卒業かな?

先日、のんさんとRuccaさんとご一緒させてもらったとき、

あらためて「贅沢」についての話で、

「わかるわ~」ってまた感想をいただいた。

それから、Ruccaさんからも、
自分の好みのレベルから下げませんって、言い切ってるところが、すごいな~って思ったと、
感想を受け取った。

そう言ってもらえて、とてもうれしかった。


自分自身は、
今まで周囲への妥協ばかりだったと、

長年の違和感や腑に落ちなさの中身に気づいたとき、

ずっと妥協してきたモヤモヤがあるからこその、

「選ぼう」「選びたい!」

が強いんだな~って気づきが、あらためて。


自分の「好き」に、正直になる、って、

簡単なのに、すこし難しいのかもしれない。



誰しも、「嫌い」は選ばないとしても、

「大体で、いーや」で、ずっと来てしまっていたりする。

「可もなく、不可もなく」で、満足していることを、案外続けてしまう。

私も、それ、でした。

「この程度で、満足しなきゃだめだ、わたしにはもったいない(ふさわしくない)」って、

自分であきらめて、妥協しちゃう癖。


そろそろ、それも卒業なんだな~って、
気づきかけている、日々。


今日は、皆既日食&しし座新月の、
今年の天体ショークライマックスの日。

仕事帰りに、
自分に心地よいこと、一つ選ぼうと、
昨日から行きたかった、高野フルーツパーラーで、ランチ。

選べるパフェのランチセット。
たかの1
たかの2
クラブハウスサンドイッチが、予想以上に、美味しかった!
出しゃばりすぎず、パーラーらしくまとまっているんだけど、
バターの風味が香る、サクサクのトーストに、
さりげない塩みがうまいハム二種類と、パリパリのレタスやキューリ。

上品で小さいのに、手抜きなしで、旨い。

デザートの邪魔をしないことが、計算されてたな~。

紅茶もレモンティーにしたら、分厚いレモンスライスが、二枚ついてきた💛。

そして、やっぱり、今の季節は桃。

たかの3
桃のパフェ。

今年で二回目だけど、デニーズ対高野フルーツパーラーだったら、
やっぱり、断然こちらが軍配!!

