人の魅力。理解すること。「苦手なものを好こうとする努力」について。

昨日は、カウンセラー講習の日でした。

毎度、奥深い気づきと学びがあって、
内側と外側と、すごく刺激になる。

人間の奥深さ、に気づかされて、
感動して、味わい深い。

輝きの種類にもいろいろあって、

硯で丁寧にすった墨の中に、金箔を浮かせたような、とか、

妖精の粉みたいな、パステルなきらめき、軽やかさとか、

草の葉についている朝露の一粒みたいな、とか、

それぞれの人の輝きがあって、

それがとても好き。

そういうのをみてると、
人間が好きだなと思う。


でも、それをわざわざその人に伝えたりしないで、
ちゃんと時がきて、必要なら、
その人に伝えようってくらいの、いまは、気持ち。


人って、じぶんでは気づかない、気づけない、魅力や美点がたくさんあって、
ときどき、
それを自然にふりまいているんだけど、
本人はぜんぜん気づかなかったりするのが、
ふしぎである。


へたすると、
むしろ、人からは美点や魅力として受け止められているのに、
本人は、それが大っきらいで、自分の一番きらいなところだったりするのが、
また、おもしろい。

自己概念を何度も何度もとらえ直していく、
みつめていく過程で、
じぶんをありのまま見る、受け止める練習を続けていくと、
ひとのことも、割合に、バランスをもって、観られるようになる気がする。


一つつけ付け加えるとしたら、
たとえ、そのように、総体的に人々をとらえたり、自分をとらえたりして、
理解するようになったとしても、
イコール、
その人と一緒にいよう、とか、
その人のことを好きになれ、好きになろう、とか、そういうわけではない。

べつに、それでも、
やっぱりこの人と自分とは合わないな~って思えば、
一緒に居なくていいし、
または適度な距離で付き合えばいいし、
むしろ、無理して一緒に居ようとすることが、
お互いにとって、不自然って場合もある。


理解することと、
好きになる、好きと思うこととは、別物である。

理解することは、
無条件の愛、
人がそのままでいる権利を認めるということ、かもしれない。



最近思うに、
苦手なもの、嫌いだなって思う人やものを、
無理に好こうとする努力ほど、徒労かもしれないってこと。

そんな経験も無駄ではないけど、
結局、自分を知るために、
それをしているに過ぎない気がする。


自分は何を好きなのかを、
探究していったほうが、
よほど、広がりがある気がする。

自分が、何を好きなのかが、
皆目わからない場合は、
消去法で、
自分が嫌いなものを分析していくと、
その対照として、好きなものもみつかるかも???といった、
活かし方はある。



面白いのは、
どんぴしゃ好きってものもあれば、
どんぴしゃ嫌いってものもあり、

好きかもしれないけど、正直あんまりピンと響かないとか、

ちょっと嫌いだけど、なんだか気が付けば、やっている、いつも近くにある・・・とか、

白黒はっきりわかれない、グラデーションってものもある。

そういうのも、微妙に微妙に、
丁寧に丁寧に違いを観察していると、
とても面白い。


自分の好み、自分の心理が、だんだんとわかってくる。

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