根っからの

大学生のころ、
ドストエフスキーの代表作を読んでいた。

その中でも、

『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャが、

とても心に入ってくるキャラクターで、

献身的に人に尽くし、子どもらに囲まれている場面などが、妙にリアルに心に残り続けている。

周囲に時代遅れとばかにされながらも、
若い修道僧として、真理を問い続け、
なおかつ、目の前の人たちの生に、寄り添い続ける。

そんなアリョーシャの人物。

遠藤周作がよく描く、
人の善い、ばかにされやすい、純粋な若者たちのような。


今日は偶然、
BSをつけていたら、映画『パッチアダムス』がやっているのをみて、

また何か心のなかで響き渡るような感覚を覚えた。


映画『ブラザーサン・シスタームーン』を見たときにおぼえた、感覚に似ていた。


わたしがやりたいことは、こりずに、
理想主義だな~と思う。

でも、自分とかけ離れた、夢の自分になりたくてそう思っているのではなく、

ただ、こころから感動したいから、
そう本心でおもって、動いているだけなので、
偽善ではないのだ。

もう根っからの、
生まれた後の生育過程で、だれになにか刷り込まれた価値でもなく、

もう生き癖としか言いようのない、
生まれながらにインプットされている何か、みたいな。



人間的である。

人間らしさ。

そういったものと、かけ離れた生き方はできない。

いつでも、自分は、人間らしく、人とかかわりたいと思う。



技術的な面での向上もあるが、

人間として、がないと。


求められる範囲ということもあるけれども、

別の軸で、
自分が満足できるものを、求めてしまう。

別のものが、見えかけている。

すこし、おもしろい、
そして、すこしまた本気をだしていこうという感じの。



欲情する対象は?。ガラパゴス。お祓い。

新年度スタートで、
今週はいろいろと新しい環境で、新しいことが始まる週でした。

私自身も、職場では配置換えで、
仕事内容はほぼ同じでも、任される業務量や質も変わり、
一番大きかったのが、
机の移動。

大所帯のお部屋から、こじんまり少数精鋭?のんびりとした棟のお部屋へ。

机が変わるだけで、こんな気分が変わるんだな~と、驚いた。

両隣の人や、前の机の人も変わるし、そもそもメンバーが変わるから、
それで気持ちの感じ方も変わるわけだな。

ちょっと離れたから、見えてくるものもあり。

人を観察しながら、
自分はどうしたいのか、
自分の価値観、信条は、どんなものなのか、
どんなエネルギーを拡げていきたいのか、を、思う今日この頃。

特別になにもしなくても、
存在だけで、拡がっていくなにか、というものもあるのかな、と感じた。

ただ、自分がしたいように正直に、素で在れば、
行動したり、じっとしていても、
おのずから、他人にも、それが伝わっていくようです。

それは、また、こんなふうにもいえる。

いくら表面上、「良い人」「好感をもたせよう」としても、

その人が、どんな人であるかは、はしばしににじみ出てしまう。

神は細部に宿るというが、
ほんとうに、
ちょっとしたことに出ているのを、気づかない、気づけない。

もしくは、
細部じゃなくても、もう、本音が見え見えって感じの人もいて、驚いている。

たぶん、まあ、隠さなくても、自分はもう「王様」くらいの気持ちなのかもしれない。

呆れてしまう。

そういう系統の人たちを観察していると、
こんなフレーズが降ってきた。

「権力・権威に、欲情する」

「○○さんは、○○主任、
××さんは、▽▽課長、
すごいですよね~。
私も、□□主任になっちゃおうかな~。」

そういう言い回しが聞こえてきて、
薄気味の悪い食べ物をみたときみたいな、
生理的に合わない何かを感じた。

なんだろう、この感じって、考察していたら、

こういう人たちは、

「権力」「権威」が好きで、それにこびへつらったり、

自分がそれを手に入れたい、パワー志向が、強い人たちなんだろうなと。

上昇志向は、悪いものではないと思う。
誰しも成長したい、さらに上にあがりたいとおもうし、向上心があるということだから。

なのに、なぜ、わたしはある種の人に、違和感を抱くのかといえば、

ヒエラルキーの頂点で、
上下関係で人間関係をとらえ、
自分も上に上がって、権力を行使したい、権威を行使したい、という、欲望だからだろう。

ただ、自分自身が向上する、成長するという内的動機ではなく、

そのコミュニティ内の権力、権威や、世間的な肩書や名声、
物質的にも月給があがるという、形や力がほしいだけなんだろう。
って感じがするからかもしれない。

そこに品性、品位、人格が感じられないのだ、
上にあがるひととしての。


そして、上がれば上がるほど、
ペーペーでもできていなかった、
人としての基本的な、謙虚さや、尊重、慎み深さ、思いやり、礼節は、失われ、
なんだか、よくわからない、
「キャラ」としかいえないものに、なっていくように、感じられた。

