卒業。オルゴールの世界。

自分の産科の一か月健診も無事に済み、ホッ。

およそ十か月お世話になった産科の先生に、
お礼の手紙を書いて、挨拶もして、一区切り。

なんとか手紙を書いたけど、
いろんな想いがありすぎて、ことばにしても、しつくせなかった。

言葉にならない気持ちは、感謝とともに、
これからずっと、大切に、じぶんのこころに置いておくことにした。


妊娠初期から、二週間に一度のペースでせっせと会っていたし、
いろんな紆余曲折を一緒に乗り越えてくれた先生なので、
会えなくなるのが、なんとなくさびしい。

先生も同じように感じてくれていたのか、診察の際、いろいろと云ってくれた。

とても高純度の、良い経験、チームワーク?エネルギーの交換ができたとおもう。

一つの目標に向かって、それぞれの立場で、それぞれの最善を尽くす・・・みたいな。

わたしが感動したみたいに、先生もなにか感じてくれたんだなって思った。


それでも、必要な経験、必要なひととき、
その時間を共有するための出会いであって、「適切さ」ってあるんだろうなと感じた。

これ以上・・・になったら、また別の感じになっていってしまうんだろう。

いま、ここで、こうして終わる、ひとつの区切りというのが、
また適切で、最善のタイミングなんだな。


biora


そんな風に、お世話になった方に、出産の報告とお礼のお手紙を書きながら、
ひとつの区切り目を感じていた。

季節柄もあって、なんとなく「卒業」の気分。





最近、母にも云われたけど、
ふしぎなほどに、
わたしは行く先々で、助けてくれる人というか、
良い先生やいい人に出会うことが多い。

台湾の占い師の先生には、「貴人の相」とか云われたけど、
いつでも助けてくれる人がいたり、目上の人に引き立てられる相があるらしい。

産科の先生をはじめ、
マタニティスイムの先生にしろ、そこの看護師さんにしろ、
接骨院の先生や、
美容院の人や。

ふりかえれば、色んな人からサポートと、エネルギーを受け取っていた。

その人たちが、その場その場で、仕事を通して、
わたしに最善のエネルギーと励ましをくれたから、
「今がある」って気持ちが強いし、
その結果を、また抱いて、
この、目の前の生命の塊を大切に育てていこうっていう想いが、出来上がっている。


