感性のズレ。泣いてくれた夢。

このところ、夢見がリアルになってる。

夢が活性化しているときって、右脳的になっている時が多い。

リアルと言っても、
感情の流れがリアルということ。

腑に落ちないとか、
哀しい、切ないとか、
どこか嬉しいとか。

夢の中で知らない町を歩くのも、とても楽しくて好き。

今日も、知らない町を歩いていた。

電車に乗って帰ろうとしているけど、
ちゃんと、自分の現実の住んでいる家をイメージできているところが、すごいと思う。

ある人に誘われて、
繁華街のあるような大きな街中の駅で会ったのに、

「○○駅にある、スイーツの出てくるカフェに行きたい」と、会った途端に、
またその人が言い出して、

「~~さんが言うなら、きっと美味しいお店なんですね」ととりあえず同意し、

移動すべく、歩いているうちに、その人はさっさとどこかへきえてしまい、

わたしは、なんだか振り回された気がしながら、

これが、この人の本性かもと気づかされる思いで、
一人さくさくと、帰路につこうとしていた。

夢から覚めて、へんな味わいで、
でも、どこかに真がある気がしている。

感性が合わないって、あると思うんです。

で、自分は、本当はもっと色々あるのを知っていながら、
相手に合わせて、知らないふりをして、
「よくご存じで」「センスありますね~」とお愛想しているときの、
感覚が本当は、私は合わないのだろう。

でも、なんとなく、張り切ってる感を出している人には、
そう言わないと悪いような、居心地の悪さってあるよね。

私の「センスの良い」と
その人の「センスの良い」「一流を知る」とが、
かけ離れているって、本当は思ってたの。

それに気づいているけど、相手に悪い気がして、見ないふりしてたの。

私は自分が「傲慢かな?上からかな?」って思って、
でも、感覚に嘘をつけないから、相手にお愛想するしかないんだよね。

「ほんとうは、もっと、すごいところあるんだよ!!!」
っていえないの。

もっと熟練してきたら、きっとさりげなく、「こんなお店があるよ」とか、連れて行って、
センスの違いを伝えられるかもしれないが。

「そこまで、やる甲斐のある、相手なのか・・・」というのもある。


女性ごのみ風のお店よりも、

休日の昼間に、美味しいお弁当をどこかで買って、
広い芝生の公園にいって、
日陰で、昼下がりのんびりビールやアイスを、一緒に楽しめる人のほうが、好き。

そうじゃなきゃ、海とか、山、川とか。

ちょっと都会から離れた、古い温泉郷とか。

異性相手でも、同性でも。

それで、街を楽しむのも、
外国や、下町や、都会的な街や、
いろんなテイストを、街ごとに楽しむような、遊び方が一緒にできる人。

探検できる人。

大きな本屋さんで涼みながら、いろいろ見つけたり、
古い喫茶店に入って、面白メニューを頼んだり、
美術館に行くのも良いね。

そう、色んなテイストを、聖俗、大衆的なものと高級なものと、楽しめる心があるかどうか。

どうぞ、女性に人気の、スイーツの出るカフェに行ってきてください。

わたしは、その間、別の場所に行くだろう。



一昨日見た夢では、
私の目の前で、ある人が、棒立ちになっていて、

「○○(私の名前)先生、かわいそう・・・」と涙を流して、
おやおやと、
驚き、ためらい、恥ずかしいけど、少しうれしいような気持ちがした。

その人は、初めて、

私のいろんな状況を知ったようで、

真相を知ったら、わたしが苦労して大変だったと知って、泣いてくれているようだった。

人に泣かれて、

「ああ、私の人生って、客観的にみたら、
そんな風に、悲しい、大変なことだったのかな・・・・」

って冷静に思っていた。

心で見てくれる、感じてくれる人が、

同じ職場にいることを、ありがたく、人の繋がりの温かさを感じる夢だった。



で、思ったんだよね。

わたし、自分が泣けないから、人に泣いてもらったんだなって。

自分の人生に対する感度が、
私の場合、めちゃ忍耐強く、我慢強すぎて、
ハートが、グラディエーター並みなので。

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鉄板なハートには、「泣く」という優しい概念は、なかったのですね。

