光と風と水と。

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自分を認める。

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ByMari

もやもや感がはんぱない
週の中日の祝日。

勤労感謝の日、だそうな。

リフレッシュするつもりが、
スーパーに行って、
人混みいった疲労を感じて、
戻って、
ぼ~っとソファで、ラジオを聞いてたら、
この曲が流れてきた。



忌野清志郎だ!

すぐわかった。

そして、ちゃんと聞いたことなかった曲と思いながら、

歌詞に聞き入った。

なんか、胸のところから、じわ~っと熱いものが、
零れそうだった。

じぶんのなかでこんがらがっていた「問題」のひとつに、

すうっと、別の角度から別の見方が与えられた気がした。



もっと、自分に誇りをもっていいんだ。

どれくらいの努力で、毎日を生きているか、もっと認めていいんだよ。

かっこよくないかもしれないけど、

じぶんからみたら、当たり前になっちゃってるかもしれないけど、

ずいぶんと、いろんな役割を生きている、わたしって存在を、

よくがんばってるんだ~、

えらいぞ、わたしって、

認めたっていいだろうって、思った。

たった一つ、パパの役割だけだって、

こんな歌になるくらいに、

子どもにとっては、大きな大きな役割なのだ。


誰しも、世の中を、渡り歩いていれば、
複数の役割を生きている。

そのどれも、完璧なんて無理で、

失敗のほうが多くて、

小さな成功が、たまにあれば、ましなほうで、

下手すれば、良いも悪いも、すぐに結果は出ず、

これがどんな意味を持つか、わからないなか、

五里霧中で、ただ、生きているだけかもしれない。


でも、ま。

じぶんがどんな生き方しているかは、

自分だけは知っているだけで、

自分が認めなかったら、誰が認めるの?!って話で。


子どもにやさしくできない、
笑顔で、いつも、イヤイヤや駄々こねを受け止めてあげられない、

わたしを、

他の「優しそうな」ママと比べて、

自分で自分にダメ出ししていた。




自分の子供が一番みたいで、周りが見えないくらいに、やさしげな笑顔を浮かべて、

子どもの動きに対応して、

ちゃんとした年相応のおしゃれをしているママをみて、

余裕のない自分が、ダメなように思えて。



子どものことだけ、見てあげられるくらい、

生活にゆとりがあればな~、

わたしだって、誰かが養ってくれていたら、

もっと時間や、体力、経済的な余裕があれば・・・

いろんな「無いもの」の鬱屈と、仕方ない、でも・・・といったもやもや。


でも、ま。

そもそも、子供には優しくしなきゃいけないママ思想、

いまどき、子育ては、

子どもに叱るのではなく、

ほめる、やさしく、言い聞かせる思想みたいなのが強すぎて、

縛りになっているだけかも。

ママが、過剰にネコナデ声で、
小さな子供に言い聞かせている姿を目撃するたびに、
不自然すぎて、
気持ち悪いと思ってしまう自分がいたことを、否めない。

結局は、ママ(親)の思い通りにしたいだけだったりするから。




子どもにいつも優しくしなくちゃいけないママ、ってのが、

そも、おかしいのでは?。

今日の最後に思ったこと。

子ども優先して、
自分が苦しくなるくらいだったら、
子どもの駄々を放置して、
自分がまず楽になったほうが、
マシな気がする、今日この頃。

子どもも、親も、職場の人も、
他人のご機嫌とるのは、同じ。

まず、自分が自分の機嫌をよくしてからじゃなきゃ、
他人の機嫌なんてとれない。

エネルギーが枯渇する。




この頃、
パパの自分が強くなって、
ママの自分と、
内側に二人いるのに、はたと気づいたりする。

二つの性の、性別役割とか、
女性性、男性性とか、
よく言うけど、
究極、どちらも持っているのが人間なんだから、
もうどっちでもいいんじゃないっておもうのだ。

男性がいないから、女性性が否定されているとか、楽しめていないとか、
そういうのも、「対幻想で」おかしいんじゃないかと、
あたらめて、思ったりする。

誰かがいるから、自分の女性性が肯定される、満たされるとかだけで、
女性ができているわけではない気がする。

女性性って、もっと奥深くていいんじゃないか、
いろいろあっていいんじゃないか。






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