のんさん主催『自分が大好き❤︎セルフヒーリングプロジェクト』に参加してきました

のんさんの、

『自分が大好き❤︎セルフヒーリングプロジェクト』

の春分の日の会に、

参加してきました~。

gohan

ひさしぶりに、いただいた、の
んさんの手作りご飯がやっぱり激美味しくて( ゚Д゚)、

これまた、この日のために厳選してくださったワインが美味しすぎて、
するする入ってしまう!!

その結果、
最近の日常生活の行動範囲では、抑え気味だったトーンが、
素のまんま、すっかり陽気で、
あけっぴろげな私に、早くも、元通り。

すみません、
初対面に近いから、ゆっくりと、近づいていくべきかも?!なところを、

なんだか、まどろっこしいことは、省いちゃって、
どんどん、聞きたい事、話したい事、はなしちゃった感がありました・・・。テヘ。

そして、それを共に面白がりながら、
自分の心の内や、思い、経験を、
正直に、率直に、語ってくれた方たちだったことに、
感謝です。

それも、とても大きかったです。



くわえて、
ヒーリングのワークも、とても奥が深くて、

自分をあらためて、掘り下げる、

自分の気持ちや習慣、パターンを見つめ直すことが、自然とできるひとときで、

「あ~、参加してよかったな~」と。


あんまり深く考えないで、ただ、

「このタイミングなら、参加できる!」と、即決していたため、

参加してから、その意義を、じわじわと感じてました。


他の項目はさっさとかけるのに、

ルーティーンを書き出す項目で、手が止まった自分がいました。

毎日なにげなく、無意識にやっていることでも、
ルーティーンとして意識しているか、していないかで、
感じ方、過ごし方が違うんだろな~とあらためて。

自分の行動、習慣を見つめ直すのは、とても有効と、感じました。


絵にまとめる作業もあって、
久しぶりに、
言葉から絵にしていく作業をしてみて、
子どものころの感覚を思い出したのも、意外。


子どものころ、
絵が大好きだった。

未だに、その小学生の頃の生き生きした感覚は覚えているのだけど、
それを久しぶりに思い出しました。



大人になってからは、
言葉のほうが、巧みなタイプと、自分自身ではおもってて、

イメージより、ロゴスが優位なタイプかもしれないと、思っていたフシがある。

案外、それは思い込みで、

言葉からイメージ化する方向性ならば、楽しいし、苦じゃないな~と、今回、再認識。

たぶん、いきなりイメージから入るより(いきなり絵をかきだすより)

言葉があって、そこからイメージを描き出す方が、
私にとっては、自然で、やりやすいんだな~と。

言葉に関するイメージなら、たくさん持っているからかも。



他の方たちと話していた時、
自分で自然に言っていたことで、不思議だったのが、

「もう、次のステージに入ってきている気がする」

「痛みや、傷の共有とか、癒してほしい~とかいう段階もあるけど、

それは、もう終わって、

いまは、ただ楽しいって感じ。ただ楽しみたいっておもう」

とか、ぺろっと言っている自分がいて、

云いながら、へえ~、そうかもって思っている自分がいて。


自分が思っているより、
実は、私の現状は、ずっと、調子が上向いているのかもしれないって、思った。

基本、自分への認識が、
他人に対してよりも、厳しくて、
いつでも、「足りない」「自分なんか」って思う、思い癖があり、
ダメ出ししているから、よくわかっていなかったんだろな~。

でも、心のどこか実感としては、
なんだか最近、調子よいかも、
イイ感じに楽しいな~、
自然に楽しいな~って思っている気分があって、

それを自分に結び付けていなかったんだろな~。

「そんな感情、ただの思い過ごしだよ」みたいな、自分への冷たい批評。


最近、
パウロ・コエーリョの『ヴァルキリーズ』って小説を、これまた読んでいたのですが、

今思うと、
あ、そういうことかと。

自分に対する、すごい厳しい突っ込み、批評、否定する声ってのは、

ヴァルキリーズでは「第二の心」って表現されていて、

あと、『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』でも、「わたしのなかの他人」みたいな言葉で、表現されていた。

