ジブリ映画。映画「セッション」と「プラダを着た悪魔」

ここのところ、
娘がぐぐんと成長して、

「となりのととろ」がきっかけで、ジブリ映画を幅広く見るようになり、

しょっちゅう、ジブリ映画の上映会状態である。


宮崎駿のセンスや世界観、批評精神、人間学のゆたかさに、

感嘆しつつ、

癒やされ、洗われている。



毒が抜けていくんだよね~、ジブリを見ていると。

アニメなのに、画面の色彩も、美しいし、

音楽も美しい。



なーんてやりながらも、

久しぶりに、TSUTAYAで映画を借りてきて、

「プラダを着た悪魔」や「セッション」を観たりもした。


セッションは、長所もあり、短所もありの映画だけど、

なんかわかる~、わかりすぎるほどに、わかる~でありつつ、

でも、人として、人生観として、どうなの~ってところが両方ある映画だった。




120%を求める、すごさと、情熱、愚かさと、狂気、本気と、

光と影の、両面。

プロのジャズ音楽家からみたら、映画中の音楽性自体は酷評されたりもしてるらしいけど、

物語として、映画としては、うーむと思わされるところあった、私の場合。


「プラダを着た悪魔」のミランダにも通じる、な~。





出版社と、大学と、舞台や道具立てがちがうだけで、設定は似てる。


ああ、でも、一歩間違えれば、ハラスメントだよねっていう・・・(「セッション」のほうは)。


怒鳴られたり、罵られたりに、
びくびくしているうちには、相手を超えることはできない。

圧倒的な力の前で、

萎縮する自分や、恐れや恐怖、不安など、ちっぽけな自分はどうでもよくなって、

殻がむけて、

対峙し、乗り越えていくところからが、本当のスタート。



「相手が○○だから~」ではなく、

「自分は○○だから~」に視点が変わっていく。



まあ、「セッション」の教授は、やりすぎと、思うけど(^_^;)。

文化系のなかで、

音楽は、じつは肉体派・体育会だとおもっていた。前々から。

この映画では、まさに、スポ根ってかんじ。やりすぎだよね。

ま、映画だからだろうが。

指導法に、洗練や文化、品位、人間性が感じられないと、

いくら実力派の教授でも、

教師として、プロとして、芸術家として、二流だとおもう。


ただ、フレッチャーをみていて、

わたしが彼を憎めない、どこか、共感してしまうのは、

この鬼教師が、音楽への情熱と誠実さ、
ぴったりと、経験に裏打ちされた感覚、音楽のセンスがある・・・という人物像だからだとおもう。

偉大な音楽家を、再び生み出すために、
生徒を、さらに上にあげるために、
考えて、考えて、やり尽くしてきたと・・・・。(でも、結局、理解者はいない)。

あとは、誰になにをいわれようと、
結果がすべてで(卒業後の生徒が、音楽家として成功する)。



それが無かったら、誰も、こんなパワハラ&アカハラの人についていかないだろうね。

それは、「プラダを着た悪魔」のミランダも、同じ。

文化、教養、経験に裏打ちされたセンスや感性の強さ、
他の人にないものがあるから、人がついていく。

たぶん、そんなカリスマ自身も、
なにかをたくさん引き替えにして、
そこまで、自分を高めてきたんだろうな~って感じの、すごみ。

ミランダも、フレッチャーーも。


あ~、こんな鬼教師に、鍛えられて、
その人の言われるがままに
自分を磨いて、
それで上がっていけるんなら、
