか、

そういう圧倒的な何かが、必要なのではなく、

最重要なのは、「もう自分でわかってるだろ」っていう大前提で、

自分がいま目の前で感じたり、取り組んだり、気づきかけていることを、
共有して、
それが自然体で、自由で、なににもとらわれず、
純粋であることのほうが、惹かれる。

人間的なかかわりの中で、得られる、励ましのように思った。

もちろん、時には、圧倒的なアドバイスも欲しくなる日もあるだろうけど。

それはその時がきたら、きっと、また、わかるんだろうな。


今、私に見えてきていること、
見えているものは、
20代のころには、当たり前のようになっていたことだった。

そして、気が付けば、私はずっと、そんなことは日常の習慣でやってきたことだ。

でも、意識化して、やることと、
無意識でやることでは、雲泥の差があるし、

本当の自分を知っていく過程での感動は、意識している方が、数倍あるとおもう。

20代のころ、行き詰った気がして、放りだしたはずのそれが、

またいま戻ってきたときに、
ごくごく自然に、喜びと楽しみをもって、目の前に広がっているのが、
すごい。

人生、わからない。

いまの心境を、おそらく20代のそのころは、抱けなかっただろう。

書きたいことは、たくさんあるけど、
とりあえず、今日は、ここまで。


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いま、ある、しあわせ。

37年前の今日、
この世に生をうけて、

ここまで生きてきたんだな~の、感慨。

「今日は、どうすごそう」と思いながら、

いつもどおりの日常が、

しあわせであることの、尊さや、

いまあることの、しあわせ、豊かさに気づかされる日でした。

わたし、しあわせものだな~と。

そして、月日を重ねるごとに、

そんな風に生きている自分も、すきだな~って思えるようになってきた。



子どもたちにも言ったけど、

ほんと、こんな風に仕事していること、
こんな風にいま暮らしていること、
満ちたりて、手応えのある、きれいなものと感じているんだよね。

自然体だし。

じぶんのなかでは、いまが、一番しあわせ。

これからも、この調子で、
コツコツと自分のしあわせを、広げていく、深めていく。

夏至がすぎて、
ふしぎなくらいに、楽に、なった。

夏がやってくる。

みなさんも、すてきな夏を。




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きれいで、ありたい。

無駄な無理が、
ぼろぼろとはがれていった、今日この頃。

あー、これだわ~、無理むだワって、

何にフォーカスしてしまっているか、客観的に、微細に気づき、

雑草の芽を抜くかのように、丁寧に取り除く。


加減することは、「出し惜しみ」になると思っていたけど、

なんでも全部出せばいいってもんではないと、冷静に気づけるようになったことは、大きい。

塩はまんべんなくたっぷりふっても、しょっぱいだけだ。

塩は、効かせるものであって、
妙味ってそういうものだよね。

もう、降りません。

上から、ずっと、やっていきます。

わたしには、まだまだ見上げるものも、
憧れも、夢も、
理想とする光り輝くあり方も、あるから。

そちらを向いて、やっていく。

いちいち、降りていたら、エネルギーの無駄だし、
他人の責任、尻ぬぐいをしているに過ぎなくて、
なーんの意味もないし、
相手にとっても、いい迷惑って場合が多い。

高いところに意識を合わせる。

純粋に、きれいに、透明でありたいという気持ちに、意識を合わせ続ける。



帰り道、
谷川俊太郎さんのことを思った。

先輩が、谷川さんの講演会に、幸運なことに参加でき、
谷川さんご本人を生でみて、感動したというのを、読んだ。

分かる気がするのだ。

思うだけで、わかる。

谷川さんの詩をおもって、
谷川さんの存在をおもって、

谷川さんが生きている、まだこの同時代に生きてるってだけで、

なんだか、感動だよね。

