卒業の季節。物をクリーニングしつつ、片づけ。思い出の写真。

今日は、うちの娘の通っている保育園でも、
卒園式。

入り口のガラス扉に、先生たちが作ってくれた、
きれいな桜の飾りが、いっぱいに満開でした。

先生たちも、少しソワソワ。

「今日はやっぱり、先生たちも、ちょっと気が高ぶってます(笑)」とのことで、

「よい卒園式になりますように」と私が一声かけたら、

先生も笑顔で、「はい、ありがとうございます」。

娘は、まだ一年在籍するので、
卒園するお姉ちゃん、お兄ちゃんたちを、今日は、歌で見送る係。

活発な娘は、後ろも振り向かずに、さっさと中へ入っていきましたよ。
我が娘ながら、
いつも、勇敢?堂々としていて、おもしろい。
ひとまず、安心。



つい一昨日、
小田原のお友達の家へ訪問させてもらいました。

そのお家が、
非常に整理されていて、物が少なく、
きれいなおうちだったので、驚いた。

もともと、彼女が、片づけるのがお上手というのもあると思うのだけど、
NHKでドラマ化されていた、『わたしのウチには、なんにもない』を彼女も見ていたそうで、
物を減らす、もたない、にまつわる話題で、盛り上がりました。

以前、知名藤枝さんも、この本をブログで紹介されていて、
わたしも買って、持っているんですよね!

ゆるりまいさんの、『わたしのウチには、なんいもない』

ゆるりまいさん、ブログも書かれているようです。

「なんにもないぶろぐ」

・・・と言っても、
小田原のお友達の、めっちゃ整理されたおうちととは、
我が家は、正反対。

家のどこの部屋に行っても、
物が、混在&氾濫している、
ものだらけの、家。

家族の習慣を変えるのは、いきなりは、まず無理そう。

まずは、自分ができるところから・・・と、
自分のものをまず、片づける、減らすことを始めてみることしました。

「とにかく、なにか、捨てよう。
物を捨てよう!!!
物を減らそう!」

と思い立った私。

今日は用事が特にないので、
娘を送り出してから、
部屋の片づけを始めました。

最近、ホオポノポノを実践するように心がけているので、
物と対話しながら、
クリーニングしながら、
整理を続けた。

時に、ブルーソーラーウオーターを霧吹きで吹きかけたりして、
これは、要るのか、要らないのか、
もうさよならしていいですか?と物にも、尋ねながら。

というのも、
平良アイリーンさんの書いた、『ホオポノポノ・ジャーニー』に登場する、女性のお家の逸話があって。

その人の家には、物がたくさんあるけど、
すべてが、そこにあるべくして、あるような、
とてもクリーンな、温かい空間で、とても居心地がよいと。

その家主の女性は、
置物や家具なども、すべてクリーニングして、お家に連れてきて、置いてあるから、
物のアイデンティティが尊重されている・・・といったエピソードが、
とても印象に残っていたのです。

ただ、
「物がないほうがいい!」
「捨てなきゃ捨てなきゃ!!」
と、強迫観念のように焦って、無理無理にやっても、
それはそれで、自分の内側はクリーニングできていない気がして・・・。

『断捨離』や、こんまりさんのときめきの片づけ術やら、
ミニマリストとか、ものをもたない主義&生活ブームがあるわけだけど、
私の場合、
物はあっても、なくても、
物は少なくても、多くても、
人の心の状態が、どうかなっているかの点が、大切なのかな、とも思ったりして。

まだ、わからないんですよね、自分としては。
なにがフィットするのか。

自分は、どれが居心地が良いのか、
まだわからないので、
とにかく、クリーニングしながら、片づけていくことにしました。

面白いもので、
「きれいなお家に住みたい」気持ちをクリーニングしてみたら、
パッと、思い浮かんだのが、
「自分の部屋で寝たい」との思いでした。

実は、今は、
娘と二人で寝るために、大きなベットが便利だろうということで、
ずっと、母の部屋で、母のベッドを借りて、寝ている状態なんです。
それが、、ここ1年続いてました。