さまざまに受けとった、奇跡や、ポジティブなエネルギー、祝福を、
これからは、赤ちゃんと一緒に生かして、未来につなげていきたい。


「これまで」を、「これから」に、生かそうと思う。


無我夢中で、
とにかく安全に出産を果たすまでに、全身全霊で集中していた。

自分の健康は、ちょっとくらい損なっても、
赤ちゃんだけは、健康に安全に・・・みたいな、
もう念力に近い、祈りというか、集中というか。

おかげさまで、こうして、母子ともに元気だったけど。

産んで、それで終わりではないんだな。

出産が、また新たなスタート。

また別のステージで、新しい経験が始まっているのを感じる。





・・・それにしても、「脳みそが、やられたか?!」とおもうほどに、
いまだに、気が付けば、涙もろいというか、
不意に感涙してしまいそうになるときがある。


じつは出産してから数週間くらいは、
世界がすべてキラキラしてみえるくらい、そんな感じだった。

なんつーか、ふだんは目に見えないはずの、
空気中の光の微粒子が見えるようになった・・・みたいな。

ホルモンのせいかとおもうが。

ソチオリンピックの、羽生結弦が金メダルとったときの逸話とか、
インタビューとか聴いてるだけで、
なんだか、泣けてきたりした。

羽生くんの場合、金メダルにいたるまでの大変だったプロセスと、
頂点に達した時の感動が、なんか、分かる気がしたのだった。

ここんとこ、かなりマシになって落ち着いたけど、
どこか、まだ脳みそに、それが残っている。


その独特の感覚は、どこかオルゴールの世界に似ている。



最近お気に入りの、オルゴールの曲。
オルゴールver.を聴いて、初めてこの曲が好きになった。




とはいえ、赤ちゃんの授乳&おむつ替えだけの毎日ではなく、
周辺では、たえず、いろんな出来事が起こってきてますよ。

なんでしょうか、ますます変化、変容のサイクルなのでしょうかね。

わたし自身には、あまり波が来てませんが
(おそらく、私の場合、その波がちょい早めにやってきていた?!)。


わたし自身の課題は、そんな周辺を観察し、見守りながら、
おそらく、客観性と無条件の愛なんだな、と。


出来事に、おもわず、驚いて、
「良い・悪い」で、反応して、感情をもらしてしまいそうになるけど。

客観性だな、と確認した。

感情移入することなく、
じぶんの世界、エネルギー、キラキラをマイペースに保ちたい。





さいごに、もう一曲。
最近、テレビで聴いて、気に入った曲。

ディズニー映画の、挿入歌は、毎度いいわけでもないけど、
今回のは歌だけ聴いても、いい曲な感じがする。

産まれました。

2月13日、

女の子を無事に出産しました。

2360g。

小さめなものの、元気です。

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kao

妊娠36週で、わたしが妊娠高血圧症になったたため、

管理入院となり、

予定日より数週間早く、誘発分娩での出産でした。



書きたいことが沢山ありますが、とりいそぎ、いまはご報告まで。






出産前、出産後、ウオークマンで聴いて、あらためてしみじみした曲。

いまの、わたしの気持ちにちかいのかも。



およそ二週間ほどの入院を終えて、

赤ちゃんを連れて、病院を出た日、

わたしも生まれ変わったみたいに、感じました。

その感じは、今でも同じ。



また落ち着いたら、書きます。

産まれるときの 音楽

昨日の節分あたりから、「ほんと、2014年になったかも」的な実感を感じている。

2014年もますます、じぶんも周囲も、変化が激しい感じがする。

けれども、
内からの必要、外からの必要で、変わっていくことに抵抗さえしなければ、
うまくまわるのかな~と思いはじめた。

窮屈なこだわりを、捨てること。



節分には、豆料理を作ってみた。

小学生のころ給食に出た、チリコンビーンズをイメージして、
トマトの缶詰と大豆の水煮、鶏肉などで、大体で作った。

意外においしくできて、
野菜もたっぷり、タンパク質も入って、
おまけに油や塩分も少なめ、濃いめの味が出たので、なかなかグット。

わたしとしては、結構お気に入りの味になったかも。
今朝食べても、飽きなかった。





昨日から10か月、臨月に入った。

大体、出産時の入院グッツは揃え終わり、あとは、LDR室に持ち込むリラックスグッツくらい。

一応CDも持ち込めるらしいので、どんな曲がいいかな~とやっと動き始めてみた。



ぱっと思い浮かんだのが、”カマカニカイリアロハ”。

サンディーフラスタジオで、フラを習っていたとき、発表会のために練習していた曲。

サンディー先生の歌がすごく暖かくて、女性的で、好きなのだ。

母性というか、
子宮=海を感じる歌になっている。

波の音、太鼓のリズムも入っている。


サンディー先生ver.ではないけど、曲はこんな感じ。

歌詞の意味は悲しくて切ないのに、すごく愛を感じる曲なのだ。

こうやって聞くと「やっぱりフラ好きかも~」と思う。

またいつか踊りたいな~。


それから、なんとなく、フラの曲ならリラックスできる気がするので、
手元にあるハワイアンミュージックで、好きなものを集めてみた。

ハワイアンミュージックでも、特に好きな、バラードっぽいもの。



ケアリイ・レイシェルとか。


ブラザーカジメロとか。

youtubeだと、
ざらざらした音だけど、この"pretty face/jealousy"って曲が、好き。






ブラザーカジメロのこの曲が入っているアルバムは、
3年前にハワイ島ツアーで行った、お土産屋さんで買った。

Island LoveIsland Love
(2010/03/23)
Island Love

商品詳細を見る


ワイピオバレーに入る前に、休憩した小さなお土産屋さんの、レジの横にあったCD。

なにげなく買ったのに、あれからお気に入りになって、よく聴いている。

このジャケットを手にすると、なんだか懐かしい。

結構リアルに思い出せる、旅の思い出。

ここまでの道のりを思うと、随分いろんなことあったな~と思う。

いま振り返ると、あの時間あの経験が、すべての始まりだった気もして。

とても不思議でなつかしく、キラキラ、ありがたいような気持ち。





お腹の赤ちゃんも、
ハワイの音楽みたいに、温かさと懐かしさに包まれて、
どんぶらこどんぶらこと波に揺られるみたいに、リラックスして、
気持ちよく産まれてきてほしい。

