光と風と水と。

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「きれい」と、「きれいごと」。清濁をたのしむ、愉楽庵。

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ByMari

「本音で生きたい。生きよう」。

と妙に熱く思った今日。


とある人と物事が気になってしまい、
その気になる観を、
ずーっと分析&観察していた。

その結果、
理屈じゃないんだけど、
どうも、それらにまつわる物事や人たちが、
なにかじぶんを偽っている、
じぶんで、自分に嘘ついてる感じがするから、
気になって仕方ないと気づいた。



「きれい」なものと、
「きれいごと」はちがう・・・という、
フレーズが思い浮かんだ。


どうも自分をごまかしたり、
自分を無理やり納得させるために、
自分を見ないために、
極端なスピリチュアリズムにはまったり、
極端な食事療法や、なんとか療法、なんとかワークにはまったり、
そういうの、
痛々しいというか、
みてて、うーんと思ってしまう、わたしに気づいた。



その心理はわかるけれども、
「痛々しさ」がある。


じぶんをクレンジング、
きれいにしたい欲求なんだろう。
願望というか。

無意識の底に眠る感情は、
たぶん、
じぶんを肯定したくって、
必死にそうやってる気がする。

カリスマのその人たちに従えば、
そうなれるって。

でも、いくら、じぶんをきれいにしたいとか、
浄化したい、純化したいと、
いろいろやってみても、
じぶんの本質をみつめて、受け入れて、底上げしていかないかぎり、
そういう行動をとることで、
自分の本心を見ようとしていないだけって、気がして、ならない。


「自分を愛する、愛する」
と云っているけど、
ほんとうに、それが、そうなの?
って思ってしまう。

極端な菜食主義で、これとこれしか、食べない!ってのもいいだろう。

その人の選択だ。

一方で、
ガハハハ笑いながら、
楽しそうに、マクドナルド食べて、
自分の好きなこともして、
ちょっとやそっとのことじゃ、死なないし、騒がない人のほうが、
健康的な気もする。

tubaki


どうも、わたしの思っている

「きれい」は、

清濁を併せ持ったところに、あるかんじ。

どっちとも飲み込んで、
そのはてにある、
昇華されたなにか。

嘘ついて生きて、辛いくらいなら、
濁ってて、どろっとしているところ全開で、
堂々と生きているほうが、
まだいい。

だって、
キレイだけの人もいないし、
汚いだけの人も、いないのが、
本当だと思うから。


うまく説明できないけど、
最近、漠然と、自分の中のこのテーマが見えてきた感じ。

煩悩上等!!

清濁あわせて楽しめる人。

人生万事、結果オーライの考え方に共感できる方たちと、

屈託なく、さまざまなお話をたのしめる場を、作りたい。

こだわりなく、参加者同士のお話をしつつ、いろんな意見があってOKな。

ジャッジはなく、
ただ、お話を聴き、たがいの声を交換しあう場。

わたしの憧れ?である、寂聴さんの「寂庵」を意識して、

名づけて、

「愉楽庵」。

その主催者たるわたしは、

寂聴さんを気取って、

おもいっきり、無茶ぶりの相談をされても、

なんでもお答えします。

「愉楽庵」
形になる日を、お楽しみに。




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