ママにとっての「自然」。公園苦手症候群・・・それは、ディスコミュニケーション。

今日は、啓蟄。

どおりで、屋外でも、ひなたが温かかったわけですね。
娘と母と、三人で、
近所の公園に行ってきました。

2歳になった娘、
この頃、自己主張がはげしく、プチイヤイヤ期。

ご飯を食べるときも、べちゃっと投げたり、ギャーギャー騒いだり、
あくびしていたかと思えば、
お昼寝の寝かしつけをしようとしても、いやだいやだと、寝なかったり。

最近、わたしも、
「ブチッ」
と、堪忍袋の緒が切れて、大きな声で、怒鳴ってしまうときが何回か出てきました。

怒鳴ったとき、
自分から、こんな大きな声がでるのかとも驚きつつ、
ちょっと嫌な気持ちもしつつ、
でも、ブチッを我慢するのも不自然かなって気がします。

「怒鳴っても、わからないので、云い聞かせて」
と専門家がよく書いているし、
その通りなんだろうし、
その通りにしているママたちもいるんだろう。

たまに、お母さんだって、人間だから、
「ブチッ」となるときがあっても、自然だと、私は思う。

その「ブチッ」も、ないと、
にこやか仮面(´◉◞౪◟◉)
みたいな、
いびつさや、不自然さが、
自分に発生する気がしてます。

人として、不自然な気がする。

child

「ほめて、のばす」って思想があるから、
ほめて、ほめて、
ほめるだけ、って心がけているかのような、
お母さんも時々みかける。

いつもいつも、猫なで声で、結局はまるめこむように、
ただしいほうに導く態度っていうか。

よく見ていると、
色んな理屈を使って、それをさせないように、
うまいこと方向修正、コントロールしている。

たとえば、
私が先日、偶然みて、違和感をおぼえた風景。

小さな子どもたち(2~3歳くらい)が、
たくさん公園の広場にいて、
ママ友たちが立ち話をし、こどもたちは遊んでいた。

その中の男の子(3歳くらい)が、小さな雑草を抜こうとしていたら、

一緒にいた、女の子が(やはり3歳くらい)、

「あ~!葉っぱは抜いちゃいけないんだよ~!
かわいそうだから~」
と、制止。

男の子も、いけないことと思ったのか、
草を抜かないで、別の場所にまた走っていった。

3歳児くらいにしては、
あまりに、できすぎた一言に、驚いた。

たぶん、ママにいつもそう云われてたから、そういったんだろうね。

この女の子は、雑草も抜いたことないし、葉っぱもちぎったことないんだな。

きっと、ママがそうされると、いやだから、そうやって教え込んだんだろうな。

雑草を抜いたり、葉っぱちぎったり、泥を触ったり、
汚いこと、よごれることも、たくさんしたほうが、自然だけどな。

まあ、本当に、
ママは植物が大好きで、
草の命も、虫の命も大切にしたいから、
子どもにそういったのかもしれないけど。



人それぞれなんだけど、

私にとっては、なんとなく、
不自然だなって、おもうときがある。

子どもは子どもだから、「わからない」って思うのかもしれない。
そういう、支配やコントロールが。

「教える」って、そういうことじゃない、と思う。

大人からみて、喜ばしいことはほめて、仕込み、
大人からみて、嫌なことは、させないように仕向ける。
・・・なんだか、これって、支配とコントロールに過ぎない気がするのだ。

危険なこと、他人や自分を傷つけることなど、ダメなことはダメとして、教えるとして。

だけど、わたしは、
子どもだって、じつは、かなり「わかる」と思うし、
その「個」に、向き合っている感覚でありたい。

なにがダメで、なにがいいか、
経験して、学んだほうがいい。





娘が、本を読みたいと主張し続け、ぜんぜん昼寝しないので、
母に頼んでおいて、
私だけ、ベッドで昼寝して、30分ほど仮眠した。

起きた後、ふと思ったのは、
ああ、わたしも疲れるんだな~ってこと。

子どものイヤイヤ期というか、
素直な、純粋な自己主張、感情表現、動きに、
むきあっているのって、けっこう、エネルギーがいるし、
心身ともに疲れるんですね。

だから、お母さん自身も、
自分をよくいたわったり、メンテナンスしたり、チャージしないと、
ゆとりがなくなるのは、当然のことだよなって、再確認。

あと、なんとなく、最近、
公園に行って、よそのお子さん、ママさん、パパさんに接触すると、
そのあとに、疲れている自分を感じることが多い。

「公園が苦手なのかな~(;^ω^)
あ、これが、ママの公園苦手症候群ですか」
って、最初は思った。

だけど、他の子供連れの方と、円滑にできたときでも、疲れるときもあるし、
コミュニケーションするにしろ、しないにしろ、
気疲れする部分があるみたい。

観察してみたら、それは公園だけではなく、
小児科の待合室や、調剤薬局の待合、
スーパーの子供の集まる場所、
保育園の朝と夕方などの保護者との関わりなどでも、
同じ現象がおこる。

benti

先日も書いたけど、
ディスコミュニケーションのひとが、ほんと増えている。

たとえば、
足元に、他人の落とし物が転がってきても、
親子で、気づかないふりをする。

昔、ふつうだったら、手に取って、渡すようなそぶりをするよね。

狭い空間で、だれかの何かが転がってきて、靴にくっつくまでになったらさ。

親も、なんだか、幼児化しているのかもしれない。
子どもとおなじ態度、視線、しぐさで座っている時があって、驚く場合もある。


おかげで、私は、対処法を学び、境界線を引く練習になりました。

まず、対処法。

自分から、どこかの「場」へ、子供連れで入るときは、
予防?する意味で、
挨拶や、声掛けなど、なるべく自発的にする。

自分から、「こんにちは」と挨拶する、
相手の子供のしぐさをみて、「○○ね~」などと、声をかけてしまう、
つまり、空気を作ってしまう・・・。

これは、とても効果的。

オーラドームを作っているようなイメージ。

だけど、ま、前述したように、
それでも、効果がない人もいるわけで。

挨拶するような距離感でもないし、
どうしても、違和感を感じる人や、出来事と遭遇したら、以下の手順。

一瞬いや~な違和感をキャッチ。

その違和感をまず観察し、「いやだな」の気持ちを感じきる。
(否定、見ないふりは×NG。ちゃんと感じること)

そして、その出来事&人を、「手放す」イメージで、忘れる。⇒「消去」。


あと、思ったのは、
もしかして、ほんとに、そういう人にとって、
私という存在が見えない、感じないくらいに、
パラレルワールド化(二極化)が進んでるかもしれない!?

・・・という、都市伝説なみの、おもしろい仮説。

同じ場所にいるのに、
私と、私の子供や家族は、
その人たちの視界には、見えていないという・・・( ゚Д゚)。

いやいや、ほんと、冗談じゃなく、
それくらいに、
無感動、無反応、無表情の人が、いますよ、マジで。最近は。


その人たちの世界でも、
泣けること、笑えること、
うれしいこと、ありがたいこと、
色んな事がおこってるんだろうけど、
あまりにも分厚い表皮が、角質がかたく固まった表皮みたいなものができていて、
もはや、着ぐるみ化しているので、
人間らしさに触れることができないのかもしれない。

観察しつつ、切り離しつつ。

今朝は今朝とて、
NHKの番組「きわめびと」で、
IKKOさんが出てて、
とても感動することを言っていて、この人、やはり、素晴らしいと思ってしまった。

きれいなものに、触れるって、いいよね。


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