光と風と水と。

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祖父の法要と、青空。我が家の祭祀。

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「わたしは、天の蔵に、金をためているから、いいんだ。

いま、この世で、そんなお金持ちじゃなくても」

って私が言ったら、

母が、

「天の蔵に、いくらお金をためたって、

いざというときに、
お金が使えないんだから、意味がない」

って即座に云った。


「いいんです。

天の蔵に、お金をためている人は、

いざ、困ったときには、ちゃんと天からの助けが出てくるから、

大丈夫なんです」

と、即答したわたし。

sky

今日は、祖父の四十九日法要でした。


晴天で、
風がちょっと強めに、でも爽やかに吹いていました。

おじいちゃんが見守ってくれているように、思いました。

やはり、こういう天気にも、生前のその人の何かが出てるように感じます。


法要をしてくれているお坊さんは、
もともと、
叔父の高校時代の親友の一人で、
お寺さんが実家で、
あとを継いで、ご住職になっている人。

曹洞宗のいろんなお話を聞きながら、
私の中に、入っている言葉やメッセージもあり、
良い機会をもてた。

俗世を生きるって、
すんごい大変な修行なんだよな~って改めて思った。

目に見えない宇宙の摂理の、
整えられた、静謐な時空にふれると。
そこに過ごしてる、生きている人の
お話を聞くと。

でも、お坊さんだってもちろん、
人の生死のいろいろ、
特に死の場面のいろいろに触れるわけで、
決して、きれいごとだけではない、
俗世や人間のどぶ泥を、常に垣間見ていると思うよね。

まあそれを乗り越えたり、
この世とあの世の、仲介者になるくらいの、
強さ、達観、修行をしているんだろうけど。
仕事としてね。
ライフワークとして。


わたしがおもうに、
お寺や教会で勤めるよりも、

ずっとずっと、
俗世間に生きて、
さまざまな仕事をする人たちの世界のほうが、
修行度は、高いと思う。

超ハードな、トレーニングジムですよ。

それを敢えてしている、自分というものを、
ありのまま、
見つめて、
認めてあげたいよね。

リスペクトするって、そういうことでしょうか。

蓮の花は、
よく仏教で用いられる花。

どぶ泥の中からでも、
きれいな花を咲かせるので、
仏教の教えの象徴として、使われている(?たしかそうだった気が)。

どんな場所にあっても、
すっくと、
美しい花を咲かせられるようになったら、
それはそれで、すごい。




そもそも、亡くなった祖父は、母方の祖父であり、
姓名が異なり、
四十九日の法要などは、おじさんの家の祭祀だったのですが。


我が家も諸事情により、
父方の祖父母の仏壇や位牌をどうするかって話が、
今年4月から持ち上がっていた。

父の判断と、
私や母の感覚とが、ズレていて、
ずっと違和感が残っていた。


それが、今日、北海道の親戚との電話によって、
一挙に解消したので、
そちらも、良かったな~と思った。

我が家は、もともと、浄土真宗。

しかも、詳しく聞いたら、大谷派(東本願寺)だとのこと。

親鸞聖人については、以前から興味があったし、
教義や考え方も、おもしろく、
興味があったので、
あらためて、浄土真宗や、親鸞聖人について、知識を深めてみようかなと思ってます。

日本の仏教のなかでも、
浄土真宗のしきたりや、やり方って、
かなりオリジナルで、変わっているんだよね~。

自分が最終的に、
どんな信仰、どんな信心におちつくのか。

まだよくわからないけれども、
まず、知識をふかめて、
フィットするものを、選びたいな~って思う。




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