今日は、高校時代の部活仲間と、再会。
プチ同窓会で、横浜・崎陽軒のレストラン、
「イル・サッジオ」に行ってきました。
ひさしぶりに会う、なかま。
聴いてみたら、どうやら5年ぶりくらいでしょうか。
それぞれの環境や状況は異なるけれども、
基本ベースは、やっぱりあまり変わっていなくて、
そこにホッとする。
ああ、ああ、そうそう、
このかんじ!って感じ。
この友達たちは、ふしぎに、
高校時代、いつも五人で動いてた。
偶数ではなく、奇数ってところも、おもしろい。
誰かが、誰かとだけ特に仲良いとかもなく、
まんべんなく、
それぞれのひとが、
少しずつそれぞれの人と重なる部分があり、
違う部分もありで、
おもしろくフォローしあって、仲間だった気がする。
そして、誰が中心とか、そういうこともない。
わたしも、気楽に、
その仲間の円のなかにいて、
じぶんらしく、好きなように、させてもらっていた。
いまとなっては、それが、わかる。

前菜、生ハムはおいしかったぞ~。黒こしょうが効いて。
発泡性ワインと合いました。

パルミジャーノチーズ風味のジャガイモのスフレ。
質感はざらざら、チーズ部分で底上げ。

はまぐりと新たまねぎのポタージュ。こっくりとしている。

メインディッシュは、健美鶏 春野菜添え オレンジ風味のバルサミコソース
肉に、柑橘系のソースって合うんだね、とだんだん学んでくる。
肉はやわらかで、さっぱり。
でも、もうちょい、オレンジと酸味が効いててもいいか
フレッシュなパンチがほしい。
飾りみたいな、プチトマトのオーブン焼きみたいなのが、美味しかった。
デザートも、ぼちぼち。
パスタも、ぼちぼち。
味覚も、だんだん、自分の好みがいろいろ出てくると、
それなり感覚が出てくるので、おもしろい。
全体として、こういう場所で、こういう値段で、満足ライン。
だけど、もっと美味しいものを知ってしまっているので、
「感動」はしない、といった感じ。
「なんだろうね~、感動って・・・」
ってのが、
わたしの最近のもっぱらの興味。
こころ、揺れ動かされる。
吸い込まれる。
魅せられる。
ふわ~っと包まれる。
しーんと清められる。
いろんな感動があるのだけど、
その質感、感触は、
その出会ったものによって、ぜんぜんちがう。
どうやって発生するのかな~?
エネルギーのちがい?・・・それもある気がする。
それを、ずーっと追っていきたい。
お口直しではないけれど、友達と解散した後、
そごう美術館で開催中の、
『円空・木喰展』にひとり、行ってきました。

入口入った途端、正面に、
大きめの、円空の観音像。
わたしたちを出迎えるかのような、すうっとした姿。
円空、木喰って、
どこかで見知っていた。
たぶん、白洲正子展とか、柳宗悦展とかでちょこっと見てたのかな。
ぎゅっと一堂に会している仏像たちを見て、
すごい濃いものを感じた。
説明ぬきに、仏像にむきあって、
じぶんの率直な感じを、あじわってみた。
円空で、とくに気になったのは、木端仏。
木端片に、
そのまま仏を、シンプルに彫っている。
彫っているというより、
顔を付けただけ?というのもある。
それでも、すごい存在感。
その究極形が、
どこかの田舎のお寺の厨子から発見されたという、
1024体の千面菩薩。
ちびた鉛筆の先みたいな、
小さな、小さな、木彫りの仏像が、何体も何体も。
この人にとっては、いろんなものが、
すべて神に繋がっているというか、
神にみえちゃうくらいの感じだったのだろうな、と思った。
小さな仏、ひとつひとつが、
小さな念仏のつぶやきだった。
ぶつぶつ、ふつふつ、わいてくるような。
つぶやくたび、一つ彫る・・・その無限のくりかえし。
そんな素朴さ。
吸う息、吐く息、
呼吸とともに、仏を彫り、作ってしまう。
展覧会のサブタイトルが、
『微笑みにこめられた祈り』
だったのだけど、
じっくり見ていく中で、なるほどな~と、じわじわ感じる。
作品の大きい、小さいは問題ではなく、
単純に、エネルギーなんだな。
現代では、美術品として、こうやって飾られるけど、
そもそもが、
信仰のために造られたもの、というもの、大きいのだとおもう。
信仰がなくとも、
美が、芸術が、かぎりなく崇高な力をもつ場合もある。
それはそれで、また別の機会に、考えてみたい。
後半、木喰の仏像をみて、
その円満な顔に、
なんとも、癒された。
擬音語でいえば、
「てりてり」。
なぜか、もう、
てりてり、という言葉しか、出てこなかった。前半(笑)。
「てりたま」とか。
「まるまるっと」とか。
この殺伐とした世に、
これ以上ないほどの、円満具足の顔。
この仏像たちと向き合ってると、
完全、別空間になっていく。
とくに気になったのは、
子安観音像。
マリア像やマリア観音を思わせる、
小首をかしげた風情に、ぜんぜんあか抜けていない丸顔ってのが、
なんとも胸に温かく迫る。
作った人の、愛情、ぬくもり、慈愛が伝わってきた。
でも、この木喰っておじさん、
なかなか、タダモノじゃないってのは、
その自像を見れば、わかる。
この笑みの中に深い深いものがある。
優美な観音像や菩薩像が、まあ、代表作なのだろうけど。
意外に、惹きつけられたのが、十王尊という、
ずら~っと勇ましい顔や、笑顔や、
表情の異なる神さまがならんだものだった。
十王尊というのは、地獄の神さまたち。
亡者の審判を行う。
ウィキペディア:十王それに閻魔さまや、鬼、奪衣婆がついて、
ど真ん中の、高い位置に、
木食上人の像がある。
このずらっと並んだ、十王。
丸い笑顔のひともいれば、鬼みたいな人もいて、
みんな帽子をかぶっている。
こちらを見抜いて、みんなで審判している。
「嘘やごまかしは、通じないんですね」
わたしの裏も表も、すべて見られている感じがした。
人間が人間にする「裁く」ってのとは、隔絶した感覚。
でも、それで不安・恐怖するより、
ありのままの私を、分かってもらえている、ふしぎな感じがした。
私がここのところ、ずっとモヤモヤしていたことに、
一つの答えだったのかも。
天に照らし合わせて、
じぶんのすべきこと、
じぶんが良いと思ったことを、すればいいんだな、と。
そんなこんなで、今日はたっぷり、自分に与えた気分。
今朝のライフアファメーションカードで、
「美しいものに触れ、美しさの中に自分を置きます」
とあったけど、
ほんとぴったりな、一日になりました。
- 関連記事
-