「とりかえしのつかない」ことと、許し。

偶然かもしれない。

必然かもしれない。



カウンセラー講座のワークで、
ある文豪の短編を使った。

子どものころの体験が題材で、
すこしお金持ちの同級生がもっている文房具が、
どうしても羨ましくて、
欲しくて欲しくて、
ついに盗んでしまった、ぼくのはなし。


そして、それがバレてしまった時の描写で、

「とりかえしのつかない」というフレーズがあった。


たまたまかもしれないけれど、
昨日、ある人と電話で話しているとき、

「とりかえしがつかないってことが、
世の中には、
あるんですよね」

って、語っているわたしがいた。


してしまったこと。
云ってしまった言葉。

もう、無かったことには、できない、というのがある。


ゲーム文化や、
デジタル社会で、
簡単にリセット、リカバリーできる感覚、
便利な感覚がどこかに発生している。


でも、実際には、
人間関係でも、
そう簡単にリセットできないことばかり、だ。

すごくアナログで、世界は、回っている部分もある。


やってしまった後、
そのときの感情、背景の理由、
さまざまにあるのだろうし、
後から、”気づく”ことで、
反省し、
後悔しきり…ということもあるだろう。


でも、やはり、まるきり無かったことにはできない事は、いくらでもある。


その短編小説では、
結局、
盗まれたほうの同級生も、先生も、
盗んでしまった僕を、許してくれる。


そんな友情と愛の物語


でも、「許さない」「受け入れがたい」というのも、
ときには必要で、
厳しい愛によって、初めて知ることもあるのだと、
わたしはいま、思っている。


わたしは、本質的には、最初から最後まで、
いまでさえも、許していると思う。


かといって、
また同じような状況に戻るということは、
”自分を大切”にしないことだし、

人は喪失や失敗、挫折によって、
やっと深く気づいたり、
変わろうと決意・決断するきっかけに、なるのだと感じている。

わたしも、ここまで徹底してこなかったら、
自分は気づけなかったし、
変わろうと本気で思えなかったと思う。


だから、これまでのように甘く判断し、
相手から、
そんな契機を奪うのだとしたら、
私が決断した意味もなくなってしまうと、感じている。



「とりかえしのつかない」経験も、
人生には、必要なんだとおもう。

自分のなにげない言動も、
人の心や、周囲のものたちへ、
おおいに影響を与えていることに気づく。

言動や選択にも、じぶん自身の責任がでてくる。

もっと、一つ一つを、大切に、本心で生きられると思う。

一期一会、
ひとつひとつを、かけがえのない出会いと思えば、
生き方も変わるはず。

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