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まだそっちで疲弊しているの?子育て。静かな地点。

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日々、手抜きができず、

優先順位をつけて、なるべく、来たものはすべて手入れするようにして、

毎日を生きているわたし。


ときどき、聞こえてくる声

「まだ、そっちで、疲弊しているの?」って声。


イケダハヤトって人だったかな、

「まだ東京で消耗してるの?」ってブログを書いて、有名になった、ブロガーさん。

脱サラして、地方に移り住んで、ブロガーで生活してるのかな???

あんまり深くは知らないし、ファンでもないのだが、

この頃、ときどき、

「まだ、そっちで、○○してるの???」みたいな、
自分自身の声が、
どこかから、
聴こえてくるようなきがしてならない。

俯瞰している自分だろうか。

目の前の、ご縁らしき、仕事を一生懸命に、

目の前のご縁らしき人々の求めに、応じて、できることをしていると、

あっという間に、時間はすぎさり、

本当に自分がしたいことを、する時間が、少なくなってしまう。

熱量やエネルギー、労力。

なんだか、時々、
悲しくて、むなしくて、これでいいのかな~って気持ちが訪れる。

「うまくいかなかった」と感じられた日の、夜は。

でも、今夜は、そんな自分の「弱さ」を、ぎゅっと抱きしめた。

抱きしめて、受け止めて、愛した。




子どものことに関してもそう。

当たり前のように、やっているけど、
成長につれて、
だんだん複雑さが増していることは、たしかだ。

子育ての事、
保育園での云々、
これができて、あれができない、
他の子はできているらしい、全然この子はしないという、
祖母の声。


その先生やら、祖母の声やらに対して、
母親であるわたしが、
娘に、いろいろフォローしてやらねばならない、そのエネルギー。

正直、私は、他の子がしていることを、
自分の子ができなくても、
ひとさまに、迷惑をかけないんだったら、イーと思っている。

3歳児が、
タオルを、所定の場所に、自分でかけたり、
ジャンパーを、ハンガーに入れて、自分でかけたりする。

それを、大人の指示通り、しないとしても、

うちのこは、帰宅したら、必ず自分の靴は、自分で下駄箱にしまうように、
私はお約束しており、
それはちゃんと守っている。

一つのことはできなくても、
他のことは、ちゃんとできたりする。

もっとも、子どもだっていつかは大人になるのだから、
いつまでたっても、
服をかけなかったり、タオルをかけなかったり、するわけではないだろう。

いつかは、ルール通り、かけるようになるだろう。
大人の指示に、抵抗することに、飽きたらね。

私の母親、
つまりは、うちの娘にとっての祖母は、
どれだけ、
減点方式なのかな、って、客観的に感じることが増えてる。

私もそんな風に育てられてたんだろうが、
まあ、
そんな子育てでそだった割には、

私は、なんと、まあ、立派な、できた人間に育ったな~、

なんて、必ず、自画自賛することにしている(笑)。

親との関係で、
ネガティブに、自己否定するループは、もう、おしまい。

これまでずーっと自己否定できていたが、
自分が子どもを産んでから、
だいぶ俯瞰して親を見られるようになり、
自分のことも客観的に認められるようになった。

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今日は、
心をコンコンって、ノックされるような、小さな出来事がたくさんある日だった。

なかなか珍しいかもね。

ほんの些細なことなんだけど、
自分のそんな微細な心の声を、
ちゃんと、無視せずに、大切に聞いてあげることが、大切なんじゃないかなって思った。


先日は、
どうしても許せない感情らしきものにぶつかったとき、

私が尊敬する、
マザー・テレサや、ガンジーのことを、想ってみた。

マザー・テレサや、ガンジーにだって、
肉体をもって生きていれば、
どうやっても許せないような出来事や、
つらいことだって、たくさんあったろう、と。

でも、それでも、あの姿勢だったんだろうな~と。

すると、ふしぎに、
受け入れられるような気がした。

悲しいし、つらいし、絶対許せない、
許せなくても、いいって思っているんだけれども、
一方で、
許せるかもしれないって、いう、気持ち。

その地点にいくと、
些末な、いろいろな出来事、人間模様のなかで、
もみくちゃになりそうに、なりながらも、
ぶれずに、
静かな地点に戻れる。

許すのは、
その人のために、許すのではなくて、
自分のために許すのであり、

許すというのを、学ぶために、許す、のだと。

この世の平和のために、許す、のだと。

積極的な許し、なんだよね。

罪を憎んで、人を憎まず、ではないけれども。



人間的な寂しさが残されながらも、

大きな大きな、何かに繋がっていることでの、
安心感や平和のほうが、
さらに大きくて本物だって気づきがあった。

しばらく忘れていた、暖かくて静かで満ち足りた場所だった。

その静けさに、いつも戻っていきたい。

こうして、いま、ここに生きていながら、

ここも、なにも、ないような。

ふしぎな気分だけれども。

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