ようは、エゴの声のことなんだよね、って、気づき。


自分が調子よくなってきても、
ポジティブな良いことがあっても、
なにか心おどる希望を思い描いても、

失敗を恐れたり、不安、自己否定がベースになって、

エゴが巧みに、否定の言葉を、ささやいてくる。

自分の声のように思ってしまうけど、それは、エゴの声なんだよね~。

エゴからみた自分ではなくって、

本心、直観、ピュアな感覚も、もっと信じていいのではないか。

その自然な発露を、流れるままに、流していってあげてもいいのではないか。

エゴを消そうとすると、余計に暴走するから、
それは注意深く、そのまま、そこに置いておいて、

でも、喜びや楽しい気持ち、好きって気持ちを大切に育てればいいのかも。




小説のヴァルキリーズでは、エンジェルに会うことがテーマになっていたけど、

今回ののんさんのご飯会で出会った方たちも、

どこか、『ヴァルキリーズ』に出てくる、ヴァルキリーズをほうふつとさせる、

自由で、自分の本心に率直で、

そしてパワフルでワイルドな魂を持っているように、いま、ふと感じた。


魂に従った、フリースタイルの生き方。

フリースタイルの関係。

そんなビジョンが見えてくる。



いろいろ、盛りだくさん過ぎて、
まだ、まとまりきれない、この感覚。

もうちょっと咀嚼したら、また、落ち着いてまとめてみたい。

それにしても、
ワインが美味しすぎて、酔っぱらっていたのか、
いつもみたいに、お料理の写真が、ぜんぜん残せていない!!!

どんだけ、楽しかったんだい!!




「すごい人」に、刺激される。行雲流水。




ギター一本で、
どこでも、歌をうたって、

自分の世界を、立体化してしまう。

周囲を巻き込み、

染めてしまう。

ミュージシャンはかっこいいな~。

全身で、表現。

その瞬間、その人のすべてが、放出されてるんだろうな。


私も、
みんなの前に立つとき、

そのくらい、「自分」、出せているかな。

よし、出すぞ~~~。






今日は、昨夜の停滞から、
午前中くらいまで、

停滞モードを引きずっていたけれども、

お昼に、偶然Eテレでみた、



『こころの時代~宗教・人生~』

の、

禅僧・野田大燈さんのお話に、

めっさ、刺激をうけ、

おおおっとなり、

途中目頭熱くなりそうになり、

これだ、これだこれだ~~~!!!!

って。

高松で、禅の道場の活動を
禅を通した、
心の教育といった生活面からの変化で、
青少年の教育や更生など、さまざまなことやってきたお坊さん。

すごいよ~。

感動したよ。



世の中、
すごいひとたくさんいて、知らないだけなのだ。



自分がへこんでる、

いま・ここで、修行していることなんて、

まだまだ、修行のしゅの字でもないような、

そんな大きさを感じた。


青空を流れる、

大きな大きな、白い、雲・・・・みたいな

そういう大きさ。


自分は、
「まだまだ、なのだ」と思った。


思いっきり、生きるのだ。

いま、このくらいで、
ぐちぐち音をあげているより、

今を一生懸命、最善尽くして、生きて、

そこから学ぶだけ学んで、

あとは、空に任せて、

卒業する日は、卒業すればよし。

きっと、どこかへつながっていくだろう。



いま、ここで、学べないなら、

きっと、いつでも、どこへいっても、

学べない自分のままなのだ。


だから、思いっきり、吸収するのだ。

今、ここを、生きるのだ。


いつか、夢につなげるために。


知らぬまに、夢を生きているために。

いまを、生きるのだ。




奥田民生、かっこいい。

『イージュー☆ライダー』

厳島神社てのも、またいい!!

