決戦の日。そして、古い過去・剣道のクリーニングから、見えたこと。

今日は、決戦の日。

前々日から、
その場所の名前、住所、郵便番号、
電話番号、担当者の名前など、
思いつく限りに、クリーニングできることはした。

そして、朝から、ブルーソーラーウオーターを飲み、
ペットボトルにもそれを入れ、
カバンの中には、KR女子の『ホ・オポノポノライフ』をしのばせて、
会場に向かった。

行く道も、いろんな感情や記憶をクリーニングした。

記憶におぼれそうになりながら、
クリーニングした。

待合室でも、クリーニングをした。

そして、出てきた話は、
とっさの判断を物凄く必要とする、
これは、「OK」なのか、「×」なのか、
判断に迷う、きわどいライン、内容だった。

でも、丹田に手を当てて、じーっと、落ち着けていたせいか、
クリーニングのせいか、
最終的には、
ここが、落としどころだとおもう結論を選び、
決断をして、進むことができた。


そう、
今日は、二回目の離婚調停だった。

なんと、「離婚」が成立しました。

何回も、半年から一年ほど、短くてもかかるとおもっていた調停が、
「離婚」という落としどころで、
なんと、二回目で、解決できた。

これが、まず、貴重なことだった。

なにしろ、
それまでの離婚の合意の話を全部白紙に戻し、
円満調停を申し立て、復縁をせまってきていた相手なのだから。



相手が提示した離婚の条件面では、不本意に感じることも多かったが、
それもクリーニングが必要な箇所なのだろうし、
とにかく、今が、決め時だと感じた。

こういう時の、決断は、
ほんと、肚に力を入れてするものなのだ。

「自分で、決断、する」

って、そういうこと。

烏天狗
(今日はなんとなく、天狗様・・・。バッサリ、決断。バッサリ、一刀両断。)

最近、クリーニングの成果かわからないけれども、
長い間、自分にとって、嫌な過去の経験、思い出だった、
「剣道」
という経験の、本当の中身が、感じ取れるようになってきた。

私は、剣道を小学生から中学生まで、みっちり習っていて、
大学でも剣道をやっていた。

その歴史は、私にとって「暗黒の歴史」で、
何一つ、自分には合わず、なんの得になっていない、
思い出したくない記憶だ、と思っていた。

が、実は、わたし、とても剣道の影響を、
体や無意識レベルで、受けていることに気づいた。

たとえば、身体の事では、
いつも、自然にしてても、とても姿勢が良いし、
肚の位置も決まっており、安定感がある。

声も、そのせいか、肚から出ている。
出そうと思えば、大きな声も出せる。

間合いの感覚も、なんとなく、持っている。

剣道の稽古のせいか、打たれ強いし、我慢強い。

そして、剣道にあてはめて考えると、
いろんなことが、とても腑に落ちて、受け止められることに、ここのところ、気づいた。

どうして、わたしは、剣道をこんなにも、
自分のものとして考えてこなかったのか。

きっと、いろんな記憶の再生があったんだろうね。

クリーニングすることで、初めて、
剣道を習っていたことで、私の血肉になって生きていること、
ポジティブなことが、沢山あると気づいた。


人間だれしも、
ここぞの、勝負時、というものがある。

そういうときに、
剣道をしていたときの感覚は、
とても役に立つのだ、と、今回気づいた。

剣道だけではなく、
なにかしらの武道や、芸事、
「道」のつく芸事をしてきた人なら、
そういう感覚があるとおもう。

ここぞの、勝負時の時、
そういう「道」で身についた感覚が、とっさに出る。

「勘」みたいなもの、かもしれないけれども。

私にも「勘」はあったし、
自分の身の押し引きも、本当はちゃんと学んでいたんだね。

それが、わからないって思い込んで、
できないと、思い込んでいただけなのだ。

剣道の「勝ち」は、3通りかが、ある。

まず、きれいな二本勝ち、というもの。

次に、相手に一本とられ、
じぶんも一本とり、
最後の勝負で一本とって勝つ、という勝ち。

また、自分が一本とり、
相手に一本取られ、
自分が、最後に一本取って勝つ、というのもある。

あと、「引き分け」というものあるけどね。

どのようにして勝つかは、
試合を運ぶかは、いろいろだが、
最終的に、勝てれば、
それは勝ちなのだ。

剣道の、そんな勝負勘が、ものすごく思い出された。

剣道の中には、
「相手に打たれる」ということも、
「勝ち」の中には含まれている、のだとおもう。

一本も打たれないで、勝つ、ということは、まあ、少ない。

何度も打ちかかって行って、
その中で、きれいな一本が決まったとき、「一本」として、審判の旗があがる。
それが積み重なり、「勝利」が導かれる。

日頃の、練習だって、そうだ。
打ち、打たれて、その繰り返し。
自分が面をたくさん打つときもあれば、
相手の面を受け止め続けるのも、稽古の一部なのだ。

いくつか小さな技を打たれても、
最終的に、自分が、勝てれば、
勝ちなのだ。

いま、初めて、
記憶の再生ではない、
ありのままの剣道と、出会えている気がする。

訴訟事で、
剣道のことを思い出すとは、思わなかったけどね(笑)。



バッサリと、また何か、
自分の中で整理され、
強くなれた気がする。

世間がこうだから、
人がこう言ってたから、とかではなく、
自分が感じる勘を信じて、観察し、考察し、
決断して、動くということ。

これからも、いろんなことがあるかもしれない。

でも、わたしは、そのときそのときで、
クリーニングしながら、
また自然と、決断していくだろう。

それでいいのだ。








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剣道のお話、わかります

私は剣道ではなく弓道の経験者ですが、
三重十文字を意識することが多いです。

真善美とか、心技体とか、日本って素敵だなと思います。
  • |2015.08.20(Thu)
  • |カレー姫
  • |URL
  • EDIT

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Re: 剣道のお話、わかります

カレー姫さん、はじめまして!
コメントありがとうございました。

そうですか!
弓道にも、通じるものがあるんですね~。

真善美、心技体、
日常と離れているようで、
けっこう、生活や人生のなかでも、参考にできるときありますね。
たしかに、日本ならではの文化、感覚、かもしれないですね!
  • |2015.08.23(Sun)
  • |Mari
  • |URL
  • EDIT

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