でも、他人が涙を流してくれると、自分のこともやっと、悲しみを感じることができる気がした。

そんな夢だった。

旅立ち前の、荷の整理。

つめつめで、なんとか、作業を終わらせる。

最後の仕上げは、
自分の小さなこだわりを捨てる、手放す作業に近かった。

追い込まれないと、腰を上げないタイプだけど、

毎度、何かを仕上げる最終工程で、
ぐずぐずと、自分へのダメ出しが出てくる。

「もっと、時間をかければ、もっと余裕で丁寧にできたのに」
「もっと早くから、とりかかれば。何をやっての?」とか、
自分を責めたり。

でも結局、時間があっても、他のことにかまけていたら、やらないだから~(苦笑)。

完璧をめざすのが、そもそも、なにかずれてる。

無理はしないのが、最善って、最近は思っている。

どこかで無理がでてきたら、それは、なにが違うよってサインなのだ。

至らない点が多かったとしても、
これが、今の私の最善だから、
もうこれでいいでしょって思った。

これで、受け入れてくれるところが、本当にご縁があって、

どんなに完璧でも、ご縁がなければ、
結びつかないように、この世はできているのです。

封筒詰めも終わり、これで心置きなく、南国へ旅立てるわ。
あとは、野となれ、山となれ。

旅の準備も、かなり詰まってきた。

大した準備はないけれども、むこうじゃ変えないor不便そうで、
どうしても必要なものは、こちらで持ち込むしかないわけで。



明日が終われば、いよいよ夏休み。

旅が始まります。

淡々と、晴れた日の休日。

今日は今日とて、
平和な休日を。

かんな~り久しぶりのドロッと感のある夜だったけど、

まあ、そこに居続けても仕方ないので、

次に意識を向けていく、
心地よいほうにチェンネルを合わせる意識を、持つという。

新しいお財布を買ってみたり、
お友達に贈り物を送ってみたり。

なかなか、良いお買い物の日だった。


書類も少しづつ作って、
淡々と、前進前進。

うん、これでよし。

デパートの屋上のプレイコーナーから、
空をみたら、

すごくきれいな夏の空。

かんかん照りだけど、
空は、
心地よく青い。

夏だね、って思った。

夏は、夏の楽しみ方。

いまを、楽しもう。

まっすぐなことを、まっすぐ生きようとして。

いわく言い難い、
切ない、悲しみの残る、夜である。

会議のなかで、

私は突然、事情を説明しなくならなければいけず、

私なりに説明し、私なりに出した答えをみんなの前で、云ったわけだけど。

なにが正しいのか。

なにが本当の教育のなのか。

人ととして、教える人間として、

なにができるのか。

みんな、それぞれの中で思っていたと思う。



わたしは、優しすぎるのかもしれないけれども、
わたしがやさしさを発揮しても、しなくても、

最後の最後には、結局は、
その人は、その人自身の力で立たなければならないのだ。

だから、わたしは、わたしのコミュニケーションのなかで、関係性の中で、
あのこたえをだした。

たとえ、ほかのひとが、それを過剰と思ったとしても。



やっぱり、
このしごと、向いてないのかな~って思いながら

いつでも、異邦人の気持ちで、やっている。

わたしは、職業でやっているようで、職業でやっていない。

ただ、わたしはわたしという人間としてやっている。

だから、だめなんだね、きっと。

「だめで、けっこう」な、パンクロック的なだめさ。

子どもたちには、やたら好かれる。

ほんと、いいひと!みたいにいわれる。

そりゃそうだ。

わりきってないもん。

私の中の理想では、

「せんせい」と呼ばれる仕事は、それに、はまりきってやるくらいだったら、やめたほうがいいと思ってる。

ほんとうの「せんせい」ではなくなる、人として。

不条理に震える、
不合理に胸を乱される日は、

ブルーハーツか、
忌野清志郎の歌だ。



うん、わかってる。

これも、過去のパターンの一つだって。

引っ張られている過去のサイクルだってことも。

もう、一緒に悲しむのはやめだ。
憂鬱になるのも。ダウナーになるのも。

一つのお役目で、わたしは、あの場で、一石を投じる役目だったってだけだ。

「愛」の側として。






人間らしい人間として生きるのが、とても、たいへんだってことを、最近思う。

まっすぐなことを、まっすぐ生きようとして、いつもあちこちぶつかってばかりの人生。

でも、それが、わたしの人生なんだな。

不器用だけど、この生き方で、わたしは大切なものを守ってきたし、私を愛してくれる人たちもいる。




イエローモンキーとか、
ブルーハーツとか、好きだよって言ったら、

「せんせい、リンダリンダ歌って」

といわれ、

「そりゃ、無理だろう」って、即答。

恥ずかしいだろう、リンダリンダは。

本気でやらないと、無理だろう。




そろそろ、本気だして、生きていこう。
ヌードで。
もっと先まで。
まだまだ、勝負はこれから。

いま、ある、しあわせ。

37年前の今日、
この世に生をうけて、

ここまで生きてきたんだな~の、感慨。

「今日は、どうすごそう」と思いながら、

いつもどおりの日常が、

しあわせであることの、尊さや、

いまあることの、しあわせ、豊かさに気づかされる日でした。

わたし、しあわせものだな~と。

そして、月日を重ねるごとに、

そんな風に生きている自分も、すきだな~って思えるようになってきた。



子どもたちにも言ったけど、

ほんと、こんな風に仕事していること、
こんな風にいま暮らしていること、
満ちたりて、手応えのある、きれいなものと感じているんだよね。

自然体だし。

じぶんのなかでは、いまが、一番しあわせ。

これからも、この調子で、
コツコツと自分のしあわせを、広げていく、深めていく。

夏至がすぎて、
ふしぎなくらいに、楽に、なった。

夏がやってくる。

みなさんも、すてきな夏を。




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