内装も、フルーツの色彩を生かすためか、
白とパステルで統一され、
天上が高く、つるつる光る白い床に、ガラス窓が大きい、
このお店は、私の好きな空間なんです。

店員さんも、丁寧な女性ばかり。

すっかり気分がよくなって、リッチな気持ちで過ごせました。

お金を使うときに、喜んで使えるようにするのが、
大切というけれども、

「あ、こういうことなんだな」って今日は思いました。

自分が気持ちよくなること、気分が高まることに、
お金を使うと、お金も喜ぶんだな~って。

roze

今日は、エネルギー的に大きな意味のある日って聞いてたけど、
うん、そうかもしれないな~、
そうじゃないかもしれないけど、って、思う日だった。

ある人と、いつものようにお話しして、
ああ、この人といると、
どこか知ってる感覚、信頼する感覚が、
理屈抜きにあるよな~って思うことがあった。

この人のこと、好きだな~って思う気持ち。

家族の感覚に似ている。

今一つ、種類がよくわからない「好き」だ。

それから、
また別の人とたまたま会って、
なんでもない話なんだけど、
その人と話ができたことを、喜んでいる自分がいるのに、気づいた。

ごくごく当たり前の会話。

それが、自分の個人的なパッションなのか、
ただ単に、
共有している人間関係を、愛しているがゆえなのか。

それがわからなくて、
ずーっと私は観察している。

でも、今日は思ったんだよね。

好きな人が、こんなに、
たくさん、
周りにいるなんて、すてきなことじゃない??って。

それぞれの人への気持ちは、
その人に対してしか抱けない、純粋で、暖かいものだ。

だから、それぞれにそっと育てて、
無理やりなにか、
枠に、押し込まなくてもいいだろうって。

ふわっと思えた。

ものごとが、自然に花開くのを、わたしも、そっと見守りたい。

いつだって、そういう類のことは、
タイミングというものがあるから。

本当のことは、自然に、開くようになっているんだろうって思う。

こういうのに、ふっと意識が気づくことにも、
今日の意味があるんだなと。



どこか、永遠に、「傷ついた」女の子のまんまで、いたい?いる?ところがあって、

「騙されないぞ!」って、自分でびくびくしてるだけかもしれない(苦笑)。

でも、
大人の?
淑女ともいって過言ではない、齢の女だから、
そろそろ、卒業してもいいかな、この「弱さ」(笑)。


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テコ入れ♡

最近気づいたが、
子どもを喜ばそうとしてやることで、
子どもは喜んでくれるが、自分は疲れるって事も、あるんだな~ってこと。

子どもの要求、願望ばかり、かなえようとエネルギーを使ってると、

やっぱり、自分は不毛感や、消耗感が起こってくるので、

その消耗感は、
「仕事」と同じで、

エネルギーを外に使った分、

自分自身に同じくらい注ぐ(良いものを与える、喜びを与える)動きが大切だな~。


子どもは感動させてくれる。
可能性や、新しさ、新鮮な発見に満ちている。

でも、わたしの充実や進化、癒やしや豊かさは、
また別にも、あったりする。
そういうことだろう。

最近、それを、

「てこ入れ」

と呼んでいる。

自分を愛すとか、
自分に与える、とか、
いろんな言い回しはあるだろうけど、

もっと、即物的なイメージ、実際的な行動なのだ。

私にとっては、

「ぶっ込む」
「投入」


にも似た語感。

「てこ入れ」すると、

じぶんにとって、
「上がった」ときの
感覚を、取り戻せる。

もしくは、
心地よい状態に戻ったり、
流れが良くなったりする。

だからできるだけ、

「あ、下がりそう」「下がったかも」って感じたら、

「あ、てこ入れ」っておもう頻度が増えている。

「そもそも、下がるようなことしなきゃいーじゃん」って
いう人もいるかもしれないが、

どうしても、役割上、避けられないものもあるからねー。

肉体的、時間的に、疲れるって事はあるからね。

それも、少しずつ改良の努力をしつつ、

疲れようが、
疲れていまいが、

「上がる」ものを「てこ入れ」し続ける動きは、必要だな~。

子どもサービス、家族サービスで動く日でも、
小さく小さく、
その先々の選択で、自分らしく、「上がる」行動や選択を選ぶ。

すると、パッと変わったりするのが、面白い。


22日は、
皆既日食&獅子座新月で、一大イベントらしい。

なんか、納得するような感じの日々。


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同情しない。過去の男から、手紙が届く。

我が子にすら、

「同情しない」、

ということに、気づいた。

それは、仕事での子供たちとの関わりの観察から、
導き出された気付きでもある。

前の私だったら、そこまで、達観できなかったろうな。

相手に同情したり、
可哀想とおもったり、
なにかしてあげようと思う気持ちは、

ときに、間違った「支援」になる。

本当に、相手のためになるかどうかは、なかなか難しい。

その子は、その子で、
必要な経験をしており、
それが、その子を磨き、高めるための大切な体験なのだから、

他人が邪魔をしたら、いけないのだ。

学校教育、枠にはまった教育の限界を、重々に目の前でみているから、
それの善いところと、悪いところと、両方わかっている。