cyara

この場所でしか生息できない、獣って、感じだ。

そういう生き物として、今後は、観察していこうと思っている。

黒革の手帳ならぬ、
こころの妖怪手帳をひろげて、新たな一項目を付け加えた。


権威、権力に欲情するって、あるいみ、ゴリゴリな物質的価値観、
本能的、動物的動機なのだが、

これは、一般的な人間関係だけではなく、
恋愛の場面でも、云えることなのか、と思った。

女性は、場合によって、
パートナーに、社会的地位や名声、経済力の良さ、権威や権力を求めて、
そういうものに惹かれて、寄っていく場合もある。

結婚相手を選ぶときなど、特に、そうだ・・・という話だ
(うちの母親談。※注意・私の価値観ではない)。

私はそういうのって、ゴリゴリすぎて、気もち悪いと思ってしまうのだけど、どうでしょう。

「君は、ぼくの何に惹かれたの?」って尋ねて、

妻の女性が、

「あなたの地位と名誉、金と権力」

って言ったら、うれしいだろうか。

その逆もしかり。

恋人の男性が、

「貴女の名声、金と権力、セッ●スに惹かれた」って言ったら。

うーむ。。。。。

男の場合は、絶対最後の一つは、わかりやすい欲望の一つと思うんだよね。

こういう風にいわれて、
喜ぶのは、うぬぼれの強い人かもな~。

私も学歴や家柄には、どこか引っかかるところがあるのは確かで、
それは、自分に微妙な劣等感やコンプレックスがあるからだとおもう。
本来的な理由ではなく、エゴ的なものだと。




人間は、肉体をもっていて、肉体に伴う性別をもっているし、
生理もあるから、
どうしても、性的な反応、違いというのは、出てしまうのはしかたないのかも。
周囲を観察していて、最近そう思うようになった。

好みの異性には親切になってしまうのは、仕方ない、みたいな。

私の場合は、どこの場所へいっても、
すべての人に平等に、性別や年齢は関係なく、敬意をはらって、
互いにとって心地よくふるまうのが、当たり前と思っていた。
・・・・自分の個人的好き嫌いは、ともかく、おいておいてね。

が、

案外、人は、
自分の好き嫌いで、人に対する態度を変えてる人も、多いんだな~と、
知った次第。

いや、むしろ、ほとんど、
個人的感情の好き嫌い、もしくは利害損得で、
態度を決めてる人が、こんなに多いとは、知らなかった。

だからといって、
それで幻滅とか、ひどい!とか、最低!最悪!とか、
ジャッジにはならない・・・ってところが、私の成長なんだろうな~。

もはや「別の生き物」「そういう謎のキャラクター」としてしか、感じられないんだよね~。

進化の過程で取り残された、前時代のなぞの生物が、まだ生きていた!!!!みたいな。

ガラパゴス諸島にだけ生息する、獣!!!
という風な感じかな~。

garapa



そんな風にやりすごしながらも、

わたしのファン?は、着実に、草の根運動的に増えてくれているようなので、

わたしという謎の生命体の影響も、この場所で、おもしろおかしく、広げていこうと思う。

たぶん、今の環境だと、わたしのほうこそ、謎の生命体と思われていても、しかたないので(笑)。



それにしても、ちなさんもブログに書いてらしたけど、
「邪気」をどう排出するかってのは、
あるな~と。

最近、お酒が好きだったり(お酒売り場にいくと、気分が上がる)、
家庭菜園をけっこう本格的にやったりして、土いじりしていたのは、
邪気払いによかったのかもな~と、あらためておもった。

