さよならの予感は、直感。

四月から始めた、フラワーアレジメント教室。

じつは、今日、辞めた。

べつに何も不満はない。

だんだん慣れ始め、人も場所も、心地よくなってきた気もする。

でも、お花を活けているとき、頭の中が真っ白になる現象がおこるようになり、

正直楽しめないときがあって、「これはもう、きっと、サイクルが終わったんだな~」と。

そんな日に限って、先生やほかの生徒さんに、お花をべた褒めされる。

花
花2

「新たになにかを始め、自分でやめる」という行動を何度もやって、気づいた。

「やめます」「脱退します」「さよならします」。

正直に人にこれを伝えるのが、わたしは苦手だったのだ。

でも、少しずつ上手にできるようになってきた。

正直に「NO」「さよなら」を告げても、それが相手を拒絶したり、否定するわけではないのだな。




終わりや別れを選ぶとき、直感的になる。

自分としては、別れたくない場合も多々あったり、

理屈や常識で考えたら、継続したほうが得と、思われる場合もある。

でも、なぜか「もう一緒にいられない」「なんか違う」という感覚がぬぐいきれない。

で、どうしても、その状態ではいられなくなる。

理由はよくわからないけど、見えていなかった事実が、あとから分かったりする。



つい二か月前に関わり始めた、ある集団の人々。

一つのプロジェクトをみんなでやっているんだけど、

わたしはある時から、個人主体の姿勢に切り替え、距離を置くことにした。

「なんか、違う」って思ったのだ。

そしたら、いま、かなりモメている。

わたしの、理屈じゃない直感は当たっていた模様。

でも、その場に残っている人たちは、その経験が必要だから、そこにいるのだとも思う。

彼らは彼らの力で、その経験を乗り越える必要があるから、そうなっている。

問題が起きてモメているからって、良い・悪いと判断するんじゃなく、

彼らが、自分の力で、その経験をポジティブに乗り越えていくのを、見守ろうと思った。

「適切な行為が行われますように」と、愛と励ましを送る。




他人の問題、他人のペース、他人の経験、他人の選択。

こんなことに、感情的にふりまわされないようになってきた。

実際、変な渦みたいなエネルギーを作り出す人はいる。

だけど、こちらが境界線と客観性を保てば、大丈夫。

感情移入することは、逆に、相手のためにならないとも気づいた。

空への階段

自分がウキウキワクワク楽しくなる、ポジティブな何かに心を向ける。

喜び、楽しみ、癒し、フレッシュななにか。

新しいことを始めてみるのもいい。

体を動かしてみてもいい。

そうしてると、さっぱりと、どうでもよくなってしまうよ。
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