KR女史の講演会の感想。春分の日前後の流れ。

ばたばたばたっと、
忙しく過ごしておりました、連休。

春分の日、。
今年二回目のポイントらしいと、聴いていたのですが、
なるほどなるほどな感じで、
周囲の変化、出来事の唐突感も、はんぱなかったですよ。

19日の夜は、
六本木で開催された、
SITHホオポノポノの、
KR女史の講演会「ウニヒピリ」に、参加していました。

実は、つい1週間ほど前から、
急きょ、20、21日と、家族旅行で、茨城方面へ行こうという流れになり、
一週間で、スムーズに、
ホテル予約、レンタカー予約、はてはチャイルドシートまで手配してレンタルしていたのです・・・・。

19日の夜の講演会は、ずいぶん前から予定していたので、
予定変更せず、私は外出する予定でした。

そんな19日の正午過ぎ、
突然に電話が鳴りました。

突然の訃報。

父方の叔母が、64歳にして、亡くなったとのこと。

そこから、急展開。

とりあえず、うちの両親だけは、すぐにホテルなどをキャンセルし、
北海道行きが決定。

葬式の準備や、飛行機の手配、ホテルの手配など、
段取りや準備に追われました。

そして、残された、私と娘、姉夫婦と姪っ子は、
どうするかって話になり、
全員キャンセルももったいないから、
ただ、留守番しているより、
この五人で、電車を使って、いばらきの温泉に行こうということになりました。

ここまで、バババっと午後の2時間程で決めてから、
私は、その夕方、KR女史の講演会に行ったのです。

何か起こった際、
いろんなことをキャンセルする、中止するっていう、消極的な選択もあるだろう。

だけど、
部分部分、変化に対応しながらも、
敢えて、自分の意志で、最善を選択するという、
そういうときのとっさの判断は、
場数を踏むと、自分なりの基準や軸ができていくのだな、と感じました。

叔母のこの突然の死も、
私たち家族、それぞれに、いろんなメッセージや気づき、学びを
もたらしてくれた気がします。

私は、それを私なりに、見守ろうと思いました。

そんな突然の変更があり、
連休の予定は、一転二転して、
私としてはアドベンチャーで、この数日、過ごしてました。

hyouga


それにしても・・・・、
私にとって、また一つのターニングポイントになったのが、
KR女史の講演会。

すごく良くて、
カッキーンというか、ぜんぜん違う角度で、入ってきた感じ。

のびやかなのに、
重いところと、軽やかなところと、
深く集中しているところと、広く浅いところと、
色んな部分が、あのシンプルな法則の中で、全部説明できてしまう。

それでいて、あの夜、
必要な情報はすべてKRさんのお話や、参加者の方の質問のなかに入っていると感じた、
濃いひとときでした。

正直、話の内容いかんだけではなく、
この講演会自体が、言語化できない次元で、
おそらく、すごいクリーニングの場所になっていて、
たぶん、あの日、あの夜、あの場所に参加しているだけで、
必要なクリーニングが膨大にされていたのだと思います。

だから、頭で理解できなくても、そのとき心がフィットできなくても、
たぶん、とにかくその場にリーチすることが必要であり、
そんな人々が、参加していたのだと思います。

お話には、
私にとっては、今だからこそ、納得できる、腑に落ちることも多く、
本をただ読んで、頭で理解しているつもりになっているのと、別次元の感動がありました。

KRさんに会えて、生でお話を聞けて、ほんとよかったな~と思う瞬間があり、
理屈ではなく、
そんな瞬間も感情をクリーニングしながら、参加してました。

よく、サイキックの人のイベントやセッションを、
申し込んだ段階から、
影響が表れるっていわれます。

つまり、申し込んだ段階で、
すでにエネルギー的な交流が始まっているということ。

ほんと、そうだな~って、今回も感じました。

KRさんの講演会に申し込んだ時点から、
流れが、ぐんぐん加速して、
クリーニングの流れがどんどん流れ込んできたのを、感じました。
講演会に近づくにつれ、
出来事としても、
私自身の内面としても、深い部分に触れていくのを感じていました。





そして、今は、
温泉旅行から無事に帰ってきて(笑)、
娘と二人で、遠出して、電車で、大荷物で行動するとか、
二人で夕飯準備して食べるとか、すんごい久しぶり&初体験で、
ドキドキもあったのですが、
案外、案外、普通にできていて、
しかも、いつもとは違ったフィーリングがして、
とても、ふしぎです。

この家で、この時間、一人で居間に座って、
娘はすでに、2階の寝室で寝ているから、
とても静かな時間を過ごしています。

静かで、穏やかで、しみじみと、
広々と、リラックスして、自分らしくいられる感覚がします。

「じぶんである」

それって、どういうことだろう、って
必死になっているときは、
イメージしたり、焦がれるように考えたり、
思いめぐらせたりするけど。

いまの、わたしは、
「じぶんである」って、
大したことないことのように、感じてます。

「たいしたことない」って、
卑下したり、自己否定しているわけではないです。

逆に、とっても、力が抜けて、
すうっと、楽に、ありのままの感じで、自己肯定的にそう感じています。

「たいしたことない」、
ありのまま、そのままで、いーんだ、って感じです。

なにかを力説したり、
いろんな意味で、声高々にいったりするのでもなく。

他人のことも、
物知り顔のことも、どうでもいっかな~って気分。

ちょっと違和感を感じる人がいたとしても。
私の立ち位置と微妙にずれているから、
そう感じるんだろうけど、
それやその人自体は、気づくために必要なだけで、
それらをそのままで、尊重すればよくって、
握りしめることも、こだわり続けることもないのだな、と。
・・・ただ、クリーニングするってだけでいいのだな、って感じ。

大切なのは、外界ではなく、
自分の内側との関係性であって、
すべてはそこなんだな~って、やっとや~っとわかった気がする。

インスピレーションも、そこからやってくるんだろう。

色んなレベルの恐れや、不安、
こうじゃなきゃいけないという先入観や強迫観念、刷り込み、
・・・そんな記憶が、ぎっちり、自分に詰まっていて、
右に行くにも、左に行くにも、
1センチ動くにも、
じつは、すんごい記憶でいっぱいだった、自分自身にも気づいて、

「はは!なーんだ、これ。
私って、実は、すんごい息苦しく、自分でしてるんじゃん」

って、
客観的に気づいたら、
また、すいっと、抜けた。

流れに任せる。
流れにゆだねる。


その感覚を、思い出した。

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