「個性」を受け入れて、もっと楽に生きる。

9月が始まって、
子どもの事、自分の事など、
手続きや処理など、いろいろ具体的に動きながら、

心の中では、
ふと、8月に激動して、気づいたもの、学んだもの、などを、
掌にのせた貝殻をいじくるみたいに、
ときどき、眺めかえしている。

よく、
「人間には、長所・短所があって、
それが背中合わせ」なんてことが、言われる。

よく聴く言葉だったけど、
ここ数か月、特に8月は、それを想ったことが多かった。

自分に対しても、人に対しても。

長所、短所、
メリット、デメリット、
光と影と。

こういう両極面な表現は、
結局、プレーンにみえれば、
ある人の一つの個性を、両方の味方、
いろんな見え方で、表現しているに過ぎない。

ある場面では、長所になったり、
ある場面では、短所に働いたりして、
見えてくる角度、寄って立つ立場、
周囲の人との関係性、
その人自身の自覚や扱い方などで、
個性の役割、はたす効果が、変わっていくんだよね。

すべては、ただ「個性」ってこと。

たとえば、
わたしは、自分の「優しすぎる、優しさ」みたいなものが、
嫌だな~って、弱点のように思っていたフシがある。

境界線がゆるい。
ぶれがある。
きつく言えなかったりする。
どんな人がきても、割合、受け止めてしまう。

実例を出せば、そんな感じに、私の個性が働くときもある。

だけど、自分でも、よくよく見つめた結果、
それが、私らしさの一部でもあることも、わかった。

それを捨てたら、無くしたら、
私では、なくなってしまう。

別の誰かになってしまう気がした。

いくら自分で自分が嫌いなタイプでも、
そこまで・・・では、ないんだよな~って思った(苦笑)。

別の誰かになってしまうほど、「別人になれ!」って思うほど、
自分が嫌いなわけでは、
どうやら、ない、ようだ。

それが自分だし、自分を捨てきれないな~って、正直思った。

第一、捨てようと思って努力したって、
自分の影を切り離そうとするのが、不可能なのと一緒で、
そもそも、無理だしね(^_^;)。

優しすぎて、生きづらいこともあるし、
たぶん、これまでもそうだったし、
今も、そうかもしれないけど。

自分が、じぶんだって思うなら、
いいじゃん、それでも、って思った。

別の面からみたら、
これが、なかなか珍しい、私の個性だったりするのだと、
やっと、認められた。

いまさらですが、
もう、これでもいーやって、達観した。

その上で、大切なポイントなのは、
自分が、自分の個性を生きることで、
生きづらさを感じたり、
生きていくうえでの苦しさを感じるのなら、
そんなフィーリングに対して、
性質に対して、
場面場面で、自覚的になって、
これまでとちがう対処をしていけば、いいよな、ってこと。

自分が苦しいな、つらいなって思ったら、
なにか自分の個性が、
魂の癖みたいなのが、影響しているかもしれない。

あ、また、私の性質で、
こうなってるんだな~、
こんな風に感じてるな~とか、自覚したら、
今度は、こうしてみようって、その時、選ぶってこと。

どうしたら、もっと楽に生きられるかな、って。

「幸せになってもいいんだよ」って、
自分で自分に認める、大切さを、いま、意識している。




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