出雲國一之宮・熊野大社。一回性の火。

夏至スタートだった、四泊五日の旅のレポートもしたいと、おもいつつ、
おもいもつかない課題がひょこっと出てきたりして、
実務的に動いて、手つかずです(^_^;)。

旅自体もけっこう盛りだくさんだったので、
いつもみたいに、最初から最後まで書くのが、大変そう。

なので、ときどき思い出したところを、
いまのわたしで、書いてみます。

福井~島根(出雲・松江)~兵庫県・東条湖~静岡・浜名湖と回った旅で、

一番、好きだったところ、気持ちよかったところは、

島根の奥出雲にあった、

『熊野大社』

たまたま宿泊に選んだ旅館が、
この隣で、川を挟んですぐ向かい。

『ゆうあい熊野館』ってとこ。

村の真ん中にあって、
日帰り入浴もにぎわってて、地元の人がバンバンくるような、
それでいて、結婚式や宴会もやるような、
地元感たっぷりな建物。

ひょっとすると、熊野大社さんが作った宿だったかもしれない。
熊野大社で結婚すると、ここで披露宴できるという案内もあったし。
あまりに接近し過ぎてて、神社の敷地みたいだったもんな~。

なにはともあれ、
福井から一日がかりで高速で移動してきて、
夕方に、こちらへ到着。

まだ日が沈んでいなかったので、
その足で、一度参拝させてもらった。

くまの1

なぜ、出雲で、熊野???

母が手配してくれた宿だったし、あまり調べてなかったのだけど。

熊野大社って、案外、日本中にあるから、
よくある、和歌山の熊野大社の末社かしら・・・くらいに、思ってた。

だけど、参道から進んでみると、
予想外に、とてもすてきな空気。

こりゃ、ただの神社ではないぞ、と思ったわけです。

くまの2

川が流れてて、朱色の橋をわたるとき、
ふわ~ってすごく気持ちの良い風が吹いていた。

注連縄が、出雲式で、もりもりっとした太いので、
ますます、「こりゃこりゃ!」と思った。

古いのだけど、とてもよく手入れされてて、
地元の人に大切にされている、愛されている、
神社独特の、あの優しいほっこりした空気。

本殿からは、雅楽のような音楽が聞こえてて、
お祭りのためか、
小学生くらいの女の子たちが、巫女さんの鈴をもって、舞を練習してました。

そんな音や風や空気も、さらに心を優しくしてくれた。

珍しかったのは、「鑚火殿」というお社。

燧杵・燧臼という、古代の人が、火をおこす道具が祀られてありました。

なんでも、熊野大社の御祭神の素戔嗚尊が、火おこしの方法を、人間に教えた神さまだとか。

日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)という別称があり、
「火」の発祥の神社とのこと。

これが、面白くってね~。

後で調べたところ、出雲大社の宮司さんが、
重要儀式の際、ここに火をもらいにくるという由緒ただしい神社らしく、
へたすると、こちらのほうが格が上とか下とか、議論があるようです。

まあ、格の話は、どうとしても(笑)、

なんか、そういうのも、わかるな~って感じの神社でした。

素戔嗚尊って、荒々しい男の神さまっていうイメージがあるのですが、
なぜか、
わたし、好きな神社、縁がある神社って、
男っぽい神さまのほうが多いことに気づいた。

走水神社も、日本武尊が御祭神の一人だし、
熱田神宮も、祀られている天叢雲剣って、
素戔嗚尊がヤマタノオロチ対峙した時に、出てきたの剣を、
ヤマトタケルが授けられて使っていた草薙剣だ…とか、
あとから調べれば調べるほど、
繋がりが(゜o゜)。

なによりも、和歌山の熊野本宮大社のご祭神は、名前は違えども、
素戔嗚尊なのだそうな。

ああ、マイ熊野が・・・。

ああ、なにやらとっても、繋がっていく・・・。

出雲の果てにきてまで、
クマノってる、わたしって・・・(笑)。

荒々しい神さまって話なのに、
そこの神社自体の空気を感じると、
とても優しくて、温かく鄙びてて、ど~んと、ほっこりしてて、
繊細なところもありつつ、凛と威厳もあって、おおらかな感じが、気持ちよくって、
「ここ、大好き!!」って感じた。

ぶっちゃけ、個人的には、
翌日参拝した、出雲大社より、フィットする感じでした(^_^;)。

(時間帯のせいか、出雲大社、人が多すぎて、工事もしているし・・・感じるセンサーが鈍った(^_^;)。
そこに着くまでで、疲れすぎたのもあるかもしれない。)

今思うと、色んな情報もあるけれども、
そこの空気、エネルギーに、
自分が心地よさを感じるか、フィットするか、自分の感覚が大切なのかな~って思った出来事でした。

大きくて、有名なところより、
案外、小さくても、穴場のすてきなところのほうが、合うかもしれないし。

「荒々しい神さま」って先入観でも、
それ自体のエネルギーは、神社によって、異なるのかもしれないし。

自分の感じたこと、感じることが、大切な気がする。

くまの3
また行けたら行きたいな~。出雲の熊野大社。
また八雲米を食べるぞ。
そんで、今度は、須佐神社をちゃんと参拝しよう。
素戔嗚尊の魂が、眠っている神社に。

その日宿泊した宿・ゆうあい熊野館で、大浴場の休憩スペースに、
ここの地元役所が監修して作った、
「火」の民俗学の本が置いてあり、
世界中の民話や、文化人類学視点での、火の発祥について、書いてあった。

世界中の神話・民話で、火が、鳥や動物からもたらされるとか、
女から生まれるとか、
いろんな神話や言い伝えがあるんだって。

そんな本の中で、パラパラとめくってて、
ふと目についたのが、
神道における、「火」の一回性、という箇所だった。

日本の神道においては、不浄や穢れという考えがあり、
火においても、
継続性よりも、
一回、一回、新しく火をおこす、
まるきり新しい火ということに、価値をおいた、という話が新鮮だった。

なにか儀式やなにかを始めるにしろ、
古い火を継ぐ、継いでいくのではなく、
また、新しい火を、一から起こすという事。

そして、その火は、その一回限りだからこそ、きれいな火であるということ。

なんか、ね~、これが、とても「ピン」と来た。

わたしのなかで、
なにかが、かちりと、はまった感覚。

腑に落ちた。

ひとり、激しく、感動して「すごいすごい!面白い」と騒ぎ、
この、区役所発行のおそらく非売品であろう冊子を、
ゲットしたいと本気で思った。(家族のリアクションは、「へえ~」くらいだったが)。

火の話を知って、ふむむなんて思いながら、
その夜は、蛍の光も観に行った。

その蛍の光の、やわらかいこと、幻想的なこと。

炎とはまったくちがう、明るさに、感動。

源氏物語で、
源氏が、御簾の中にわざと蛍を入れて、
御簾の奥にいる美しい貴婦人の顔を、
浮かび上がらせたという、一説があるのを、思い出したりした。

こちらも、「こんな、あかりだったのね」と、とても感動した。

和歌などによく歌われる蛍のイメージが、私の中には、あったのかも。



火の炎の、強さと、生み出す力。

また一方で、蛍のような自然の作り出す、唯一無二のあかり。

どちらも感じる日で、
自然の雄大さ、偉大さ。
底力、神秘、美しさに触れた気がしました。





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