私の私物は、主に、以前の私の部屋(シングルベットの部屋)にあり、
寝るときだけ、母の部屋で寝ていたのですが、
どうも落ち着かない。
間借りしている感が強い。

一方で、私の部屋で、母が寝ているもので、
だんだんと、母の私物が、私の部屋に増えていくのをみて、
どうも、すっきりしない。

境界線があいまいになっていく感じがすごくして、
ずっと、違和感を感じていたのです。

私の部屋は六畳のシングルベットなので、
娘と二人で寝起きするには、不便かもしれないけど、
自分の部屋に戻りたい、という気持ちは、消えませんでした。

そして、「きれいなお家で暮らしたい」という気持ちをクリーニングしたら、
また、そのアイディアが再燃したので、
これはきっと、やってみたら、いいのかもしれない。

そんな風に思い、
自分の部屋で寝る体制を整えるべく、
今日から、片づけを始めてました。

まだまだ、物の少ない状態には程遠いです。

でも、すこし片づけただけでも、
部屋の空気がみるみる変わっていくのが、わかるから、面白いですね~。

omoide

以前から、やりたいと思いながら、
ずっと手を付けずにおいてあった、
写真立てに、写真をいれる作業も、してみました。

娘の誕生祝に、ご近所のおばさんがくれた、かわいい写真立てと、
姉が、結婚祝いにくれた、写真立て。

ずっと、使わずに、なんとなく忙しくて、放ってあったのです。

アルバムをひっくりかえして、いろいろ見ていたら、
懐かしくて、
かわいくて、
たった2年でも、子どもがこんなに変わってしまう、成長するのが、驚きでした。

ふしぎなもので、写真をみると、
娘を生んだときとか、
娘がまだ0歳児で、歩き出す前の頃や、
伝い歩きを始めたころや、
リアルに思い出すんですよね、その感情を。

この2年間が、まさに走馬燈のように思い出されて。

結婚祝いでもらって、ずっと使う気になれず、
しまい込んでいた写真立てには、
ふと、思い立って、
出産翌日の、私と娘の写真を入れました。

娘を抱っこして、ベッドに座っている、私の写真。

それから、その右には、6か月ごろ、
スタジオアリスで撮影してもらった、晴着をきた娘の写真。

自分の部屋にサンクチュアリ(祭壇)があるので、
この写真立ては、そこに飾ることにしました。


この2年、あっという間でありながら、
たましいを刻みつけるように、
生きてきたな~。

こういうのを、見ると、そんな風に自分をやっと振り返ることができる。

わたしのなかでは、そんな時、「打つ」という言葉が、よくイメージされます。

石を穿つための杭とか、
おもおもしい、力強い感じで、
一つずつ、打っていく、
全力で、的確に、打っていく。

そんなイメージ。

娘が生まれる前のことを、思うと、
なんて、自棄で、
いまより、ずっとずっと、自分を大切にしていなかった。
かえって、自分を傷つけ、損ねるように生きていたように思う。

娘が生まれてから、
本当に純粋に、守るべき存在ができてから、
自分のことを粗末にできなくなった。

自分のことも、大切にしないと、愛さないと、
娘を大切にすることに、ならないからだ。

黒く染まることも、できない。

たいへんなこと、努めないといけないことも沢山、あるんだけど、
前より、
ずっとずっと、いまの私は、幸せだとおもう。

「だいぶ、まっとうになったよね」

自分にそういって、やっても、いい気分。






KR女史の講演会の感想。春分の日前後の流れ。

ばたばたばたっと、
忙しく過ごしておりました、連休。

春分の日、。
今年二回目のポイントらしいと、聴いていたのですが、
なるほどなるほどな感じで、
周囲の変化、出来事の唐突感も、はんぱなかったですよ。

19日の夜は、
六本木で開催された、
SITHホオポノポノの、
KR女史の講演会「ウニヒピリ」に、参加していました。

実は、つい1週間ほど前から、
急きょ、20、21日と、家族旅行で、茨城方面へ行こうという流れになり、
一週間で、スムーズに、
ホテル予約、レンタカー予約、はてはチャイルドシートまで手配してレンタルしていたのです・・・・。