順田ひろみさんwithつばささんの、お話し会に、参加してきました。

極限までいく。

底の底までいく。

臨界点まで行く。

とにかく、行けるところまで行って、

自分でできるところまで、
心身ともにやってみて、
あとは時空的な制限や、天の流れ、運みたいなものまでってところまで行って、

ああ、これくらいだな~って
なって。

残業帰りの帰り道は、
建物も、
通勤でつかう商店街や、駅や、電車の中でさえ、

いつもと違う、
夜の景色で、
それはそれで、別世界だった。

ふしぎな、すがすがしさ、があった。

追い詰めていく作業は、正直、
もう自分にはいらない、
あんまり私には合わないって思っているのだけど、
見守ってくれる、
一緒に終わったことを、よかったですね~って言ってくる、
先輩たちがいることだけが、
そんな心の交流だけが、支え。

そんな昨夜、
なにかが、変わった気がしたんだよね。

小さくて、微細な、何かなんだけど。

何かが、変わった気がしたんだよね。

イニシエーションというか、
通過儀礼?
洗礼をついに、受けたな~、わたしも、って感じで。

流れにさからわず、
むしろ、
その流れに、自ら乗って、泳いで、ダイブしていく感じで、やっていたら、

自分では、
引け腰で、
自分はそうはならないんじゃないかって、ラインを、
ごく簡単に、知らぬ間に、超えていく。

だから、
『洗礼』って感じ。

つべこべ、云ってる余裕はなく、
ただ、DO。

ただ、する、だけ。




そうかと思えば、

今日は今日で、マッサージですっきりした後に、
とろんと眠くなりながら、
電車に乗り、
池袋まで。

友達の企画した、
お話し会に参加。

これが、すんごい良くて、目から鱗、
というか、
心から、どうどうどうって、涙が出るというか。

順田ひろみさんって方の
お話し会だったのだけど、
本当、良かった。


おすすめなので、
リンクを貼っておきます。

『順田ひろみ』さんのサイト


歌も素敵だし、
本人の生き方、姿勢、考え方も、
すんごい、すてきだった。

すてきというか、
越えちゃっていた、いろいろなものを。

しかも、自然体で、
難しい言葉も使わずに。


今日、もう、ファンになってしまった。


「フーグア」。
すごい曲。


この曲も、すき。

歌もうまいな~って思っていたけど、
ご本人に会ってから、もう一度聴いたら、
この温かさが、余計にわかるんだよね~。

今日、その場を一緒にした、参加者の人たちも、イイ感じの人が多くて、
時間的にも、体力的にも、
休みたいところを、
思い切って、遠出してみて、よかったな~と、しみじみ。





今日から、
なぜだか、ふしぎに、ふいっと、抜けた感じがしてたんだよね。

今日の午前中くらいから。

水星逆行が、明日で終わるって、気分も影響していたのかも。

じりじりとした気持ちで、
この一二週間、過ごしていたからな~。

さまざまな「腑に落ちなさ」を、
じっと観察しながら、
降ってくる雨に、耐えていた。

でも、けっこう、
うまく、乗り切った、超えたな~って、
今回の期間は思えるな~。

今週は、だんだんと、楽になってきた感じがしていたし。





あと、先ほど知ったことには、
明日明後日は、
満月らしいですよね。


どおりで、なにかが、
変わりそうな、
気分がするわけだ~。



一つ、わかったこと。

あのね。

やっぱり、わたしは、わたし、みたいですよ。

りっぱな、かっこいい、つよい、人間に、なれるわけでもないみたいだし、

あらかじめ、かなり完成されているらしい、周りの先輩たちみたいに、

強権的に、りっぱに、子どもたちを、仕込むということも、できないタイプだし。

強くおどさないから、なめられているかもしれない。

そういう姿勢や方法が、
そもそも、肌に合わなくって、とにかく「やらねば」で、やっていたが。




・・・・でも、ぐるりとまわって、

それでいーんだ、って、今日、思ったんです。


つまり、合わないな~って感じている自分も、
努力して、やろうとしてた自分も(もちろん、それを止めてもいいし、続けてもいい)