赤ちゃんが初めて、自分の耳で聴く音楽が、
そんな祝福に包まれた音楽だったら、
きっとずっと、その子にとって、いい気がする。

aloha

35週2日目~9か月~ 赤ちゃんスピードアップ。高血圧?

今日は、35週2日目。9か月さいごの週。

産科の健診に行ってきました。



赤ちゃんは、エコーで、体重が2200gと出た。

でも、おおらかな先生なので、ちょっとアバウトで、

「大きめに数値がでちゃったかも~」

なんておっしゃっていたので、まあ、2100gくらいかな?と。

それでも、一週間で、およそ200gくらい大きくはなっているから、

かなりがんばって?大きくなってきている模様。

赤ちゃん、スピードアップ!!


わたしも、意識して、フルーツ食べたり、

あまりカリカリ動かないで、

ゆったり過ごし、昼寝をするようにしていたので、その効果もあったかな?

おかげで、わたしの体重も、増えちゃってましたが(^_^;)。



それよりも、すこし心配なのは、血圧が高めなこと。

上が、130くらいで、下が90前後。

今日から、一日三回、血圧をはかって、来週報告することになった。

もともと血圧が低めな体質だし、一般には、高血圧の部類には入らない数値だと思うのだけど、

妊娠中は、妊娠高血圧症候群というのがあるらしく、警戒しなければいけない。


あまりしょっぱいもの好きでもないし、

わたしのつくる料理は薄味すぎて、相方にはいつも不評なくらいなのですが、

ちょっと気にしなきゃいけないな~と。


体重管理もそうだけど、

いくら厳密にやっても、もうホルモンの関係としかいいようがないくらいに無駄だったりして、

コントロールするのはかなり難しいから、

あまり神経質になりすぎず、意識する程度で、やってみよう。



妊娠後期に入って、だいぶ落ち着いてきたつもりが、
やっぱり最後の最後まで、油断は禁物。

赤ちゃんが無事に生まれ、じぶんの産後の肥立ちまでもが、大切だし。

妊娠出産って、そう単純じゃないよな~とあらためて。

いままで、妊娠出産を経験した世間の人や周囲の人が、あまり大変なことを話さないで、

幸せだった、うれしかったことを話していたようで、

よくわからなかったけど、

世の女性は、よくこれを、歴代、やってきたよな~と思う。


いまどき、いろんなことが発達して、便利な世の中になっているけど、
妊娠出産という生理現象だけは、どこか原始的な部分が残っているし、
やっぱり体を使ってなされるので、なかなか大変だ~。

経験してみないと、わからない。



大変なこともいっぱいだけど、だからこそ、
それを乗り越えて、神経が太く、ざっくらばらんに、おおらかになっていく部分もあって、
なるほど、こうやって、女性の強さはうまれるのかなと、思ったりする。


「子どもを産むと、途端に、おばさんくさくなる」とか、
悪い風にいうのを聴いたこともあったけど、
わたしが周囲を見ていて、思うのは、
子どもを産んで、育ててと、やってきた人たちの優雅さだ。

若い女性は若い女性の良さがあるけど、
経験を重ねた40~50代、60代くらいの女性で、エレガントで、魅力的だな~と思う人が多い。

愛情いっぱいで、何かを追い求めてキリキリせず、どこかもう達観していて、
じぶんの好きなこと・嫌いなこともちゃんとわかっていて、
マイワールドがあって、
良いことも、かっこ悪いことも、へへへん、ふふふと笑ってられるような。