自分でお祓いする方法を、いろいろ編み出すのは、大切かも。

あと、自分の目指す方向性、
自分の心地よく感じるほうの感覚を、きちんと、リセットして思い出すこと。

自分の内側にその心地よい感覚を、流していくこと。

デトックス。客観性と、フォースの使い方。

姉夫婦が帰省し、

職場&私的友人との外出からの、

家族サービス的な流れで、引き続いてます。



ダイナミックな流れも感じつつ、

3月末の数日、およそ2日間は、自分のなかの「腑に落ちなさ」が噴出する数日だった。

肉体的、心理的、霊的に、
3月末でデトックスだったのかな~と、4月1日の今朝は、思った。

噴出しながら、最終的に思ったのは、

「所詮、他人事なんだよな~」ってフレーズ。

もやもやしてたり、
腑に落ちないことや、違和感を感じたこと。

私の場合、観察していると、
その多くは、

「他人事」で、自分に直結したり、直接的に関係するわけではないことが、とても多かった。

「他人事」って見切ったら、

「あ、自分のことに、集中集中」と、切り返して、整理された。


最近、とても調子が良いところがある一方で、

「どうして、そんなもやもや?」
と思う、モヤみたいなものが、私のなかに、あって、

観察してみたら、

体もすこしずつ、不調を告げていたんだよね。

新しいことに取り組むとき、
やはり、古いものを手放したり、
変化しようとしてがんばってる部分で、心身のメンテナンスも必要になる。

普段は見て見ぬふりしている部分(エゴや、体の健康習慣など)を、受け止めて、
手放す&浄化するステップも必要だったのかな、と。


sea

およそ6年前、
大病をして、それまで勢いよく進んでいたことが、
すべてが一時停止し、

価値観や考え方、生き方を、すべて一から再構築しなくてはいけないと、

理屈なく感じさせられる時期があった。


その時から、スピリチュアルに本格的に目覚めていったわけだが、

一番最初のころ、あるサイキックの人に、指摘されたことが、

感情移入と客観性、境界線というテーマだった。

自分自身も、それが苦手であり、
感情移入が多く、
客観的に観察するのが苦手で、
境界線もあいまいになりがち、と、自覚し、

いつになったら、わたしは、客観性を実現できるかな~と思っていた。

たいして努力もした気もしないが、

ここ最近、

以前と異なる、自分を感じる瞬間があった。

「良い悪い」「正しい・正しくない」

の議論は、どこへ行っても、なにかしら出てくるのだが、

以前だったら、感情的に反応していたはずが、

ふしぎなくらいに、冷静に、距離を置いて、別の軸で観察できている自分に気づいた。


「あ、客観性って、こういうことなのかな」と。


ジャッジ、と、よく言うけど、

ジャッジの有無って、こういうことなんだな~と。


たしかに、「人としてどう?」って思う判断基準があり、

道徳、倫理的に、絶対許せないこともある。

悪い人は、よく、そんな悪いことできるのねと、驚くこともある。

一方で、
では、そんな悪に対して、「闘争か、逃亡か」みたいな、二極的な選択しかないってのは、

もう、ひと昔前の次元ではないか、と思ったのだ。

「闘争か、逃亡か」ってのは、動物の生存本能と同じ。

案外、世の中の人が、陰の人も、陽の人も、そういうパターンで動いていることって、あるんだな、と。

あと、「敵と、味方」「あちら側の人間、こちら側の人間」
と、分けてしまうとか。

そうやって、単純な構造で対処すると、結局は相手と同じ、低次元になってしまうのでは。


スターウオーズで、
マスターが、

「ジェダイの騎士は、フォースを、争いのために使うのではない。

ジェダイの騎士は、
フォースを、平和のために、使うのだ」


って言ってる場面を、思い出した。





ミラクルで、異次元楽しい。

The Magic 

そう呼びたいくらいに、

ミラクルで、異次元楽しい、数日間を過ごしてました。

母が、友達とマレーシアへ海外旅行へ行き、

本来ならば、留守番組は、つまらない、大変・・・となりそなところ、

かえって、特別なひとときになりました。

本来の、親子水いらず、
本当に、娘と私、二人きりの時間が戻ってきて、

娘とふたりだけのひとときを、たっぷりと、過ごしていました。


昨日は、
娘を連れて、職場関係の人々と食事をしたり、

今日は、娘同伴で、高校時代の友達と、新国立美術館の草間彌生展を見に行ったり、

アクティブな数日間でした。



春分の日から、
流れが止まらない。


昨年の3月ごろ、やはり、
クリスタルボウルの演奏会&山川亜希子のお話会に、参加して、
流れがすごかったけれども、

あの時と同じような、流れの変化を感じる。

なんてことはないけれども、
確実に変化していってるのを、感じる。

内側から変わっているから、
外の現象や、外界のいろいろも変わっていく、といった、アレ。



それでいて、
わたしは、わたしなんだな~の確認を、しみじみする経験ばかり。


忙しすぎて、
バランスをとりたいと思いながら、
するする滑っていって、流れていってる感じ。


今日も新月。

新たな気持ちを、書き留めておこう。

その夜集いし、人々の。。。。四月の風!!

