光と風と水と。

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卒業の季節。物をクリーニングしつつ、片づけ。思い出の写真。

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ByMari

今日は、うちの娘の通っている保育園でも、
卒園式。

入り口のガラス扉に、先生たちが作ってくれた、
きれいな桜の飾りが、いっぱいに満開でした。

先生たちも、少しソワソワ。

「今日はやっぱり、先生たちも、ちょっと気が高ぶってます(笑)」とのことで、

「よい卒園式になりますように」と私が一声かけたら、

先生も笑顔で、「はい、ありがとうございます」。

娘は、まだ一年在籍するので、
卒園するお姉ちゃん、お兄ちゃんたちを、今日は、歌で見送る係。

活発な娘は、後ろも振り向かずに、さっさと中へ入っていきましたよ。
我が娘ながら、
いつも、勇敢?堂々としていて、おもしろい。
ひとまず、安心。



つい一昨日、
小田原のお友達の家へ訪問させてもらいました。

そのお家が、
非常に整理されていて、物が少なく、
きれいなおうちだったので、驚いた。

もともと、彼女が、片づけるのがお上手というのもあると思うのだけど、
NHKでドラマ化されていた、『わたしのウチには、なんにもない』を彼女も見ていたそうで、
物を減らす、もたない、にまつわる話題で、盛り上がりました。

以前、知名藤枝さんも、この本をブログで紹介されていて、
わたしも買って、持っているんですよね!

ゆるりまいさんの、『わたしのウチには、なんいもない』

ゆるりまいさん、ブログも書かれているようです。

「なんにもないぶろぐ」

・・・と言っても、
小田原のお友達の、めっちゃ整理されたおうちととは、
我が家は、正反対。

家のどこの部屋に行っても、
物が、混在&氾濫している、
ものだらけの、家。

家族の習慣を変えるのは、いきなりは、まず無理そう。

まずは、自分ができるところから・・・と、
自分のものをまず、片づける、減らすことを始めてみることしました。

「とにかく、なにか、捨てよう。
物を捨てよう!!!
物を減らそう!」

と思い立った私。

今日は用事が特にないので、
娘を送り出してから、
部屋の片づけを始めました。

最近、ホオポノポノを実践するように心がけているので、
物と対話しながら、
クリーニングしながら、
整理を続けた。

時に、ブルーソーラーウオーターを霧吹きで吹きかけたりして、
これは、要るのか、要らないのか、
もうさよならしていいですか?と物にも、尋ねながら。

というのも、
平良アイリーンさんの書いた、『ホオポノポノ・ジャーニー』に登場する、女性のお家の逸話があって。

その人の家には、物がたくさんあるけど、
すべてが、そこにあるべくして、あるような、
とてもクリーンな、温かい空間で、とても居心地がよいと。

その家主の女性は、
置物や家具なども、すべてクリーニングして、お家に連れてきて、置いてあるから、
物のアイデンティティが尊重されている・・・といったエピソードが、
とても印象に残っていたのです。

ただ、
「物がないほうがいい!」
「捨てなきゃ捨てなきゃ!!」
と、強迫観念のように焦って、無理無理にやっても、
それはそれで、自分の内側はクリーニングできていない気がして・・・。

『断捨離』や、こんまりさんのときめきの片づけ術やら、
ミニマリストとか、ものをもたない主義&生活ブームがあるわけだけど、
私の場合、
物はあっても、なくても、
物は少なくても、多くても、
人の心の状態が、どうかなっているかの点が、大切なのかな、とも思ったりして。

まだ、わからないんですよね、自分としては。
なにがフィットするのか。

自分は、どれが居心地が良いのか、
まだわからないので、
とにかく、クリーニングしながら、片づけていくことにしました。

面白いもので、
「きれいなお家に住みたい」気持ちをクリーニングしてみたら、
パッと、思い浮かんだのが、
「自分の部屋で寝たい」との思いでした。

実は、今は、
娘と二人で寝るために、大きなベットが便利だろうということで、
ずっと、母の部屋で、母のベッドを借りて、寝ている状態なんです。
それが、、ここ1年続いてました。

私の私物は、主に、以前の私の部屋(シングルベットの部屋)にあり、
寝るときだけ、母の部屋で寝ていたのですが、
どうも落ち着かない。
間借りしている感が強い。

一方で、私の部屋で、母が寝ているもので、
だんだんと、母の私物が、私の部屋に増えていくのをみて、
どうも、すっきりしない。

境界線があいまいになっていく感じがすごくして、
ずっと、違和感を感じていたのです。

私の部屋は六畳のシングルベットなので、
娘と二人で寝起きするには、不便かもしれないけど、
自分の部屋に戻りたい、という気持ちは、消えませんでした。

そして、「きれいなお家で暮らしたい」という気持ちをクリーニングしたら、
また、そのアイディアが再燃したので、
これはきっと、やってみたら、いいのかもしれない。

そんな風に思い、
自分の部屋で寝る体制を整えるべく、
今日から、片づけを始めてました。

まだまだ、物の少ない状態には程遠いです。

でも、すこし片づけただけでも、
部屋の空気がみるみる変わっていくのが、わかるから、面白いですね~。

omoide

以前から、やりたいと思いながら、
ずっと手を付けずにおいてあった、
写真立てに、写真をいれる作業も、してみました。

娘の誕生祝に、ご近所のおばさんがくれた、かわいい写真立てと、
姉が、結婚祝いにくれた、写真立て。

ずっと、使わずに、なんとなく忙しくて、放ってあったのです。

アルバムをひっくりかえして、いろいろ見ていたら、
懐かしくて、
かわいくて、
たった2年でも、子どもがこんなに変わってしまう、成長するのが、驚きでした。

ふしぎなもので、写真をみると、
娘を生んだときとか、
娘がまだ0歳児で、歩き出す前の頃や、
伝い歩きを始めたころや、
リアルに思い出すんですよね、その感情を。

この2年間が、まさに走馬燈のように思い出されて。

結婚祝いでもらって、ずっと使う気になれず、
しまい込んでいた写真立てには、
ふと、思い立って、
出産翌日の、私と娘の写真を入れました。

娘を抱っこして、ベッドに座っている、私の写真。

それから、その右には、6か月ごろ、
スタジオアリスで撮影してもらった、晴着をきた娘の写真。

自分の部屋にサンクチュアリ(祭壇)があるので、
この写真立ては、そこに飾ることにしました。


この2年、あっという間でありながら、
たましいを刻みつけるように、
生きてきたな~。

こういうのを、見ると、そんな風に自分をやっと振り返ることができる。

わたしのなかでは、そんな時、「打つ」という言葉が、よくイメージされます。

石を穿つための杭とか、
おもおもしい、力強い感じで、
一つずつ、打っていく、
全力で、的確に、打っていく。

そんなイメージ。

娘が生まれる前のことを、思うと、
なんて、自棄で、
いまより、ずっとずっと、自分を大切にしていなかった。
かえって、自分を傷つけ、損ねるように生きていたように思う。

娘が生まれてから、
本当に純粋に、守るべき存在ができてから、
自分のことを粗末にできなくなった。

自分のことも、大切にしないと、愛さないと、
娘を大切にすることに、ならないからだ。

黒く染まることも、できない。

たいへんなこと、努めないといけないことも沢山、あるんだけど、
前より、
ずっとずっと、いまの私は、幸せだとおもう。

「だいぶ、まっとうになったよね」

自分にそういって、やっても、いい気分。






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