光と風と水と。

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浄化と不思議感覚の一日

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ByMari

今日は一日、論文もストップして、
なるべく目も休めて、
予定も立てず、ぶらぶら~ゆるゆる~と過ごした。

曇り空が、束の間、晴れたときがあったから、
ホ・オポノポノのブルーソーラーウォーターを作ろうと、庭をぼんやり見てたら、
背の低い、地面につきそうなシソの葉が、首を振るように揺れていた。

上のプランターのどくだみの雑草やら、奥にある背の高いミニトマトの木の葉も、
もっと手前の草も全然揺れていないのに。

そのシソの葉だけ揺れていた。

じーっと見ちゃったよ。

私はそれを、あえて「不思議感覚」と呼んでみることにしてみた。


買い物から帰宅したら、
我が家の庭にも、アゲハ蝶がふわりふわりと、花の蜜を吸いに来ていた。

「あらま、いらっしゃい」と思いつつ、
ぼんやり眺めてたら、私の周りをゆっくりと飛んでくれた。

先日、大雄山に行った時の蝶々を思い出した。
あそこの蝶々も、逃げなかったんだよな~って。

雨にぬれて 

そんなこんなで、
なんだか、生き物の声にならない声とか、存在感みたいなものを無視できなくなってきて、

ずっと放置状態で、苔だらけになってしまった金魚の大水槽を、
申し訳なくおもいながら、お掃除。

亀の水槽も、お掃除して、水を入れ替え。
亀は相変わらず反応がよくって、まるで犬のように、人間の動きを観察している。

…最近、亀や金魚たちをぼんやりと眺める心を持っていなかったことに、気づいた。

私が死ぬほど忙しかったとき、
仕事から帰宅後、この亀やら金魚やらを、ただぼーっと眺めていると、
すごい愛らしくて、癒されたものだった。

あの時は、そんな風な癒され方しか、思いつかないほどの状況だったともいえるけど。

最近は、家にいても、
なにか動いたり、考えたり、思いにふけったり、そんなことばかりで、
ぼーっと小動物を眺める感じじゃなかったのだな~

でも、久しぶりに、前の感覚を思い出した気がする。

金魚ってすごく、ゆったり、もったりと、水の中を泳ぐんだよ。

金魚は、横から眺めるより、
たぶん、上から眺めるほうが、その愛らしい泳ぎ姿がわかる


赤い花


そーいえば、午前中も、
無性にキッチンの水周りをきれいにしたくなって、重曹&漂白剤で、徹底浄化してたし、
玄関用のアロマ消臭スプレーを作って、玄関でしゅっしゅしてみたら、空気が一瞬で変わるのを感じたり。

今日は「浄化」と、「自分の感覚や感性みたいなものを感じる」一日だったな~。

ブログには書かなかったけど、
ここ数日で、大島弓子『綿の国星』を読み直してました。

その影響も大きいかな。

大島弓子って、
少女性と幻想性、境界線を越境する感覚、不思議感覚をわかってる漫画家。

『綿の国星』を読みながら、
猫の世界と人間の世界を、ずっと行き来する感覚を味わっていたから、
今日はちょっと、不思議感覚だったのかも…。

私としては、ちょーどんぴしゃな漫画だった

チビ猫が、
猫と人間、大人と子供、メスとオス、いろんな境界線を、行ったり来たり、
「なんでなんで?」と首を傾げたり、葛藤したりしながらも、
へんちくりんに納得しつつ、安定する、ふしぎなかんじ。

ふつうなら「変だ」と指を差されるから、皆はしないけど、
自分が猫になりたいと思ったら、本気で猫の真似してみる女の子とか、男の子とか、出てくる。

草花に話しかけたりする、女の子とか。

動物を、人間のように愛する人とか。

…そんな人間の切なさ、不器用さ、可愛らしさ、滑稽さ、まじめさを、
愛をもって書いている感じ。

そして、なにより、「永遠の少女性」みたいなものが、大島弓子のテーマな気がする。
「永遠の女性性」ともいえるけど。

女の人が理解して、感じて、書く、女性って感じ。

また、『綿の国星』については、書きますね~
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