悪魔に魂を売ってもいい・・・・

なーんて、ちらっと思ってしまう気持ちが、まだあるんだな~と、
笑ってしまう、わたし(笑)。

いまなら、わかる。

しみじみと。

そうやって、誰かに上げてもらえるうちは、まだまだ、ひよっこなのだなと。

だって、自分のセンスだとか、独自性、独創性を作るより、
言われるがまま、
相手に全責任を任せられるんだもの、ある意味。

偉大な先輩の世界をコピーする・・・という・・・。

コピーし終わって、
余裕がでてきたら、
その次が、見えてくるのかもしれないけど。




人生も、夢も、生活も、

なんだって、ほとんど、自分が自分をあげていくしかないんだよね。

ほんっとーに。

だれかが、どうこうしてくれる、わけじゃないんだね。

自分でやって、考えて、トライ&エラーでやっていくしかないのだな、と、
しみじみ思う。



そして、ちょっと休みたいときは、

ジブリ映画の世界に戻ってきて、

ヒューマニティに包まれて、

癒やされる・・・・と(笑)。










同年代の活躍

情熱大陸で、
今年の芥川賞作家の羽田さんのドキュメンタリーをみて、
30歳だと知り、
同年代、同世代的な共感を持ちつつ、
まだ若いな~と感じる部分もあった。

若さゆえのよさ、
志、情熱、
そして、若さゆえの、固さもある人。

17歳の時にデビューしていたらしいから、
それから、十年以上、文壇で活動しているわけで、
いまの世間の印象よりも(テレビにたくさんでている芥川賞作家の若者)、
実際は、
実直で、手堅く、戦略的に活動している人なんだろなと、私は思った。


で、
姉から借りた、又吉直樹『火花』を、
表紙眺めたり、
冒頭だけ読んでみたり、
いじくりまわして、いつ読みだそうかと、
じわじわと、大事にとってあるのだけど、
その一環で、
本の後ろにある、略歴を先にみてみたら、
「1980年生まれ」とあり、
驚愕。

タメではないか~!!!!!( ゚Д゚)

もっと、年上かと思っていたよ。

もろ、同期だよ。

おいおいおい。

大学時代の仲間や、大学の頃の自分の夢など思い出した。

あれから、
およそ十年以上が経ったわけだが、

歩いてきた道筋が、
いかに、人によって異なるか、
ほんと人生様々だよね。

二十代のころだったら、
同い年の人が成功したら、
嫉妬や焦り、劣等感で、
悶々としたもんだ。

わたしも、年を取ったせいか、
人それぞれの道…と思うだけで、
交換不可能性を感じるだけだ。

ばかみたいなはなし、

私は又吉さんにはなれないし
(大体、20代からお笑い目指して、芸能界とか、絶対選ばない道)

又吉さんも、私にはなれないだろうっていう、

そういう不思議な納得というか。


そして、
昨日、たまたまBSの番組をみていたら、
メキシコの死と生、エロスがテーマの
旅番組で、
壇蜜が出ていた。

壇蜜も、
じつは、タメだったことを思い出した。

おもしろい~。


同年代の活躍を
知ると、ちょぴっと励まされる。

叱咤激励される。


それぞれの場所、
それぞれのスタイル、個性で、
自分の人生を拡げているとおもうと、
わたしもがんばろっておもう。

来年は、申年。
わたしは、年女。

申年のラッキーカラーは、「赤」で、
私の数秘術の、誕生数「1」のラッキーカラーも、火=赤、
しかも、来年のわたしのイヤーナンバーは、「1」らしいので、
やっぱり、赤がラッキーカラーかも。