19日の夜の講演会は、ずいぶん前から予定していたので、
予定変更せず、私は外出する予定でした。

そんな19日の正午過ぎ、
突然に電話が鳴りました。

突然の訃報。

父方の叔母が、64歳にして、亡くなったとのこと。

そこから、急展開。

とりあえず、うちの両親だけは、すぐにホテルなどをキャンセルし、
北海道行きが決定。

葬式の準備や、飛行機の手配、ホテルの手配など、
段取りや準備に追われました。

そして、残された、私と娘、姉夫婦と姪っ子は、
どうするかって話になり、
全員キャンセルももったいないから、
ただ、留守番しているより、
この五人で、電車を使って、いばらきの温泉に行こうということになりました。

ここまで、バババっと午後の2時間程で決めてから、
私は、その夕方、KR女史の講演会に行ったのです。

何か起こった際、
いろんなことをキャンセルする、中止するっていう、消極的な選択もあるだろう。

だけど、
部分部分、変化に対応しながらも、
敢えて、自分の意志で、最善を選択するという、
そういうときのとっさの判断は、
場数を踏むと、自分なりの基準や軸ができていくのだな、と感じました。

叔母のこの突然の死も、
私たち家族、それぞれに、いろんなメッセージや気づき、学びを
もたらしてくれた気がします。

私は、それを私なりに、見守ろうと思いました。

そんな突然の変更があり、
連休の予定は、一転二転して、
私としてはアドベンチャーで、この数日、過ごしてました。

hyouga


それにしても・・・・、
私にとって、また一つのターニングポイントになったのが、
KR女史の講演会。

すごく良くて、
カッキーンというか、ぜんぜん違う角度で、入ってきた感じ。

のびやかなのに、
重いところと、軽やかなところと、
深く集中しているところと、広く浅いところと、
色んな部分が、あのシンプルな法則の中で、全部説明できてしまう。

それでいて、あの夜、
必要な情報はすべてKRさんのお話や、参加者の方の質問のなかに入っていると感じた、
濃いひとときでした。

正直、話の内容いかんだけではなく、
この講演会自体が、言語化できない次元で、
おそらく、すごいクリーニングの場所になっていて、
たぶん、あの日、あの夜、あの場所に参加しているだけで、
必要なクリーニングが膨大にされていたのだと思います。

だから、頭で理解できなくても、そのとき心がフィットできなくても、
たぶん、とにかくその場にリーチすることが必要であり、
そんな人々が、参加していたのだと思います。

お話には、
私にとっては、今だからこそ、納得できる、腑に落ちることも多く、
本をただ読んで、頭で理解しているつもりになっているのと、別次元の感動がありました。

KRさんに会えて、生でお話を聞けて、ほんとよかったな~と思う瞬間があり、
理屈ではなく、
そんな瞬間も感情をクリーニングしながら、参加してました。

よく、サイキックの人のイベントやセッションを、
申し込んだ段階から、
影響が表れるっていわれます。

つまり、申し込んだ段階で、
すでにエネルギー的な交流が始まっているということ。

ほんと、そうだな~って、今回も感じました。

KRさんの講演会に申し込んだ時点から、
流れが、ぐんぐん加速して、
クリーニングの流れがどんどん流れ込んできたのを、感じました。
講演会に近づくにつれ、
出来事としても、
私自身の内面としても、深い部分に触れていくのを感じていました。





そして、今は、
温泉旅行から無事に帰ってきて(笑)、
娘と二人で、遠出して、電車で、大荷物で行動するとか、
二人で夕飯準備して食べるとか、すんごい久しぶり&初体験で、
ドキドキもあったのですが、
案外、案外、普通にできていて、
しかも、いつもとは違ったフィーリングがして、
とても、ふしぎです。