なので、
この変な「親」は、とりあえず、枠組みのなかの教育の必要性も感じながら、

その枠からはみ出たとしても、おかしくないと、思いながら、我が子をじっと見守っている。

この子の、個性を、面白がりながら観察して、

でも、先輩として、必要な補強や補助はほどこしつつ、

この子が、新しい時代の、新しい空気を沢山吸って、

自分らしく生きていけるように。



このアコースティックバージョン、すごく好き。

あまり知らないミュージシャン、インディーズでも、洋楽は、実力がある人がたくさんいるんだな~。

このアレンジしている、Kylan Road ってグループが、センスあるっぽいな~。

ライオンズゲート、
水星逆行、
しし座の新月。

8月は盛りだくさんで、ハードだな~と思っていたけど、

ここ数日、水の中の、

冷たい流れと、
温かい流れの違いみたいに、

あれ?と思うことと、

すっと、気もちよく流れていくときと、両方。

自分の好きな事、いいなって思うことを、素直にやったり、取り入れると、
抜けていく。

理屈や弁解、説得は必要なくて、
惹かれることに素直になると、
ああ、こんなに楽なんだな~って気づいた。

逆に、好きな事に気づける、良い機会だな~って。


もちろん、過去の再生が、いつもより増えている。確実に。

「また、足引っ張りかよ!!」って思うこともある。

「イラっ」とすることもある。

ずっと忘れていた過去の男から、手紙が届く!
みたいな(いや、たとえ話です・本当には届いてません(笑))。

でも、過去が面白いのは、

なぜ、
そのとき、私たちが違う道を選んだのか、
異なる道を歩き出したのか、

今の位置から確認すると、はっきりわかるんだよね。

自分とは異なる他者を理解すると、

ひるがえって、自分がどんな人間なのか、価値観なのかが、クリアに、シャープになる。

だから、その人の生き方を、
そこで生きていることを尊重し、祝福し、
愛を送れる。

いまは、離れてしまったけど、その人は、その人らしく、生きてるわけだから。

逆に、

「わたしは、これでよかった!!」

って思うんだよね。


こんなスイートな男?になりたい(笑)。

スイートな男に、隣にいてほしい・・・のかな?

うーん。

それもあるかもしれないけど、
どちらかというと、
じぶんが、こんなスタイルで生きたい~って思う、そういう惹かれ方。

Tシャツに、ジーパンで、ギター片手で、
どこでも、
世界観を作れちゃう。

力が抜けているけど、チャーミングで、なにか光ってて。
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今、来たか!!の、「ダヴィンチ・コード」。

先日の、『レオナルド×ミケランジェロ』展から、

レオナルド・ダヴィンチへの興味が継続してて、

たまたま、ツタヤで、「あ、そういえば・・・」と、試みに借りてみた、映画「ダヴィンチコード」。

この映画がブレークしていたころ、
簡単にそのあらすじを聞いた気がする(世界ふしぎ発見!か、なにかで)。

でも、正直、あんまり興味なかったのよね、それ以上でも以下でもない。

しかも、ずっと前に、テレビで放映されたとき、
ミステリー映画だから、冒頭部分に、死体など気持ち悪い場面があった気がしてて、
あんまり・・・と、とおりすぎてきた。

それが、今回、あらためて見てみたら、
主人公のトムハンクスの教授と、
女性刑事の物語や、
この映画の道具立てになっている、信仰、宗教の話が、すんごいど真ん中で、驚いた。

おまけに、狂気に満ちた修行僧のキャラクターが出てくるのだけど、
これがもう、
なんだか、自分の中の理屈じゃない胸の中の何かが、ごぞごぞ、むずむずするようなキャラで、

「あ、これ、完全、これみろ、ってことですよね」としか言いようのない感じ。

「ダヴィンチコード」というタイトルや、ちょっとしたダビンチネタは、あくまで餌にすぎなくて、

本命は、このローマ・カソリックや、キリスト教の話だったのだなと。

メッセージや、サインに満ち溢れた映画でした。
続編も見てみようと思ってる。


ここからは映画のネタバレ、
および、信じる信じないはその人の趣味の話なので、
ちょっと注意。



ダヴィンチコードは、
レオナルド・ダヴィンチの話がメインなのではなく、

マグダラのマリアの再評価であり、

女性性を迫害、弾圧、排除してきたキリスト教的な、男性的な世界観からの、解放を意味している。

薔薇の紋章や、マリアとキリストの子孫を守っている守護者たちなどなど、

マリア信仰、マリア崇拝に似た話。

それと、メインストリーム的なキリスト教との、弾圧と、隠れながらも続けられてきた流れと。

主人公の教授の男性は、象徴学が専攻で、
さまざまなシンボルの謎を解き明かすのが、とても上手。

シンボルを解いていく感じも、すごく、共感できる、重なりを感じた。

私にとって、そういう信仰や流れは、とても素直に共感しやすいし、
なにかスピリチュアルの中でも、自分のシンパシーに近いものを感じる。

で、
今日、
ちなふじえさんのブログで、
書かれていたことが、すごくタイムリーで驚いたのは、

映画に出てくる、
殺人鬼になっていた修道僧の男とか、
いろんなキリスト教者が出てくるのだけど、
私にとっては、いちいち、「あ、これ、過去世だろな」って思う、何かがあったんだよね。

