カウンセリングの面白さ。シンクロシニティ。

昨日は、二回目のセッションに行ってきた。

かたやカウンセリングの勉強しながら、

カウンセリングを受けるって、

ちょっとおもしろい体験。


以前、河合隼雄さんの体験談で読んだのだが、

ユング派の修行しにドイツ留学した際には、

教育分析といって、

河合さんもたっぷり専門家から、カウンセリングを受けて、

それがお勉強だったのだそうな。


最近おもうに、
クライアント体験が豊富なほど、
豊かなほど、
カウンセリングの奥深さや、意義や働き、
陥りやすいこと、一方で、感動的な変化、
また、人間力みたいなことあって、あるんだな~って気づかされる。

カウンセラーになりたいなら、
まず、クライアント体験をたくさんして、
色んな人に出会ったほうがいいような、気もしてきた。


私の場合、別に、それが目的でもなかったのだけど、
(※それ=カウンセラーになる)、
結果、
授業でも授業以外でも、
一般的な心理的カウンセリングや、スピリチュアルカウンセリングなどなど、
さまざまなクライアント体験を通して、
いろんなカウンセラーに出会ってみると、

ああ、こんなにも、
カウンセラーによって、違うんだな~。

人間力もアドバイスも、
解釈も、見方も、カラーも、
空気感、間合い、肌感覚も・・・ということが、
経験で、わかってきた。

正直、
カウンセリングって、正解はないんだね~という、実感。

心理学や自己啓発、精神世界の教科書みたいな本はあるし、
理論や、
それをやってきた、学んできたって教養・知識は必ず役立つと思うけど、

最終的には、
どれくらい人を見てきたかとか、
経験値とか、
それでいて、その人のカウンセラーとしての柱みたいなものが、
いかに、しなやかで、強度があるのかとか。

キャラクターや、人格、度量ってものが、ある気がする。

たとえば、
昨日のカウンセラーさんが云った言葉を、
また別のカウンセラーさんが云ったとしたら、
わたしは、受け入れられないかもしれない。

「不自然さ」を感じたかもしれない。

それは、もう、理屈ではなく、

目に見えない何かをキャッチする、「?」ってやつ。

それって、
スピとか、直感つよいとか、強くないとか以前の、
人がみな、日常で自然に使ってる、
じぶんにとっての、センス、
センサーなんだと思う。



最近出会った、そのカウンセラーさんは、
たぶん、前回やってもらったカウンセラーさんより、

クライアント経験が豊富で、経験値も高い分、

コンサル的に、自分の意見もガシガシいう。

主導権は割合、カウンセラーさんである。

「え?これって、傾聴的には、NGな人では・・・(笑)」
「この人の話を聴きに来てる?」

と一瞬思う(笑)。

でも、面白いのは、
それをカバーできるほどに、
全力で、受け止めている感がすごい。


観察してて、失礼かもしれないけど、
そのクライアントを、受け止めるときの、
全力感は、
一歩間違えれば、「役者か?!」というほど、
オーバーアクションだが(笑)、
それくらいしないと、人って、
通じない、伝わらないものもあるのかも、と思ったりする。


だから、カウンセリングが終わったとき、
理屈じゃないけど、なぜか元気になってる。


カウンセリングって、双方向のものなんだってことも、
最近、感じ始めた。


たとえば、
わたしが、最近「愛と力」について思索してたのだけど、

そんな話はちっとも伝えてないのに、

目の前で、カウンセラーが、

「力」について、話し出したりする。


その人がいうには、こうだ、

「力」というのは、
最初からタフな人、精神的に強い人がもつものもあるけど、

そうじゃない力ってのもあるんだよ。



「レジリエンス」って言葉があるんだけど、

それは、傷ついたり、弱ったりした人の、

凹んだところが、もとに戻るときの、

反発力のことをいうのだそうな。


最初から、強い人がもっている、力ではなく、

一度傷ついた人、力を失った人の、

再生する力、
癒す力、
リカバリーの力。

そういう力のほうが、
繊細さや、弱いもののことをも理解できる、
本当の強さなんだ…

みたいな話を聴いた。

おおおおと思った。

感動した。

こういうのって、すごいな~って思うんだよね。

ユングのいうところの、シンクロシニティなのかもしれないけど、
そういうのが起こる段階で、
そのカウンセラーさんは、
かなり私の心や、無意識に近づいてるんだと思うよ。


それから、
シンクロシニティーは続き、
たまたま、テレビで『プロフェッショナル 仕事の流儀』がついてて、
羽田空港の掃除の仕事の人たちの回だった。

ずっと苦労してきた、掃除担当の女性。

掃除の鬼といわれるような、厳しい上司について、
ずっと必死でがんばって、
だいぶ、技術もいいところまで行っているのに、
ずっと、「こころが、足りない」といわれる。

その「こころ」ってのが、ずっと、彼女はわからなかった。

あるとき、気づく、

掃除の技術は、一生懸命やれば、上達できるし、
自分の担当箇所を、きれいに掃除することはできる。

でも、それを必死にやって、きれいにしても、
それは自己満足。

掃除をすることで、
そこを使っている人、お客さんが、喜んでくれるかどうか。

お客さんが喜んでくれなければ、意味がない。

そこに心が、うまれる。

・・・・みたいな話だった。

そう思ってから、
掃除をする際にも、こころにゆとりがうまれ、
ふしぎに、掃除しているときも、お客さんからも声をかけられるようになったのだそうな。



なんか、頭で鐘がなるような気持ちだった。

掃除掃除掃除。

掃除は、きれいになる、目に見えて。

でも、きれいにすることだけが目的で、
技術をあげて、徹底してきれいにしてって、やってたら、
自分だけの、自己満足。

人がそれに「きれいね」と感動し、
「ありがとう」
「素晴らしいね~」って共感してくれる時、

たぶん、自己満足じゃなくなる。

けなげな、
人のために、誰かのためにって気持ちが、そこにあるからだとおもう。

初めて、その「掃除」が輝きだす。

すべて、お客さん、
だれかを喜ばすため、なんだよね。

「おもてなし」に繋がる、
掃除道の奥の深さに、感動しましたよ、

哲学を感じたよ。


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