この家で、この時間、一人で居間に座って、
娘はすでに、2階の寝室で寝ているから、
とても静かな時間を過ごしています。

静かで、穏やかで、しみじみと、
広々と、リラックスして、自分らしくいられる感覚がします。

「じぶんである」

それって、どういうことだろう、って
必死になっているときは、
イメージしたり、焦がれるように考えたり、
思いめぐらせたりするけど。

いまの、わたしは、
「じぶんである」って、
大したことないことのように、感じてます。

「たいしたことない」って、
卑下したり、自己否定しているわけではないです。

逆に、とっても、力が抜けて、
すうっと、楽に、ありのままの感じで、自己肯定的にそう感じています。

「たいしたことない」、
ありのまま、そのままで、いーんだ、って感じです。

なにかを力説したり、
いろんな意味で、声高々にいったりするのでもなく。

他人のことも、
物知り顔のことも、どうでもいっかな~って気分。

ちょっと違和感を感じる人がいたとしても。
私の立ち位置と微妙にずれているから、
そう感じるんだろうけど、
それやその人自体は、気づくために必要なだけで、
それらをそのままで、尊重すればよくって、
握りしめることも、こだわり続けることもないのだな、と。
・・・ただ、クリーニングするってだけでいいのだな、って感じ。

大切なのは、外界ではなく、
自分の内側との関係性であって、
すべてはそこなんだな~って、やっとや~っとわかった気がする。

インスピレーションも、そこからやってくるんだろう。

色んなレベルの恐れや、不安、
こうじゃなきゃいけないという先入観や強迫観念、刷り込み、
・・・そんな記憶が、ぎっちり、自分に詰まっていて、
右に行くにも、左に行くにも、
1センチ動くにも、
じつは、すんごい記憶でいっぱいだった、自分自身にも気づいて、

「はは!なーんだ、これ。
私って、実は、すんごい息苦しく、自分でしてるんじゃん」

って、
客観的に気づいたら、
また、すいっと、抜けた。

流れに任せる。
流れにゆだねる。


その感覚を、思い出した。

水星逆行が終わって、いま。「仕事」をクリーニング。

水星逆行って、
いつまでだったのかな~?

あ、調べたら、
「10月9日まで」と、
知名さんのブログに書いてあった。

知名藤枝さんのサイト

うーん、たしかに、
三連休を境目に、すこし流れが変わった気もする。

ちょっと、落ち着いたというか。

ネガティブの引きが、去った、というか。

先週あたりは、
なにか一つ、幕を閉じて、ひと段落して、
新たな章に入っていくような流れもあった。

4月くらいから、ずっと実際的に動いたり、
生きたり、対処しなければならなかったペースがあり、
8月に離婚が成立して、
9月いっぱいは、事務手続きなどで、てんやわんやだったところ・・・。

10月は、
これから先の事を考えたり、
あと、本来の自分の、直感やフィーリング、内面世界を、
ゆったりと味わう余裕が、出てきた。

周囲から、いろんな情報やアイディアも教えてもらって、
それを、ちょこっとやってみると、
面白いくらいに、
自分では思いつかない方向が、開けてきて、
ワクワクしたり。

そういうのが、とても、新鮮です。

9月までは、
ふりかえると、
いろんな外部、外面的なこと、他者との関係で、
くるくる回っていて、
本当、落ち着いて、自分の世界に降りていけてなかったな~って思う。

でも、とっても経験値や気づきは大きかったので、
たくさん、インプットしたから、
今度は、アウトプットしたい。

そのアウトプットも、
あくまで、自分のカラー、自分の個性、オリジナリティで。


カレー


ホオポノポノのクリーニングしていると、
古い記憶が、わらわら出てくる。

そして、古い記憶に基づいた流れを、
もう一度、感情でも行動でも、出来事でも、
再生していたりします。

よ~く自分を観察していると、
そうなってるから、
みんなも、観察してみると面白いです。

でも、あきらめず、
とにかく、クリーニングしていると、
知らぬ間に、
また別の流れにどんどん流入していっていて、

どろどろ、もんもん・・・していたものが、

あれれ?