詩がこころになまなまと立ち上がるときの、
あのピュアな感覚を思い出せる。

思い出すと、ああ、そこが、わたしのいる場所だなって思える。

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新月のパワーと、気づき。マニアックな喜び。

新月パワーすごかった~。

わりと、出来事が前倒しに起こってくるタイプなので、

「あー、あー、これね」っていう、

ど真ん中なことも起こり、

感情や反応のパターンを実感しながら、

「あ、これ、ここはもう、やめていーやつだ。
捨てよ」

って、切り離せた。


で、冷静になって、静かに見てみたら、

ほぼ九割方は、上々の出来のことばかりなのである。



なのに、自分の極端な感じ方、考え方の癖で、

「悪く」「劣っている」「だめなよう」

に見えているだけだった。




人に無意味と思われ、無理解に扱われているかも、という不安は、

自分自身が、自分のやっている仕事や働きに、真に無理解、認めていないからなんだ、と言う気づき。

今回もまた、
仕事のなやみは
仕事の結果が、
解決してくれた。

だって、私が何をしてても、
どんな努力をしても、普通にしてもも、
茶々入れる人はいるし、よく分かっていない人は勝手に言いたいこと言うだろう。

でも、実際に、
私のやっている取り組みは、
こんなに実っている、
こんなに形になっているじゃん!!!
たった一ヶ月~二ヶ月で!!!、
という、仕上がりが、今手元にある。

結果を、子どもたちから受け取った。

他の誰でもない、子どもたちの取り組みから、受け取った。

しっかり道を作り、
丁寧に指導すれば、すぐに形に出てくる、
若者の柔軟さと、素晴らしさ。

価値観によって、
そんなことやらせても、意味ねーとか、
もっとちがうことやれとか、

大人も、子どもも、好き放題いうけど、

それはその人を価値観であり、その人の問題。

私は私の価値観で、
長いスパンで、身になること、役に立つことを教えている。

短期のスパンで、即利益につながることばかりがしたいなら、
それはそれで、そういう所へ行き、
やればいいだろう。
その人たちが、それをしてあげればいいだけだろう。






今回の「問題」に対峙したことで、

自分の弱さ(ゆらぎ、自信のなさ、ブレ、劣等感、罪悪感、孤立感)と、

でも、じつは、私をちゃんと認めてる人もいるという絆、
他者からの支持や応援なども、
受け取れた。
これも大きかった。

誰が見てても、見ていなくても、
最善を尽くすことは同じなのだが

たまに、周りから、きちんとした評価が返ってくると、

やってて、よかったな~としみじみ思うよね。

お金に見合わないことしているかもしれないが、
魂の貯金だと思って、仕事している。

この子たちのなかで、こんな小さな経験も、
いつか必要になったときに、
パッと取り出せるような、貴重な学びになったらいいな。


しみじみ思うのは、

人間、真剣勝負、本気になったとき、
がぜん文章は変わるし、かちっと決まるものを書いてくるってこと。

その本気さに、人は感動するし、◎をつけたくなる。

文章には、出ますね。

パッと読んで、パッとわかる。

私は量をだいぶこなしているから、

自動筆記の逆バージョンで、

読めば、たいていの文章は、自動添削みたいな感じで、わかる、レベルが。



そういう小さな、
やってる私にしかわからないよな喜び、
すごくマニアックな感動。
これがご褒美でしょうね。


あー、いつか、もっともっと、広げて、
ライブな楽しい、
毎回ワークショップみたいな、クラスを開きたい。

自分が院生のとき、もっともエキサイティングだったゼミの、
あの感動やリアル感、生きてる感が、ベースになって、
あれを自分でもちたいという夢も、あることに、気づいた。

真剣勝負。

楽しいね。

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久しぶりに長くつぶやく。Teenagedream。恋の話。