特に、自分を痛めつけ、神に許しを請いながら、殺人に手を染める、
殺人鬼役の
狂気と、裏表の純粋さと、無知さ、愚かさ、盲目、傲慢さ。

よほど、ぐわっときたらしくて、昨日は久しぶりに、夢にうなされた(苦笑)。

それと、その男の唯一の味方であり、利用されていた、枢機卿の男の、
依存・支配関係の重さ。

「ああ、もう、これいいよね」って、本当思ったね。
本心から、そう思えたよね。

ぐるぐるっときて、
今は、見切ったけど。

ループって恐ろしい。どこまで行っても、どうやって抜け出ていいのか、わからないものなんだ。

でも、ちなさんのブログに書いてあったこと、わたしも、少し思っていたことなので、
ああ、やっぱり、それでいーんだって思った。

今を生きる、楽しむ。
自分を楽にして、ゆったりと過ごす。楽しい、心地よいものをたくさんと与える。

で、そうやったおかげか、
また、新たに、
イタリアへの興味が、芽吹き始めている。

イタリアには、一度、大学の卒業旅行で行ったことあるけど、
その時は、なんとなくの流れに過ぎなくて、
なんとなくで回っていた。

そのとき、
バチカンのシスティーナ礼拝堂も、最後の晩餐のある修道院の食堂も、訪れている。
でも、なんだか、おぼろだったんだよね。

今は、すごく、わかる気がするのだ。

自分が気になっている物語をたどり、そのゆかりの場所を調べておいて、巡ってみたいな。




それにしても、
「レオナルド・ダヴィンチが、なぜ?」ってところで、

映画の中でも少し出てきたけど、

先日の展覧会とのつながりで、気づいたことは、

ルネサンス芸術の人々は、
宗教画も、
リアリズム、科学で、描こうとした。
人間の肉体から描いていった、って点がある。

それって、それまでの、
平面的で、「神の栄光」や「絶対的な神秘性」を守ってきた宗教絵画からの、

脱皮であり、
革命なんだよね。

キリストや、聖者を、肉体ある人間として立体的に造形する、描くという。

ある一面で、強固な人たちには、「神の冒涜」と思われても仕方ないような。

それって、なんだろう???って、惹かれながら、
それがどうしのた???って思いながら、
そこに、今の私にとって知りたい何かへの、ヒントがある気がしている。

わたしのなかの、ダヴィンチ・コードが、どんどん広がっていく(笑)。

面白いことに、
あんまり普段から、そういう動きしないのに、
ダヴィンチコード見るときは、なぜか、赤ワインとチーズをが、片手だった。

「赤ワイン」といえば、わかりやすすぎるくらい、シンボルである。
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To see the world, things dangerous to come to, to see behind walls, to draw closer, to find each other and to feel. That is the purpose of life.

