自分を知る。話したくなければ、話さなくてもいい。

新しい場所、
新しいことに挑戦すると、
みえなかった自分に気づくことがある。

きっと、ずっと、
わたしはこんなところあったんだな~と確認しつつ、
内心、
人のことを気にしたり、
馴染まなきゃ、仲良くしなきゃとか、思っているじぶんの気持ちにも、気づいている。

子どものころから、ずっと、
集団が、
じつは苦手。

どの子と、どの子が仲良くて、
この子は、場所に馴染んでなさそうとか、馴染んでるな~とか。

すごく観察しているというか、見えてしまうというか、
気にしてしまう。

そして、じぶんが一番馴染んでいないように感じてしまう。

でも、
気持ちよく過ごすために、
悪く思われないようにしなきゃ、
浮いても行けないし、
目立ちすぎても行けないとか、
変に、すごく考えすぎてしまうところもありつつ。


幼かった頃の自分は、
高校生くらいまでの自分は、
そんな自分が嫌いだし、
ダメだって思ってた。

友達作るのがへたくそとか、
社交的じゃないとか。

すぐにオープンになれない自分は、
暗いとか、内気だとか。

ダメだしばかりで。


でも、おとなになった今、
そんなおどおどしている気持ちを観察しつつ、
そのままにさせている自分と、
それを観察している自分がいる。

必要以上に、そんな自分を悪く思っていたのは、
じぶんの過剰な色付けだったかもな~と。
思い込みだったのかもしれない。

じぶんは、
そんなじぶんでも、良いのだと、
今なら思える。

思ってやっても、いいだろうと、思える。


今日も、カウンセリングの練習をしていて、
不意に、
先日、夢の中で、従妹へ云っていた言葉が思い出された。

「話したいことがあれば、話せばいい。

でも、話したくなければ、無理に話さなくてもいい。

その方が自然だし、いい。

話さない自由もあるのだから」


夢の中で、
従妹の悩み話を聴きながら、
わたしが彼女に云っていた言葉だった。



わたしにとっては、ふしぎに、
この感覚、姿勢は、
いろんなことに通じる。


よい・わるいではなく、
じぶんにとって、自然か、無理してないかが、大切な気がする。

みんながこうしているから、
こうすべきだから、こうしなきゃ、じゃなくて。

自分に対してもそうだし、
人に対しても、そんな感じ。


無理して、オープンにならなくていいし、
なにかある、のは感じるけど、
その人が話したくなった時に、話したければ、話せばいいと思う。

で、ほのぼのと、見守っている。

オープンにならない選択も、
あるという、
自由。

選べるというところに、
自由と愛があるとおもう。
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