光と風と水と。

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in 日常

仕事。土台を、思う。

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コンディションが最悪にもかかわらず、

なんとかバランスをとって、乗り切り、

なおかつ、気が付かなかったことにも、ふと気づかされる週だった。


全身でぶつかって、

たぶん、全身全霊でやってみて、

それ相応の手ごたえと、ちゃんとした反応を一つずつ確認して、

あながち、わたしがやってきたことは、間違いではなく、

じわじわと積み上げてきたものが、きちんと形になりつつあるのを、感じた。


誰かのまねではなく、

結局は、自分のやり方でなんとかやった先に、

開けるものもあるのだな~という、まぐれのような、深いような、気づき。



ただ、その全身全霊を、

理屈ではなく感じてくれている子と、

感じない子がおり、

まあ、なにをしても意味がない場合もあり、

その、意味がないことの重みも、きちんと、わたしの肚としてくくる所存の今日。



久しぶりに、どろどろした、嫌なものを、私の内に注入されたかのような想いになったが、

観察してみれば、

それは全部、他人の問題なのだった。


これでもかと、見せられ、

侵入されるが、

最初は、同情だったものが、次第に冷静な観察になり、

もはや、判断を下すまでに至る。


どこまでも、そうやって、生きていきたければ、

そうやって、生きればいいのだ。


どうして、みんなができることが、その子には、できないのか。

あるいは、みんなはできているが、その子がしないのは、なにか意味がある、特別なのか。

そういう子がいても、いいのじゃないか。

そんな風にも、かばって、観察してもいた。

多様性???


しかし、観察の結果、

人間の底が割れて、
年齢も性別も関係ない、
なにか人間のカルマのようなものを知った気がした。

人間の惰性、怠惰な側面、

狡さ、卑怯、

他人のせいにする、言い訳、

嘘、偽り、ごまかし、

いろいろなことが、若くても、みえた。


人間は、どこまでも、放っておくと、怠惰になるんだな~と教えられた。


どこか、単純で幼いところもあり、まだ可能性もあるのに、

毒ばかり膨らんでいくその様をみていると、

問題が、案外根深いのを、感じた。


テレビで、

欠陥住宅の、水漏れの映像が映っていた。

立派な住宅にも関わらず、

外見は素晴らしく美しく、高級にもかかわらず、

基礎の床下は水漏れ、カビが大量発生、

どうにも補修できない。

家を全部立ててしまったら、どうやって、基礎から治すのか。

一から、直すしかないではないか。

そうじゃなければ、現状のまま、なんとか補修工事である。



基礎が、土台が、
大黒柱が、腐っていたら、

もうその段階で、工事ミス、手抜きだと、

その上に建てた家は、どんなに素晴らしくても、傾いてくる。


その子をみていると、それを思い出す。

とある、小児科の先生の本で、
幼児期の子育てを、
家を建てる際の、基礎工事、土台作りに譬えられているのを、思い出した。


どこの段階で、
誰の段階で、
手抜きをしたり、見過ごして、
こういうものが、こういう風に、崩れて、
傾きながらも、育ってきたのか。

それが、ふしぎなのだ。


でもまあ、

なんとか、生きてきた。

それでいいのかもしれない。

この先も。

でも、それも、その人本人の選択なのだから。

私には、どうしようもできないのだ。

わたしにできるのは、
自分の生き方、あり方、選択を変えていくだけのこと。


その子に感謝している。

仕事が、必ずしも、
相手に好かれることが、目的ではない、ということを、
教えてくれたことを。

仕事の中には、
お客様に嫌われてでも、
本当のことを、真実を、果たさなければいけない仕事もある。

嫌われるのを恐れたり、
好かれようと思っていたら、仕事にならない、仕事もあるのだと。

そう、嫌われてもいいや、仕事だもん。

そう思えてから、

私の仕事観は大きく変わった。

わたしは、私の信念に従って、
仕事をしている。

それを、他人がどう理解、解釈したとしても、その真実と誠実さは、変わらない。

そして、わかる人には、必ず伝わるを信じているから、
私は、仕事を、続ける。



逆に、
そういう「可哀想な子」ではなく、
声を発さないが、コツコツと、まじめに、
見ていてくれている子たちにむかって、
わたしはまた、見つめ返そうと、再確認した。



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