わたしも、そんな風に、エレガントで魅力的な女性になりたい。


tea
キッドソンのカフェで、お茶。


ここ数日、古い地層からのノック…みたいな出来事が、二つほど。


またもや、前の職場の方から、メールがきて、出産前に会いたいとのこと。

・・・もういい加減、無理でしょ?と思う。

臨月に入って、危険をおかして、無理してまで、会いたいような人でもない。

その人が、わたしに「会いたい」気持ちは、自分本位であり、

わたしの都合など考えていないことが、明白。

お断りのメールをして、また返信がきたけど、そのままにした。



それと二年ほど前から、連絡が途絶えていた友人から、宅急便が届いた。

熨斗に、「お祝い」と。

おそらく年賀状で、結婚の報告をしたからだろう。

彼女が二年前に結婚した際、私も贈り物を送った記憶がある。

でも、その時期、体調が悪く、仕事も忙しすぎて、結婚式にいけない旨を伝えたら、

「なんで?どうして?」としつこく問いただされ、うんざりしてしまったといういきさつがある。

十代のころは、深く付き合った時期もあったが、大学以降はそれほどでもない距離感だった。

私が病気してから、ほんとに体調悪い時は悪いということを、どれほどわかってくれたかも、よくわからない。

そんなことがあって、
振り返ってみると、彼女は、十代のころから、自分本位な人だったな~と気づき、
距離を置くようになった。


こういう出来事って、けっこう、あって、
人の痛みや、人の都合を思いやれる人こそ、
大人なのだな、と思うようになった。


一昨年、私の祖母が突然、12月中旬になくなり、
喪中のはがきを出したのが、25日ぎりぎりになってしまった。

すると、ある友人がミクシイで、

「もう年賀状を投函したのに、今頃喪中のはがきを出してくる人、ほんと迷惑」

みたいな内容を、直後に書いていた。

彼女は、たぶん、わたしがその記事を読むと思っていなかったんだろうな。

人が死ぬのなんて、いつ死ぬかもわからないし、どうにもできないことなのに。

じぶんが逆の立場だったら、どう思うんだろう?と思った。

たった一枚のはがきのことで、そんな風に書く人の神経のほうが、わからないと思った。

人の痛みがわからない人なんだな、と。

(・・・ま、あとで調べたらわかったことだけど、
年末ぎりぎりの時期は、喪中はがきも年賀状もあえて出さず、
寒中見舞いで返信するというやり方もあるらしい。
そういうことも、そんな経験がないと調べたりもしないし、わからないものだ。)



それから、いくつかほかにも、まだまだネタはあるけど、やめておこう。

「断り」にしろ、年賀状にしろ、そうするには理由がある。

だから、
自分の考えや期待と合わなかったからって、
しつこく食い下がったり、怒ったりする必要はないと思う。

相手にも、そうしたくでも、できない理由だったり、都合があるのだから。


大人ならば、
「きっと忙しいんだな。彼女、体を壊したって言ってたし、大変なんだな~」とか、
「年の瀬に、家族がなくなって大変だったんだな~」と思いこそすれ。

わたしならば、そうだ。

自分本位の人は、幼いんだと思う。

あまり、個人的につらい、痛い思いも、したこともないのかもしれない。

だから、相手に対する想像力が、ないんだろう。


もうちょっと気づけばな~と思うが、
きっと永久に気づかない可能性が高いので、
わたしはあえて、距離を置くことでいいと、考えるようになった。


一方で、やっぱり想像力とゆたかな愛情、感性とがちゃんとあって、
大人な対応ができる人たちもいて、
「こういう風な姿勢が、大人ってことなんだな」と教えられたりもする。

たぶん、そういう人たちは、やっぱり人の痛みや都合を、思いやれる人だと、気づかされた。


だんだん、二分化していくのかな~なぞと思いながら、
自分を振り返る今日この頃。

34週3日目~9か月~ 「諦め力」

現在、34週3日目。九か月。

昨日は、恒例の、産科健診に行ってきました。

赤ちゃんはいたって元気。

体重は、現段階で1800~1900gと、ちょっと小さめだけど、
標準内なので、OKとのこと。

わたしはSLE持ちということもあり、
来週から、週に一度のペースで、健診に行く。

赤ちゃんが小さめというのを、すこし気にしてみたりしたけど、
帰宅後も、お腹のなかで元気にぐにぐに動いている赤ちゃんを感じていると、
小さくても、元気なら、だいじょうぶだろうって気持ちになった。


