ダブル&トリプル視点。生き方、生き様。

肉体をもっているからこその、感情や考え、想い。

それと、

もっと深い、
「形」をこえたところ、
肉体をこえたところ、
たぶん魂で感じている、信じている、
実感みたいなもの。

ふしぎな、複数の感覚で、
目の前のことが、
感じられ、
納得され、
うーんと、しみじみと、眺めている。


ダブル視点、
トリプル視点。

一番土台は、目の前に見えている現実なのだけど、

その上に、
透明のフィルムで、
何重にも、
いろんなものが、
同時に、かさなってみえるような感じがする。



人をみていても、

ああ、この人は、いまこれが必要だから、
こういうこと言ったり、
こういうことしたり、
してるんだろね~と、

腑に落ちる。




たぶん、まあ、

私自身の過去世のなにかも、

先月あたりから、浮かび上がっきていて、
今もう一度、
現世で生きながら、過去世の昇華モードなんだろな~って、
思っていることが増えていた。


ここ一週間は、

さらに、ほんと、信仰や宗教のことがでてきていて、

底が割れたというか。

ガラスで仕切られていて、
あちらに見えていたのに、
こちらには出てこなかった部分が、
なまなまと、出てきたというか。


何を信じるか、の部分の問題が、
どんと、出てきたね。


ああ、でも、こんな風に出てきてみると、

人に説明することでも、
説得することでもなく、

ただ、自分がわかっていればよいことで、

必要とあれば、話す機会があったり、
話さないまでも、サポートすることなのだという、
自然な感じの、腑に落ち方をして、
とても楽になった気がする。

もう、私のこの姿勢、価値観、とらえ方は、
このまま、定着する気がしている。
なんとなく。


ふりかえってみると、

私は、いろんなグループや、集団、組織、会社に属していた際に、

そのメンバーの誰かが死ぬ機会にも、何度か遭遇していた。

大学の恩師や、
ボランティアグループの仲間の青年、
助手時代は、教授のおひとり。

病気で亡くなった人、自死した人、いろいろだけど。


弔いの流れになったとき、

けっこう、自然と、まとめ役になっていたりすることが、多かった。

縁の下の力持ち的な、まとめ役。

グループの人の、
感情を共有したり、ひとりひとりの話や声を受け止めたり、

一方で、心のなかで、私自身も、旅立った人と対話したり・・・。

そんなことを、誰に話すでもなく、
自然にやっていた。

そんな風にやっていると、
夢に、亡くなった人が出てくることも、あった。

そんな夢をみるようになって、
さらに、
たましいを信じる思いを、深めたところもある。





死を「悲しい」と思う心は、

まだ肉体に入っている、
現世に残されている人たち、だから思うことで、


肉体を離れた当人は、

案外、肉体の苦しみから解き放たれて、

自由に、楽に、幸せになっているのではないか。

私はそんな風に思っている。


なぜなら、

亡くなった人の一人は、
夢に出てきて、
私に伝えてくれたことがあった。

「いまは、からだも、楽になりました。

元気に、楽しくやっています」と。




もし、肉体から離れること=死ぬことをつらくおもい、
亡くなった当人が、
後悔していたり、
未練があるとしたら、


まあ、まだ、思い残すことがあった・・・ということだろう。


それも、また人の一生。






それにしても、

やはり、

「自分の人生、いかに生くべきか」

それに、尽きるね~。


自由。

どんなふうにも、生きられるんだもの~。

それでいて、人生って、やっぱり、あっという間なんだとおもうよ。


死んだとき、
後悔のない、
きもちよ~く死ねる、

自分の人生のすべてが、そこに、あらわれるような、

こころよい「死に方=生き方」を、

したいな~と思う。

そういう意味で、
人生に対して、
とってもとっても、
いま、新鮮に感じてる。

やっぱり、自分のことも幸せにして、
人のことも、周りの人も、
幸せにして、
みーんな幸せにして、

そんな生き方、したいもの。




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