見えていなかったけれども、
なんとなく感じていたことの、答え合わせをするような、経験がやってきている。

譬えるなら、

バラエティ番組で、
箱の中に何が入っているか、手を入れて、見ないで当てるゲーム。

箱の中に手を入れる前から、
スタジオの空気やリアクションから、
それがなんなのか、予想がつく。

そして、手を入れてみて、
触覚や、
その物体の動きや反応のあるなしを観察して、

大体それが、なんなのかを、言い当てるゲーム。

たいてい、
番組だと、そのあとに、答え合わせがあるわけだが・・・。

わたしは、
ずっと、この一年、答え合わせをせずに、
自分の直感アンテナだけで、
観察に徹して、
万事を乗り越えてきた。


昨夜は一気に、その答え合わせを、みんなでするような日でした。

細部に神は宿るというけれども、
やっぱり、
細部に、人間の本質がでているんだな~と思った。

私が感じていたことは、
思い込みではなくて、
やはり、本当だったようだ。

単なる、主観的な好みではなく、
誰しもが、抱く、感じる、その人の印象や、
その人の言動からのエネルギーのようだった。



スターウオーズさながらな、
光と闇のやりとりが、
すごいな~と、
話を聞きながら、受け止めていた。


でも、私の場合は、
すでに、逆サイドの人たちとは、土俵がちがうのか、

わたし、隣に座りながらも、

知らぬ間に、やりすごしていたようです。

やりにくさは、感じながらも、やりこなしていたようです。

まあ、それにしても、
けっこう溜まっていたようで、
光の人たちも、すこし毒されちゃうんだな~と思った。

毒を放出する人たちに、いろいろ足を引っ張られたりして、
自分もネガティブな感情をもらっちゃうという、あれ。


わたしは、ただ、柳だからな~、あの場所では。



ふわふわふわ~っと、
その心優しい、善良で、一所懸命な人たちを、
応援して、励まして、
一緒にたくさん笑うことが、
わたしにできることだとおもう。


だって、そんな真っ黒な人たちを、変えるなんて、不可能だし、
その場所で、そんな人たちのほうが、栄えているなら、しかたないよね~と思ったりもする。

その場所が、求めているエネルギーや流れってものがあるのかもしれないし。

相手を無理に追い出したり、変えようとするのも、違う気がするのだ。


わたしは、ただ、
そこに呼ばれた、ご縁があったことに、意味を見いだして、
自分のなかの最善を尽くすだけだ。

子どもたちと、
そして、子どもを通して、かかわる人たちと、
可能限りの純粋な、愛、平和、喜び、楽しみ、笑いに満ちた時間や関係を、
広げていくということに、
専念する。


そうはいっても、
わたしも人間だから、
やっぱり、好き嫌い、苦手、好み、
合う、合わないはあるわけだから、

まあ、好く人は好くし、
別に、合わないなと思った人は、合わないけど、
一緒にいなければいいだけのことである。

公明正大、清廉潔白、
そんな言葉が脳裏をよぎるのだけど、

やっぱり、わたしも、人間だから、
好きは好きになっちゃうし、
あんまり好きじゃないは、好きじゃないのよね。
正直な、ふつうのはなし。




みんな笑っていた。

なんか、わたしがどうこうしてあげられるわけではないけれども、

気が付けば、人が集まって、

みんなで、さざめいて、笑っているのは、とても暖かで、気持ちいいな~と感じた。

のっぽの、わたしは、
まるで、巨樹が大きく枝をひろげて笑っているように、
そこにただ、座って、
みんなの気持ちを、一緒に感じて、
笑ったり、聞き返したりしていた。

いろいろ、ある、わよね~。


第二の青春、だわね。

いや、これから、まだまだ、
第三、第四の青春もあるにちがいない(笑)。




ぶらぶら、ぶらり、な気分。

ラジオから流れてきて、良い曲だな~とあらためて、思った、
好きな曲。↑。



最近、気づけば、
周囲で、
寿な話や、おめでたな話を聴くことが、とても多い。

なぜ??

活性化???

お祝いごとの話を、多く聞くのは、良い傾向と思っている。
なんとなく。

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