忙しさMaxが、峠をこえて、

なーんだ、わたし、
「どうしよう、どうしよう」って、

自分のなかで「できないかも」って自信がなくて、
ぐらぐらして不安になっていただけで、

ただ、自分の不安が、ストレスを発生させていたのね、という気づき。

「できないではなく、ただ、やる」

「Just Do IT なのだ」

と、見切ってから、
ちょっと楽になり、

適度に手抜きや妥協もして(まだまだ過密ではあるが)、

すこし膠着が緩和された。

体はすこし、不具合が出ているから、ケアしなきゃ~。



「ただ、やるのだ」

と思うと、

とりあえず、できるように計算し、設計し、動いていくから、

人間ってすごいよね。


ゆらゆら揺れるのって、
人のせいではなく、

おそらく、自分の自信の無さ、劣等感、自己否定、自己卑下、苦手意識から発生しているものであり、

自分の個性を否定してみたりして、

理解されないかもって、疑心暗鬼になって、なにか気に入られるように、合わせようとしたり。

その相手みたいに、したら、気に入られるかなって、顔色をうかがって。

ああ、でも、
結局、自分の最善は、自分の個性を発揮したところにあるので、

変わろうとして、別の物になろうとしても、かえって、中途半端な変な状態、力が発揮できない。


で、結局、
わたしが自分らしくやる形が、
ユニークで、たぶん、他の人にはできない方法かもしれない、って今日は思った。

人のまねしたり、何かの型にはまっても、

それは、私が求められているものではなくて、

私だからできることを、ただ、子どもたちのためにやっていくことが、最善。



子どもたちに教えられることは、たくさん。

夢見る心は、どこまでも、制限はなく、

一歩間違えれば、空想は妄想だけど、

まだ枠にはまっていない、心は自由だと信じている純粋さに、

どこか共鳴する、わたしのこころ。



人のこころは、自由なのだそうだ。



そして、話していく中で、

わたしは、わたしだな~、わたしのままでいいのだって、感じ、

確かめ、

愛を受け取っている、今日この頃。

わたしには、わたしにできることのなかで、愛がある。


仕事でも、心の交流、人間関係でも、

わたしには、ただ、そこにいるだけでも、十分な働きがある。

きっとそれは、みんな、ただそこにいるだけで、十分だというあれと同じ。



達観しすぎてきて

まじめすぎる、自分が、ただ別次元の喜びで満足できてしまう今日この頃。

迷うってことは、結局、どちらも同じ、
どちらでもいいということなのだと、
わたしの底のほうから聞こえてきたので、

流れに身を任せて、

心の底から、いつしか本気の声が響いたなら、

腹は決まって、動き出すのだろうな。


この頃、恋の好みが、変わってきた気がする。

正直、なにが、好きなのか、自分の好みがよくわからない。

いいな~って思っても、
相手からは好かれないなど、
同じ失敗を繰り返したくない、っていうパターンに縛られている自分も感じる。

自分を大切にする感覚を思い出すと、
わたしを大切にしてくれているなあという実感を与えてくれる人が、
相手としては一番いいのかな、と思ったりする。

でも、それは自分が、相手を好きだ、惹かれるという気持ちと、はたして重なるのかどうか。




たぶん、本当は、好きな気持ちは一分の狂いもなく、
すべて、一つ一つがもう決まっているはず。

自分は、自分の気持ちを、知ってるんだよね。本当はね。

この人に感じる思いと、あの人に感じる思い、その人に感じる思いと、
何一つ同じ事は無い。
だって、相手がちがうんだから。

共通するのは、ただ、自分ってこと。

自分の頭で考えるから、別のものをみたり、別の現実を引き寄せてガッカリ失望するだけで。

それでいて、好きになってもらおうとする努力ってのは、
恋は人を磨きはするけれども、
ある程度までであって、
もうちがうだろうって、いう、学びからきた気づきもあって。

・・・いま、一番好きなのは、自分自身かもしれない。

いろんな人との関係性の編み目の中で、
他者を通して自分をみつめたとき、
うまく循環しているな~という感動を味わったときの、「自分」が。


「私を好きになって!!!」
「私の方をみて!!」

は、もう、そろそろ、いい加減飽きてきて、

無理なく好きなことをしてて、心地よくて、
その中で共にいられる人たちと、
共に笑いたい、幸せになりたいとおもう、今日この頃。
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