ワクワク、ウキウキ

の方へ変わっていたりする。

これが、ふしぎ。


たとえば、
私は、仕事や就職のことが、ず~っと一つのテーマで、
過去の仕事や、業種、
昔つとめていた会社、職場の雰囲気、人間関係、
そこでの経験、
収入や、時間や、体力的精神的なものなど、
いろいろクリーニングしていったら、

面白いくらい、
過去に自分が思っていたことの再生が起こってきて、
ちょこまか動いていて、
いま、どこらへん?って感じになっている。

堅い職業、世間体のきっちりした仕事、
社会貢献の高い仕事が、
私が思わず選んでしまう仕事だし、
これまでしてきた仕事や業界が、そんなのが多かった。

でも、それも、
思い込みや、制限、罪悪感、心配、勇気のなさの表れだと、
だんだん気づいてきた。

私がずっとしたかったことは、
在宅、フリーランスな仕事で、
自由に、ライフスタイルが作れる仕事だった。

ただ、それも、無理だという思い込みが、とっても強かった。

だから、いま、それをクリーニングしながら、
また準備しているところです。

これから、どんな流れになっていくのか、
自分でも、楽しみ。

なにはともあれ、
これまでより、楽になれそうな気がしている。


突然のグッドニュース。離婚にまつわる、他人の無理解と、愛とエゴ。

今日は、クリーニングの成果か、
朝から、思いがけない申し出があった。

そして、ばばばとまた、区役所や保育所に問い合わせして、
認定の証明証などの手続きした。

もしかして、保育園、
通常保育で、今年中に、入ることができるかもしれない!!

ちなみに、いまは、
偶然、運よく、近所で一時保育受け入れててくれるところを、今年六月にみつけ、
週二日でお願いしている。
この保育室も、私が入った後、一時保育の定員が満員になり、いまは募集していないし、
通常保育の方は、8人、キャンセル待機中といわれていた。

今の保育室に慣れてきているけど、すぐに入れそうにないし、
認可保育園の来年四月の入所の一斉募集が、また十月にあるから、
応募して、
ダメだったら、どうしようとか、
そのときは、こうしようとか、
保育園活動=保活について、思いめぐらせながら、
保育園と、それにまつわる環境を、クリーニングしているところだった。

そんなところに、
一時保育で通っている保育室から、
もしかして、通常保育で、空きができるかもしれないから、
よかったら、入りますか?と申し出があったのだ。

まだ確定ではないけれど、
今朝のグットなお知らせに、
いつでも、希望は、抱き続けて、あきらめないことだな~と、思った。


ホオポノポノの考え方を取り入れてから、
クリーニングがとても多いな~って、あせあせしつつ、
思い出したり、忘れたりしながらも、コツコツ、クリーニングしていると、
だんだん、変化が、実感としてかんじられるようになるから、面白い。


嬉しいこともあれば、嫌なこともあり、
「過去の記憶」として、クリーニング&手放すってことも、結構、出てくるので、
コツコツ、クリーニング生活。

sea4

最近、「離婚」したもので、
離婚のことについて、沢山書いてます。

誤解のないように、
今日は、以下、一度、書きます。

わたしは、離婚に際しては、
まったく後悔もしてません。

万々歳のきもちで、
かえって、いま、とても平和で穏やかな環境で、子育てをすることができています。

明確に書けば、
別居する前、元夫とまともに同居していた時は、、
モラハラや、間接的暴力(怒鳴る、物をこわす、脅す、乱暴な物言いをする)もある環境で、
つねに地雷原を歩いているような生活をしていました。

いつ、夫が怒り出すか、いらだちだすか、キレだすか、
ドキドキしながら、それを避けるように、
無限に気を配りつづける、生活でした。


だから、今、実家に戻り、
凸凹ながらも、温かい家族に囲まれ、
安心安全な環境で、子育てできることに、
こころから、ホッとして、暮らしています。

日曜の夜に、自宅で、
食後に『サザエさん』のアニメ放送をみるとき、
平凡で小さいけど、温かな充足感を感じ、しあわせだな~って思う。
・・・・そんなレベルなんです。

昨夜、母に言われました、

「あんたは、よほど、気を使って暮らしていたんだね~。
サザエさんで、そんな風に思うなんて。
サザエさんも、のんびり見ていられないくらい、神経すり減らしてたんだね」って。

正直、わたしがそんなモラハラ、ドメスティックバイオレンスな環境を経験したことを、
母がどれほど、理解してるか「?」だったのですが、
あらためて、私の母だから、
私の気持ちも、一片でも、わかってくれるんだな~って思いました。