来年は赤をちょこっととりいれよう。

言葉の力

村上春樹
『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』、
読了。

山場を読み超えたころ、
残りのページの厚みから推量して、
う~ん、
と、
なった。

ちょっと、物足りない終わり方。

肩透かし。

私にとっては、そう感じた。

この、肩透かし的なストーリーの決着というのは、
村上春樹の小説によくあることだったか、どうか。

この作品だから、かな。

コミットメント(かかわり)
デタッチメント(かかわらなさ)。

この二つが、
村上春樹の世界の、キーワード、軸の一つらしいと、

河合隼雄の対談で知ったのだけど、

この作品にも、それは明確に感じた。


Mステで、たまたま見た、
この人たちの歌が、
ずきゅんときた。

純文学チックだわ、歌詞が。


文学って、
なんだろう?って、再び思いだしている、今日この頃。

先日、Eテレのハートネットで、
筋ジストロフィー詩人を知って、
ひさしぶりに、涙がこぼれた。

身体性と、言葉。

この二つが、分かちがたいということを、
猛烈に感じ、
実感した。

前よりも、ずっとずっと。
実感する。
言葉には、確実に、身体性がある。

その人にしか、語れない、
出せない、
言葉の力、重みってもの。

村上春樹の人物、言葉も、
村上春樹しか出せない言葉なんだけど、
村上春樹なんだよな~。

って当たり前か(笑)。

ちょこっとだけ、人を幸せにできる ~映画『プール』、『シェフ』、その他2本。

ブログを読んでくださってる方も、
なんとな~く、思ってるかもしれないけど、
ここ数週間の私は、
心身共に、チューニングがめまぐるしく、変化しているっぽいです。

そこらへんの調整で、
体にも出てきたのか、昨日あたりから、風邪気味で、ちょっとだる~い。

思いや考えも、内向きになっている。

でも、急にそうなったんじゃなくて、
たぶん、変化が必要だから、そうなっているっぽい。

そんな中、
映画DVDを、5本ほど借りていたのを、
コツコツみてたんです。

『アニー』
『プール』
『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』
『モンスターズ ユニバーシティ』

これがね~、なかなか、いずれも良かった。

『アニー』は、NYの雰囲気が出つつ、
コメディタッチの、ハートフルな映画で、
よかったわ。



歌詞が、心にしみる。



『モンスター ユニバーシティ』
は、個性や才能、
友情や協力ってものを、考えさせる学園ものだった。

夢があって、憧れがあって、
努力努力でがんばってきた、華はないけど、優等生の子と、

名門の一族の子で、実力も才能も、華もあって、
でも、ぜんぜん智恵は無い子と。

みんなで考えて、協力し、解決することの大切さとか、強さみたいなもの。

そうそうそう、って思いながら、観ていた。


そして、一番心に残った映画が、

『プール』と、『シェフ』だった。



『プール』
は、やはりこのシリーズらしい、
静かな情景と、タイの南国の空気の中で、
人と人とが、適度な距離で、かかわりあっていく、淡々とした物語。

静かなんだけど、
すべてがどこか、ぴんとしてて、清潔で、優しい。

母と娘の、心理的確執、対話があって、
それが、このゲストハウスの人々との時間の中で、
解けていく。

小林聡美が、女主人の役を、また上手に演じている。

お料理がいかにもおいしそうで、みんなで食卓を囲むシーンが、絶妙。

そのメニューだって、特にグルメってわけではない。
庶民派な献立が多い。
ただ、王道なりの、ぴんとした美しさで成り立っている。

たとえば、『プール』でいけば、「揚げバナナ」とかね。

会話は少なめで、
一緒に座って、美味しいものを食べるだけのシーンも多い。

一緒に過ごすだけで、伝わっていく何かが、あるんだな。

たぶん、人によっては、
まったく、良さがわからない映画だろうな~と、いつも思う。
このシリーズの映画。
『かもめ食堂』、『トイレット』、『めがね』・・・も。

でも、この映画の良さをちゃんと感じて、
このシリーズが好きな人がたくさんいるってのが、
わたしには、嬉しいし、
こういう世界があっても、いいよね、って、いつも思うのだ。