でも、根本には、

わたしは、どこに、いても、わたし、だから、

「合わない」は、「合わない」でいーんだって、思った。




順田さんに、会の終了後、
帰り際、すこしだけお話しさせてもらって、

それが、わかった。


わたしは、私以上にも、以下にも、ならなくて、

ただ、そこにいるだけで、

「ここに、ただ、いるだけ」

で、いーんだって。



愛だけじゃ、ダメだって、思っていた。


愛だけじゃ、ダメだって。


でも、いろいろ出し尽くした結果、

わたしに最後に残るのは、愛だけ、だとも思うのだ。

だから、これまでみたいに、

愛だけで、生きていこうと思う。

変に、技術や技巧や、
心理学や、
交渉術で、

誤魔化すのではなくて、そのまんまで、いいってことにした。

そも、そういうので、ごまかせる、器用なタイプではない。


何かに、なろうとする、努力ほど、
つらいものは、ない。


そして、人はみな、
何かなろうとせずとも、良いのだな、と。

もう、そのままで、
ありのまま、
自分のままで、いいのだと。

ai
順田さんのメッセージ付きの、トンボ玉。
どれ一つ、同じものはない、トンボ玉の中から、
この言葉に惹かれた。

そして、そんな深い気付きとともに、
もう一つ気づいたこも、あった。


でも、そっちはね、
じぶんのなかで、これから、大切に、形にするよ。






人と会った後の、フィーリング。

昨日は日中、とっても穏やかに、気持ちよく過ごせていたのですが、

夕方になるにつれて、
だんだんと、重い、だる~い、面倒くさい気持ちになってきて、

気持ちを奮い立たせて、
家を出ていきました。

K駅で人と会ったのですが、
連休中の繁華街ということもあり、
ガチャガチャ、ごちゃごちゃしていて、
それだけで、たぶん、疲れるのでしょうね。

あと、夜の飲みって、

若いころとちがって、

だんだん肌に合わなくなってきているのか・・・。

「日中、会えばいーじゃん!」って思っちゃう。

わざわざ、夜から出かけるのが、面倒くさく思っちゃう。

気の置けない友人たちと、
夜でも、
ゆっくりお話ししながら、お食事&お酒をたしなむのは、至福の時なんだけど、

たぶん、
居酒屋で、飲むのって、なんだか、もう・・・・ダメなんでしょう。

居酒屋ってのも、
ガチャガチャした、
体にくさいにおいの残る、居酒屋というか。

大衆酒場、赤ちょうちんでも、
店内がピンとしてて、美味しい、活きのいいお店ならいいんですが、

中途半端な、薄暗い照明の、チェーン店みたいなのは、なんつーか・・・・。

どうして、合わないんだろう。

でも、まあ、合わないから、違和感感じてるんだろうし、
しかたないんだろう。

私も、変わったってことでしょうね。

人と会うと、
それはそれで、楽しいのだけど、

相手によっては、
本当に話したいことを、話せている感じがしないのです。

自分と異なる世界、接点を、
意識的に興味をもとうと努力し、
意欲的に聞く意識で、楽しもうとするモードで、
その場を、乗り切ろうとするからでしょうね。

それで、疲れるのかもしれないです。

ocean


自分でもふしぎなんだkど、
人と会った後の、

感覚、感触、気分、フィーリングって、
ぜんぜん、
相手によって異なるのです。


正直、
昨日の会合は、帰宅後から、今に至るまで、

「抜く」のが、大変で、大変で、困った。

ひととおりの、
デトックス作業をして、なんとか、復旧の方向へもっていってますが。


じつは、この方、
前回も、会った後、
復旧するのに、時間がかかった。

会った後に、
気持ちよくて、さわやかで、温かくて、元気になる人もいれば、

ゴウゴウ、強風が吹きすさんでいるような、
「オズの魔法使い」の、
竜巻のなかを、ごちゃごちゃ、いろんなものが飛んでいるような、
混乱?
なんともいえないような、心地悪さ。