そんな風に感じていた昨日。

そして、今日。
ある人から、連絡をもらいました。

「離婚」したと、私のブログで読んだのか、誰かから聴いたのか、
・・・・どちらでも、いいのですが。

その人は、勝手な想像で、

一方的に、勝手に心配して、同情して、

「離婚=不幸」と単純な構造で判断し、

自己満足の憐みを、私に抱いていて、驚きました。

話をしたかったから電話した、
心配だから、話したかった・・・とメールで書かれていて、
正直、「自分の感情を満たしたいだけでしょ?」って思った。

わたしにとって、そういう類の、
憐憫、同情、勝手な想像は、必要ありません。

私の経験について、
これまでも、その方にも説明していたつもりですが、
全然理解されてい無い様子でした。

驚きました。

無神経だなって、思いました。

最近、色んな人から、たくさん受けとっている、愛やいたわりとは、
全く別質のものを感じました。

「かわいそうな他人を、救済したい」

というのは、ただの、自己満足ではないでしょうか。

えてして、人が無意識に陥る、
エゴ、自惚れ。

「自分より不幸な人」をみつけて、
そこに惹きつけられる、程度の低い、好奇心。

わたしも、その人を、反面教師にして、
自分を戒めようと思いました。

そういう人と、出会うこと自体、
わたしにも、クリーニングすべき、過去の記憶があるのだな、と。

それにしても、誰が不幸で、
誰が幸せか、だなんて、
だれが、わかるんでしょう。

「本人の実感だけが、すべて」だと思います。

どんな環境であれ、社会的な地位であれ、立場であれ、
人が勝手に、
幸せ/不幸と、思ってるだけで、
真実は、どうなのか、わからない。

あるのは、ただ、本人の実感だけなんです。

不幸な他人を救済したいなら、
まず、じぶんが幸せで、円満で、充足した状態を感じさせ、
それによって、人にも、幸せエネルギーを、分けてあげたら、どうでしょうか。

不幸な他人を救済しようとしている人は、
たいてい、本人が、「空っぽ」なことが、多い。

もっと、自分に集中したほうが良い。

「自分に集中しろよ。余計なお世話だよ」

「あんたの自己満足につきあってるほど、
私も、暇じゃないんだよ」

そう、返信してやろうとおもったけど、
無駄な働きかけに思え、返信もせずに、おいた。


このブログを読んでるかもしれないから、
これで、返信にかえる。


不愉快さを感じた人がいるなら、すみません。

でも、どうしても、書きたかった。

私の決意と行動を知って、
心から愛と励ましを、おくってくれ、
新生活を応援してくれている人も、たくさんいて、
とても感謝して、涙がこぼれそうなくらい、ありがたいと思っているから。

こういう無理解にふれると、とても、悲しいんだな。

わたしも、
人に対して、こんな過ちやエゴを犯さないように、
自戒します。





決戦の日。そして、古い過去・剣道のクリーニングから、見えたこと。

今日は、決戦の日。

前々日から、
その場所の名前、住所、郵便番号、
電話番号、担当者の名前など、
思いつく限りに、クリーニングできることはした。

そして、朝から、ブルーソーラーウオーターを飲み、
ペットボトルにもそれを入れ、
カバンの中には、KR女子の『ホ・オポノポノライフ』をしのばせて、
会場に向かった。

行く道も、いろんな感情や記憶をクリーニングした。

記憶におぼれそうになりながら、
クリーニングした。

待合室でも、クリーニングをした。

そして、出てきた話は、
とっさの判断を物凄く必要とする、
これは、「OK」なのか、「×」なのか、
判断に迷う、きわどいライン、内容だった。

でも、丹田に手を当てて、じーっと、落ち着けていたせいか、
クリーニングのせいか、
最終的には、
ここが、落としどころだとおもう結論を選び、
決断をして、進むことができた。


そう、
今日は、二回目の離婚調停だった。

なんと、「離婚」が成立しました。

何回も、半年から一年ほど、短くてもかかるとおもっていた調停が、
「離婚」という落としどころで、
なんと、二回目で、解決できた。

これが、まず、貴重なことだった。

なにしろ、
それまでの離婚の合意の話を全部白紙に戻し、
円満調停を申し立て、復縁をせまってきていた相手なのだから。



相手が提示した離婚の条件面では、不本意に感じることも多かったが、
それもクリーニングが必要な箇所なのだろうし、
とにかく、今が、決め時だと感じた。

こういう時の、決断は、
ほんと、肚に力を入れてするものなのだ。

「自分で、決断、する」

って、そういうこと。

烏天狗
(今日はなんとなく、天狗様・・・。バッサリ、決断。バッサリ、一刀両断。)