バリ島レポート、
なかなか進まないのは、

たぶん、つかんだフィーリングがあまりにも個人的で、微細なのと、

観光、観光した旅ではなかったという地味さと。

両方かなと思い至り。

ライオンズゲートあたりからの、
バックドロップ的な、うねりの流れを、日々感じながら、

気づいたことを、ちょいとまとめよう。

pool

やたら、女子女子してる子ども向けアニメや、ヒロイン、

そして、
娘をコスプレに近く、お人形さんのようにお洋服着せる趣味など、

私は、あんまりピンと来なかったのだが、

池袋のプリキ○アイベントまで行ってみて、やっと、みきった。

母親が、娘にすることって、
自分が子どもの頃満たされていなかった、
小さな少女を、再現している部分があり、

自分がしたかったけど、できなかったことを、

娘に投影して、満たしてあげたい・・やらせてあげたい・・的なものは、すごくあるのかもしれない。

だから、子どもイベントに行ってるときの、
集団のママたちに会うのが、どうも苦手で。

なんか、怖い、うちの子一番!みたいな感じとか、
思っちゃうんだよね。

私は、物語に共感するタイプなので、
今の自分で共感する。

娘を通した目で、
アニメやキャラクターに共感していかない。

ズレがあるんだな~と。

お姫様になりたい願望とか、
なんか、気がつけば、なくなっているのですよね。

苦手な感覚の中身が、すこしわかったから、マシになった。


「子ども趣味」ってのが、どうも。

わかるようで、わからないところがある。

かわいい!ってのは、わかる。

でも、どはまり、とか、ないかんじ。

と、思いきや、
ここ数日で、
自分が本当に惹かれているものに、正直になったら、
ぐぐんと引き寄せ力もアップしている感がある。

なにげなく、借りてきた、映画「LIFE」がよかった。


シャーリー・マクレーンが、
母親役で出ているのに気づいて、「あ!」と思った。

それから、冒頭で出てきた、主人公が使ってみる「出会い系アプリ」、
私が最近興味を持ち始めていたのと、
まるきり同じだった。

ショーン・ペンも、いい役で出ている。

それから、デビット・ボウイの「トム少佐」のエピソードも。

わたしの大好きな曲。
この映像もおすすめ。

なにがなんでも、
写真家のショーンを追いかけて、みつけようとする、主人公。

平凡な、さえない日常が、どんどん変化していく。

冒険へ。

これ見てて、
「ああ、わたし、冒険したいんだ」って思った。

新しいこと、
開けていくこと。

まだ見たことない、素晴らしいものを、見たいって気持ち。

人生一度きりなのだから、
どうせなら、たくさん、素晴らしいものを、みたい。

そして、繋がっていくところと、
うまく繋がらないことと。

でも、壁にぶつかる、先が見えない展開でも、
それは、大事なことを気づくきっかけだったり、
ヒントが隠れていたりする。

そして、しばらくすると、次に、また進んでいく。

タイトル通り、「人生!」を思わせる。

LIFE社の、社訓。

”世界を見よ。
危険に立ち向かえ。
壁の裏側を見よ。
もっと近づいて、お互いを知れ。
それが人生の目的なのだから。”

そして、思い出したのは、
わたしの好きなもの。

ノラ・ジョーンズ。
本屋さん。
ぶらぶら、目的のない散歩。
一人で、動くこと。
美術展に行って、自分のペースで、静かに見て回ること。

誰にも、邪魔されないで、サイン受け取り放題。


ノラ・ジョーンズは、本当、好きだな~と、
聴き直して思った。


それから、アデルも。
カバーの一曲目、偶然聞いて、すごく気に入った。


気が付けば、落ち込みそうなとき、
イライラしているとき、
上手くいかない時。

たぶん、自分が疲れているときなんだな~と気づいた。

人のことでがんばりすぎて、エネルギー枯渇しやすい。

だから、テコ入れ。

母親が、こどものこと100%になると、ろくなことないね。

でも、世の中は、案外、優先順位では、それを母親に求める。

子宮委員長はるちゃんのこと、
やっと、すこし、わかった気がした。

「子宮委員長はるの子宮委員会」

ど真ん中で、崇拝しているわけじゃないから、
逆に、冷静にわかる感じの、
共感。

彼女が、やろうとしていること、やっていることは、
全部、本当は、女の人がやってみたいことだけど、
みんなそれを選ばないで、
枠におさまっているから、
自由にやっているひと、
そして、その責任もこなして生きている人は、
想像もつかないし、
いたら、否定し、攻撃したくなるんだろう。


自由を生きるのは、孤独である。

それを、あんまり自覚していなくて、
隣の芝は青い。

誰かといるから、孤独ではない、ってことはない。

一人でも、
誰かといても、
人がたくさん増えても、
孤独は、孤独だし。

みんな平等に孤独なんだけど、
それを自覚していない人のほうが、多いようだ。

孤独は、だめなこと???
避けた方がいいこと???

いやいや、
孤独を自覚した方が、いい。なるべく早めに。

孤独だから、
逆に人と共に在ることの、奇跡も、自覚できるのではないか。




余計なことに、エネルギーを割かれないように。

失敗しても、「そっちは、ちがうよ」って教えてくれているんだ。

本当に好きな方へ、向かっていくためのきっかけなんだって、わかった。

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