あと、また別の人だけど、
過去には、
その人と、会った後、どよ~んと、
心身共に、重くて、だるくて、疲れた人もいる。
変に落ち込んだり、気分が落ちた。


いずれの人も、会っているときは、
話も弾んでるし、なにか嫌な事言われたわけでもないし、
楽しいっちゃ楽しいし、
すごく盛り上がっている場合もある。

でも、なぜか、相手の人と別れた後、
お家に帰ってきて、
翌日とか、バイオリズムが、変な感じになっている。



・・・・わたし、エンパス体質ってやつなのかもしれない。

エネルギーバンパイヤってのも、本を読んでみたことある。




正直、
こういうのが、続くと、考えちゃう。

自衛するってのもあるし、

一度目は、「気のせいか?」

とも思うけど、

二度目、三度目は、

ちょっと、もう、「なにか、ある」と思った方がいいかもしれない。


相手が悪いわけでも、
私が悪いわけでもなく、

たぶん、互いの、エネルギー、波長が、合わないんだとおもう。

友好に、フレンドリーに、
お互いお話ししてても。

人に会いに行って、
逆に疲れるって、
なんのために、会ってるのか、よくわからないよね(;^ω^)。



以前から、そういう傾向はあったけれども、
気のせい、とか、
気にしすぎ、とか思って、
自分の感覚、フィーリングをまともに取り合わず、
漫然と、日常のなかで、色んなことをしていくなかで、戻していくことが、多かった。



最近は、
こういう感覚やフィーリングも、
意識して、受け止めて、
自分の方法で、切り替えるほうが、自分を整えるのには、いいのかもしれないと、思い始めた。

職場にしろ、仕事にしろ、
会う人会う人、
いろんな人がいるから。

エネルギーが感じやすくなっている時代、ってのもあるんだと思うのだよね。

良い意味でも、悪い意味でも。

だから、自分の整え方、守り方、いろいろ練習&研究していくってのも、
いいことだと思う。





青空と白い雲、新緑と風。そして、確信。

新緑

昨日とはうってかわって、

晴天の青い空と、白い雲。

そして、さわやかな風と、

木々の新緑が、きらきらと揺れていました。


祖父は、かくじつに、

天国に行ったことを確信しました。


祖父の一生が、どんなものだったのか。


出来事や行いとともに、

その人の目に見えないところでしていたこと、

目にみえない心の働き、愛の働きも、

すべてのことが、

表れていて、

目に見えなくても、感じられるようでした。


その人が、どんな人だったか。

すべて、その最後に現れるのだな~と、私は感じました。


つまり、
逆説的に、

私たちがいま生きていることが、
そのまま、結果になるし、

最終的に、おしまいになったとき、
どんな、生き方をしていたか、
そのまま出てくるのだなと、感じました。

その点で、
祖父は、本当に、生き方のお手本のように、思える人でした。

死んでから、その偉大さが、しみじみと感じられました。


悲しくはないけど、

あまりに、大きかったな~と、あらためて思って、

感動しているのだとおもいます。


肉体を失っても、
たましいは、ずっと続いていて、

空のむこうへ、

新しい世界へ、

旅立って、いったこと。

そして、祖父の人生は幸せだったこと。

わたしは、確信しました。


くしくも、
昨日、引いた、知名さんのアファメーションカードでは、

「私は崇高な魂やエネルギーに出会います」

でした。

昨日の朝は、

ぜんぜん、そんな風に感じられず、

そんなことってあるのかな~なんて思ってました。

でも、思い知りました。

崇高な魂、エネルギーって、

おじいちゃんのことだったんだって。







ここ数日で、

複数のなにかが終わり、

そして、色んな出来事や人々との関係性を通じながら、

私の中で確信をもって、

なにか確立していく、

信念のようなもの、

真実のようなものが、

静かに、穏やかに、しっかりと、かたまっていくのを感じました。




じぶんというものの、取扱い方が、

だいぶ、わかってきた、

わかってきたような気がしました。


多くを語らずとも、

特別になにかしようとせずとも、

自然に、お役目を果たせるようになっているし、

きっと、これから、そうやって生きていくんだろう。


自分のいる場所で、

置かれた場所で、

感謝しながら、最善を尽くして、生きていこうとおもう。


私も、死ぬときに、

悔いのないように、

向こうの世界に、旅立てるように、

いま、ここで、

生きていきます。



今ここに生きながら、

二つの世界、

否、

三つの世界を・・・・過去世と現世と、

来世と、・・・・・

同時に生きている、

人間って、ふしぎな存在。





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