最近、クリーニングの成果かわからないけれども、
長い間、自分にとって、嫌な過去の経験、思い出だった、
「剣道」
という経験の、本当の中身が、感じ取れるようになってきた。

私は、剣道を小学生から中学生まで、みっちり習っていて、
大学でも剣道をやっていた。

その歴史は、私にとって「暗黒の歴史」で、
何一つ、自分には合わず、なんの得になっていない、
思い出したくない記憶だ、と思っていた。

が、実は、わたし、とても剣道の影響を、
体や無意識レベルで、受けていることに気づいた。

たとえば、身体の事では、
いつも、自然にしてても、とても姿勢が良いし、
肚の位置も決まっており、安定感がある。

声も、そのせいか、肚から出ている。
出そうと思えば、大きな声も出せる。

間合いの感覚も、なんとなく、持っている。

剣道の稽古のせいか、打たれ強いし、我慢強い。

そして、剣道にあてはめて考えると、
いろんなことが、とても腑に落ちて、受け止められることに、ここのところ、気づいた。

どうして、わたしは、剣道をこんなにも、
自分のものとして考えてこなかったのか。

きっと、いろんな記憶の再生があったんだろうね。

クリーニングすることで、初めて、
剣道を習っていたことで、私の血肉になって生きていること、
ポジティブなことが、沢山あると気づいた。


人間だれしも、
ここぞの、勝負時、というものがある。

そういうときに、
剣道をしていたときの感覚は、
とても役に立つのだ、と、今回気づいた。

剣道だけではなく、
なにかしらの武道や、芸事、
「道」のつく芸事をしてきた人なら、
そういう感覚があるとおもう。

ここぞの、勝負時の時、
そういう「道」で身についた感覚が、とっさに出る。

「勘」みたいなもの、かもしれないけれども。

私にも「勘」はあったし、
自分の身の押し引きも、本当はちゃんと学んでいたんだね。

それが、わからないって思い込んで、
できないと、思い込んでいただけなのだ。

剣道の「勝ち」は、3通りかが、ある。

まず、きれいな二本勝ち、というもの。

次に、相手に一本とられ、
じぶんも一本とり、
最後の勝負で一本とって勝つ、という勝ち。

また、自分が一本とり、
相手に一本取られ、
自分が、最後に一本取って勝つ、というのもある。

あと、「引き分け」というものあるけどね。

どのようにして勝つかは、
試合を運ぶかは、いろいろだが、
最終的に、勝てれば、
それは勝ちなのだ。

剣道の、そんな勝負勘が、ものすごく思い出された。

剣道の中には、
「相手に打たれる」ということも、
「勝ち」の中には含まれている、のだとおもう。

一本も打たれないで、勝つ、ということは、まあ、少ない。

何度も打ちかかって行って、
その中で、きれいな一本が決まったとき、「一本」として、審判の旗があがる。
それが積み重なり、「勝利」が導かれる。

日頃の、練習だって、そうだ。
打ち、打たれて、その繰り返し。
自分が面をたくさん打つときもあれば、
相手の面を受け止め続けるのも、稽古の一部なのだ。

いくつか小さな技を打たれても、
最終的に、自分が、勝てれば、
勝ちなのだ。

いま、初めて、
記憶の再生ではない、
ありのままの剣道と、出会えている気がする。

訴訟事で、
剣道のことを思い出すとは、思わなかったけどね(笑)。



バッサリと、また何か、
自分の中で整理され、
強くなれた気がする。

世間がこうだから、
人がこう言ってたから、とかではなく、
自分が感じる勘を信じて、観察し、考察し、
決断して、動くということ。

これからも、いろんなことがあるかもしれない。

でも、わたしは、そのときそのときで、
クリーニングしながら、
また自然と、決断していくだろう。

それでいいのだ。








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さすらいの文学少女・・・またの名を、夢見るファイター?。

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