接骨院の治療の甲斐もあってか、
左ひざの痛みもかなりマシになってきて、
まだ無理はできないものの、一時の引きずるような歩き方はしないで済むようになった。

ほんと、いろんなことがあるな~。



ここ一週間ほど、
外的な出来事もありつつ、
じぶんのなかで、水面下で、めまぐるしく変化していく何かがあって、
ブログも、一度書いた記事を、消してみたりした。


勢いで書いてみて、
それはそれで気持ちよかったものの、
なんとなく、じぶんの内心では「わかっている」ことを書いている気がしたから。



友だちのブログに「2月には、旧暦の正月」って話が書いてあり、
そういえば、
まだ旧暦では旧年なのだな~、なんて気づかされ、おっと思った。

新しい流れもすでに入ってきつつ、
まだ旧いものの残滓を、揺さぶり落とすような、お試しの出来事もあるのかな?と思う。

新しいモードへ、チェンジするための、内外の調整。

それこそ骨盤調整みたいなもの。

これまでの癖がついてしまった体を、
つぎの新しいモードに合わせるために、力や衝撃を加えて、調整する。



沖縄のサイキックカウンセラー・知名藤枝さんのブログにも、
最近「諦め力」について結構しっかり書かれていて、メッセージを感じた。


ここ数日、やけになった挙句、つぶやいたのが、

「思い通りにいかない」「思い通りにできない」

って言葉だった。

たぶん口に出してみて、初めて、じぶんが無意識にそう感じていたことに気付いた。


でも、声にしてみて、わかった。

「思い通りにいかない」なんて、あたりまえだよね、ってこと。

「思い通りにいかない」ことを、「思い通りにしよう」とするから、無理な圧力がかかる。

そこにこだわっているかぎり、

ストレスはたまるし、鬱屈や不満は溜まり続ける。

結局、それらは、外部になにかを求める・期待することなのだった。



そのポイントにこだわり、いじりくまわして、同じ感情をずっと味わっているより、

じぶんが純粋に楽しいこと、エキサイティングに感じること、癒されることをみつけて、

探究する、一つでもやってみることのほうが、

よほど生産的だし、本道って気がした。


外部の「思い通りにいかない」ことを気にすればするほど、
エネルギーはダダ漏れになり、
じぶん自身に使う、生産的なエネルギーや時間が、枯渇することに、気づいた。




もちろん「うまく、いかなさ」って、わるいものではなくて、

それを体験するからこそ、見えることが沢山あり、貴重なものだとおもう。




いろいろ意味で、「あきらめ」って言葉は、いまのわたしには、大きな気づきでもあり、癒しでもある。



きのう、ずっと、ゆっくり読み続けてきた、山本周五郎『青べか物語』を読了した。

わたしが、この小説をよむきっかけになった、くだりが、やっと出てきた。

それはこんな箇所だ。

「巡礼だ、巡礼だ」
暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は興奮をしずめるために、声にだして呟いた。
「苦しみつつはたらけ」
それはそのころの私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、
ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、
「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」



結局、なにかを得ても、またなにか別の悩みは出てくるだろうし、
この世に生きている限り、
「安住」とか、「変化しない」なんてことは、無理なんだろう。

受け入れつつ、
じぶんができること、じぶんのいる場所で、どう生きるかが、問題なのだな、と。

そうやって生きること自体が、生きる意味なんだろう。





かたや、最近の世の中をみていると、
「成功した人」「やったもん勝ち」みたいな、
一発勝負みたいな生き方にも、スポットライトが当たっている気がする。

ある意味、両極端に分かれているのかな。

どっちがいいとか、わるいとか、ないんだろうけれど、
その人に、合う・合わないがあるのかもしれない。

世の中のすべてのひとが、
「やったもん勝ち」の生き方を狙いだしたら、それはそれでおかしい気もする。


そういう勢いも好きだけど、
丁寧に生きる、感じる、成長する時期も、必要なのかもと思ったりする、今日この頃。

「成功した人」も、結局、地道に充電してきた時期があるからこそ、
「やった」ときの突出があるんじゃないかな。

なにが本物か。

その人の価値観が出てくるよね。

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