隠れ蓑が効果をなさなかった日。教える。

正月からだらだらと引いていた風邪が、
先週あたりから本格化し、
今週のあたまから、

喉へとうつり、完全に、風邪の様相をしめしてました。

さっさと、
医者を乗り換えて、
いつものかかりつけ(といっても、風邪や胃腸の時だけは、この人!みたいな)へ行き、

いつもの、喉風邪せっとをもらい、

夜は9時半には就寝。

それでも、
喉痛と咳がひどくて、

何度か起き、

眠りは浅い感じのまま、

夢をたくさんみて。


毎日いつものリズムで、
職場へは出勤。

そんな間も
頭の端には、
来週締め切りの原稿のことが、ずっと、あって。

久しぶりに小難しい本を、集中して読んだり。

家をでたら、
マスクして、
オーラをきゅっと締めるイメージで、
なるべ~く人に気づかれないように、そ~っと行動してた。

それでも、今日は、やたらと人に声をかけられる日であった。

おもいがけない言葉を受け取る日でもあった。

たいして、
エネルギーがそれで漏れた感覚もないのだが、

やっぱり、何も話さないより、
話した方が、
エネルギーの交流ってあるよなと気づかされる日であった。

あるいは、
逆に私が落ち気味だったので、
無意識に人が話しかけてくれたことで、
エネルギーが循環し、かえって受け取ったのかもしれない。
(ありがたや)。

シャットダウンする、
エネルギーコードと切るとか、
次元ではないってのは、こういうことかしら。

「まあ、いいんだけど~」

弧を描きながら、ゆるやか~に、一日の終わりに着地した感覚。



仕事というのは、
いろんな次元で、とらえることができる。

ただ、単純に、
この決められた時間内で、
ある一定レベルの成果や効果をだすことが、良しともいえる。

でも、長いスパンでとらえたとき、

その人の一生くらいの長いスパンで、、
一瞬の、この貴重なひととき、ととらえたとき、

表層的ではない、
奥行きのある内容や、知識、知恵、
物事のとらえ方、価値観や思想を
提供できたらとおもう。

その一瞬が、
その人の脳裏か、ハートに刻み込まれて、

大人になっても、時間が経ったあと、

「そういえば、あの時、あの人が、こんなこと言ってたな~、

それって、今思うと、

こういうことだったのか」

と、

記憶の棚から、取り出して、
咀嚼し、
しみじみと感じるような。

ハートで感じるものであってほしい。


学力を上げる。

能力をつける。

しつけ、道徳心、倫理観を育てる。

いろんなことが考えられる。


でも究極、教えるって、
どういうことかって。

教えられないんだよね~って思うんだよね。

ただ、経験して感じた事からしか、
人は考えたり、思ったり、知ったりできない。

学ぶってことは、
究極、

この世に生まれてきた意味を、
学ぶとか、
気づくとか、
知るとか、って、レベルだと、思っている私は、



どんなことでも、
教える/学ぶとは、
そういうことだと、
思っている。




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