それから、『シェフ』は、
父と息子の絆を取り戻す、物語。


予想以上に面白くて、よい映画だった。

仕事の忙しさや、世間的な評価、
グルメ研究家の評判などで、生き生きとしていなかった、
一流シェフが、
人生をやり直す、お話。

脚本も良かった。
いいセリフがあった。

主人公は、本当に本当に、料理すること、
料理をして、人に食べさせることを、愛している、職人肌のシェフで、
息子に、
料理について、こういっていた。

「料理というものは、
ひとを、ちょこっとだけ、幸せにすることができるんだ。

パパは、それが好きだから、
ずっと料理をしてきたし、これからもしていきたい。

お前にも、そんな料理の素晴らしさを、教えたいんだ」

って。


この
「人を、ちょこっとだけ、幸せにする」ってのが、
わたしのハートに、バーンと入ってきた。

そう、それは、
ほんとうに、ちっぽけな喜び、幸せ、満足感、感動かもしれない。

ごくごく、ありふれてて、
世界を変えたり、人類を救ったりするような、
大きなものでは、ないかもしれない。

でも、
まるで、魔法みたいに、
その「ちょこっと」が、あるか/ないかで、
ひとの人生、がらっと、変わってしまう。

これって、
食事、料理だけではなくて、色んなことに言える。

「私にも、
人を、ちょこっとだけ、幸せにすることができる、何かがあるなら、
それを、やっていけばいいんだ」。

この映画をみて、そう、励まされた思い。

「また、一つ、掴んだな」って思った。

それに、主人公の「息子に伝えたい!」という思いが、
本物で、それも、すごく胸に響いた。

元気になる映画だったな~。

心の中の「王」 ~ファンタジーの世界で感じたこと~

昨日は、映画『ホビット 思いがけない冒険』を観ました。

ロード・オブ・ザリングの、姉妹編です。

あのファンタジーの世界観が、とてもフィットするし、
頭の中が整理されて、
クリアになる感じ。

夢の中の、リアリティに似ている。

私は、けっこう、夢をよく見て、
朝目覚めても、
明確に夢を覚えていることが多く、
その感触とか、フィーリング、感覚が
ずっと余韻として残っていることも、多々あり。

そういう時って、
夢と現実のあわいを、
行ったり来たりしてるのかもな~って思う。

ふりかえってみると、
小説を読むこと、本を読むことも、
夢をみる時に、
ちょっと似通っているのかも。

現実ではない、
別次元を体験、体感、している経験。

話は、『ホビット』に戻って、
ホビットを見ながら、
アクション映画や闘い、架空の存在が沢山登場し、活躍する中で、
ふしぎに、
現実に通じるリアリティを、強く感じる。

たぶん、物語の本質や、
登場人物の葛藤、信念、乗り越えていく様に、
人間の本質に繋がる、哲学や法則を感じるからかもしれない。

あの世界に登場する「人間」は、
他の種族(エルフ、魔法使い、オーク、ホビット、ドワーフ等)に比べて、
心も弱く、エゴがあり、卑小で、
精神的に揺れる、頼りない存在だ。

だけど、
勇気をふるって、信念を貫き、
愛や友情、他者のために団結すると、
ものすごい力を発揮する存在として、描かれている。

それが、とてもリアルに感じる。

また、『指輪物語』『ナルニア国物語』と、連続して観てみて、
「王」という存在にも、
感じるものがあった。

「王」って、支配者で、征服者、権力者という否定的イメージが強かった。
それって、
日本人だからかもね。

でも、ファンタジーの世界で描かれる「王」は、
たぶん、
人間の心の中に存在する、
英雄的なもの、
愛と勇気、行動力、賢さ、強さ、謙虚さ、智恵、祝福といった、
「善なるもの」の象徴なんだな。

それが、
エルフのように盤石のものもあれば、
人間は、弱さもはらみつつ、
その弱さを克己して、越えていくところに、
さらに、強さを発揮するという・・・。

人間は、本来、誰に支配されるわけではなく、
全ての人が、
じぶん自身の王国の、
王なのだ。


そう、あらためて思った。

大島弓子の漫画
『綿の国星』でも、
似たようなモノローグがあったな~。







google広告

最新記事

検索フォーム

カテゴリ

プロフィール

Mari

Author:Mari
さすらいの文学少女・・・またの名を、夢見るファイター?。

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

リンク

フリーエリア

CREDIT

top