光と風と水と。

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ご縁、再考。

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ByMari

先日、鮮やかな紅葉の下を歩いた道が、

今日、訪れると、みな葉が落ちて、

はだかの枝や幹が、青空を背に、美しいシルエットを描いていた。

冷たい、乾いた風で、
清められた空だから、

どこか、凛とした、簡素な美しさ。


季節のめぐりゆくのを、感じる。




そして、ふとまた、
〈ご縁〉というものを、再考していた。

ある人の話の流れで、

「これはもう縁切り寺や、厄落としでも行かないと、うまくいかない」

と、
ある人間関係のこじれ、トラブルについて、聞くことがあった。


経験上、
それくらいこじれてしまう人間関係があることを知っているので、
気持ちは、分かる気はした。

でも、私の場合、
自分自身のタイプとして、
縁切り寺や縁切り神社は、合わないな~と、
そのときは、悩んだ末に、最終的に思った。

ま、それくらい、悩んでいたってことだろう。

なので、人によって、いろいろだし、
でも、そこまでこじれるご縁って、
どうなんだろうって、
なにか意味があるのかな、とか、
天運をはかるみたいに、思っていた。

今日の私の実感としては、

ご縁って、

良い縁も、悪いように感じる縁も、

人間の感情やエゴで、
簡単に切ったり、つけたり、できないものかもしれない、
という風に思った。

自分が、自分の手で、
ご縁を切ったように思っても、

完全には切れないし、
たぶん、どこかでは繋がっているんだと思う、
一度出会った人たちは。

逆に、
良い縁も、天から降ってわいたように、やってくるものではなくて、
やはりその人自身の日ごろがあってこその、
出会い、巡り合わせなのだろうと、
まともに感じ始めている。

何一つ、
宇宙に”くるい”はない気がしている、
出会いも別れも、その点は。

人間の一存で、
こうなれ、ああなれとコントロールしようとして、
縁をどうこうできるもんでは、ないんじゃないか。

つまり、すべては、天の采配・・・というのが、本当かな、と思った。

ただ、
もう別の道や、別の場所を、互いに必要とした場合、

もう関係性で、十分学んで、卒業がOKでた場合は、

それぞれ別の場所へすすみ、もう会わなくなるだけで、

でも、どこかで無意識下でも、影響しあっているのではないだろうか。

私が前進することで、
その人も遠く、影響を受けるだろうし、
逆に、私が後退したら、また、ちがう影響を与えるだろう。

そういう点で、
縁に、良い悪いはなく、
「袖振り合うも他生の縁」で、
すべてご縁があるからこそ、出会っているという点で、
感謝や、
究極、愛なのではないか。

愛といっても、

その
「どうしても許せない、
自分を傷つけた相手を、愛せよ」

といった意味ではない。

そういう経験で、気づかせ、学びの機会を与えてくれた、相手のお役目に対し感謝し、
そういう出会いを采配してくれた、
天=神様=愛に
感謝なのだとおもった。


もう二度と、そこには、行かないし、
もう二度と、会わないけど、
細い糸となってでも、絆はあるし、
遠くで、幸せを祈っている。
その人、その人たちが、
より幸せに、自分らしく生きられるように。

そして、
「私は私で、ここに居られて、しあわせ」
と、思った。

しみじみとした、
深くて、小さな幸せ感、満足感が、
気が付けば、たくさん見つけられる、今日この頃。







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