夏至以降の流れ。波に抵抗しない。私は、私のままでいい。

夏至以降の流れ、
とても勢いがあり、パワフルで、しなやかで、
波乗りたのしい感じで来ていたのだけど、

今日あたり、

けっこう、「およよ?」と思うような、すこし重たいエネルギー、

人の中の闇、影、ネガティブさが刺激され、

あふれ、ざわざわが広がるような、

そんな気配もあった。


かくいう私も、
周囲の空気や、出来事に、
なるべく自分らしさを保つ練習って感じで、

波の上にぷかぷか浮かんでいるビーチボールみたいに、

自分のなかの、重さとか、感情、
体の重さ、調子、フィーリング、
頭のクリアか/クリアじゃないかとか、脳の感じとか、

波に乗りつつ、
観察しながら、一日をなんとか、乗り切った感。

波には、基本、抵抗しないのが、一番である。

って、もっともなようで、
全然わかってなかったんだな~、以前は、って思う。


「波に抵抗しない」というのは、

波が打ち寄せてきたり、
荒波がぶつかってきたり、
遠くで、波が激しく、逆巻いている、としても、

まあ、

わたしはわたしで、
その余波で揺れながらも、
私の場所に漂っているということ・・・。

相手や、その出来事を、
変えようとしない、ということ。

そのまま、受け止めて、
自分のフィーリングや感覚、感情もよく観察し、センサーして、受け止めて、
自己の内部に関しては、
自分で整えていけばいい。


「波に抵抗しない」は、

「波を感じない」とか「無視する」とか、とは全く違う。

波を感じるし、わかってるし、波を体感するけど、

それに飲み込まれないで、

自分は自分のスペース、リズム、世界を持っているということ。

って、えらそうに感じられるかもしれないけど、
練習していれば、
なんとなく、コツがつかめてくる。

もちろん、全部が全部、の場面で、
上手にできるわけでもないけど、

必要となって、
やるしかない、やるだけだ、と思えば、
まあ、できるようになってくる。



そんな風にしても、
どうしても、ちくっと刺さる、出来事や、しぐさ、他人の言動&反応があるとしたら、

もしかして、それは、
大事ななにか、サインなのかもしれないって、今日は思った。


そのとき、自分が感じた感触。

誤魔化さないで、直視しようと思った。

「わたしは、それはしないな」って、ことを、
相手がしたとして、

今までは、相手の事情や状況を先読みして、仕方ないよね~って、
誤魔化していたのだろう。

が、やはり、私と、その人、その人たちでは、
異なる感覚、価値観ってものも、
あるのかもしれない、って、冷静に客観的に、受け止めることにした。

私は、人からもらった物を、投げるように置いたりはしない。

というか、

物を、投げるようには、基本、扱わない。

ぽすんと、お布団や柔らかい場所になら、少し上から落としたりするが。

あまり投げたりしない。

ホオポノポノの、クリーニングするようになってから、余計に、丁寧に扱うようになった。

たぶん、その贈り物はささやかだが、
わたしが、その人やその人たちのことを思って、用意したって気持ちがあり、

その気持ちがあるから、

相手が、それを粗末に扱うと、悲しい、と、チクリと刺さったのだろう。

私の期待、相手に好かれたい気持ちや、仲良くなりたいさびしさみたいなものが、
そこには、あったのだろうと、気づかされた。


そして、今日心の中で響いたのは、

「わたしは、わたしのままで、いいの。

誰に、なろうと、しなくてもいいの。

このままで、いいの」

って、言葉だった。

なにか失敗のようなこと、
上手くいかないな~って感じるとき、

わたしは、すぐに、

自分があこがれていたり、
私より、恵まれて生まれていると思われる人(主に外見や雰囲気など)を思い出し、

「○○みたいに生まれていたら、こんな苦労しないだろうに」

って思ったりしていた。

例えば、道端ジェシカとか、井川遥とか・・・苦笑。

一方、能力があったり、自然と人に好かれるキャラクターの人に憧れ、

「○○さんだったら、もっとうまく、こなせたかな?」とか、思ったりもする。

もっと奇跡みたいな、ラッキーで、自然と相手も良いように動いてくれるかな?とか。


その○○さんが、女優やモデル、
私があこがれるような、生き生きとして活躍している先輩女性だったとしても、
どちらにせよ、
そんな思いを抱くことは、自分を愛していなかった証拠、とやっと、わかった。

自分以外の誰かさんに、なろうとしなくて、いい。

○○さんだったら、と思い、
○○さんになりたい、○○だったらよかったと、
思うこと自体が、そもそも、自分を愛していないってことなのだ。

ウニヒピリ(ホ・オポノポノに出てくる)を傷つけていることだったんだと、

最近、明確に自覚した。


今日は、帰り道、さらにそう思った。

もう誰かになろうとしなくていいんだって。

私は、私のままで、完璧だし、

私は私のできること、私のすることで、

いま、私の周りの人たちで、喜んでくれたり、慕ってくれる人もたくさんいる。

その慕ってくれる思いは、
ピュアなものが、ほとんどだ(期待や、互いの利害関係があるほうが少ない)。

私は、私のやり方、生き方で、
やっていけば、それが正解なのだと。

だいたい、私は、私にしかなれないし、
私のやり方でしか、生きられないってことが、より実感されてきた。


誰かの生き方、誰かのやり方、
誰かみたいな外見や雰囲気、様子をまねしたり、
誰かに、なろうとしなくて、イイんだ。


そして、ずっと誰かや、なにかに、あこがれて、
たえず、何か別の星を追い求めていたかのような私は、

最近、自分の中にも、
他にないような、良さが、あるように感じ始めた。

まるで、偶然、
川底の砂から、砂金を見つけたかのように、
めずらしい、面白い、新鮮さを感じている。


自分の良さを、生かそうとしている。

これでいいんだって。

これで、よかったんだって。

すごい進化・・・(笑)。




だから、
今あげたものを、目の前で、
相手にパスっと投げて置かれたことへの違和感を、
私は、違和感として、大切に感じ、受け取ろうと思う。

私だったら、やはりそんなことは、しない。

私の場合、物も人も、優しく扱うし、
私自身は、ソフトで、センシティブな人間だったのだと、
気づかされ、教えられたから。



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