文化伝統は人あってこそ ――映画『TOKYOアイヌ』

体調が、なんとか動けるくらいには戻ったので、

予定していた通り、新横浜で、『TOKYOアイヌ』というドキュメンタリー映画を見てきた。



あまり知られていないが、

アイヌ民族の人たちは、北海道だけじゃなく、日本各地にいるらしい。

首都圏にも、五千人くらいいるらしい。

そんなアイヌの人たちの現代の生活や、リアルな声を追いながら、

彼らのアイデンティティや歴史、伝統、尊厳について、考えさせられる映画だった。


先日、柳宗悦展に行った際、感じた違和感が、わたしの中でかなり明確になった。

柳宗悦展では、柳がすぐれた民芸品として収集した、

琉球の着物や、アイヌの着物、宝飾品も展示されていた。

ガラスケースの中に飾られた、

あの独特のアイヌ刺繍の上着や、大きな珠の首飾りをみたとき、

どこか、すんなりといかなかった。腑に落ちなかった。

茶道具や骨董の展示をみるときと、わけがちがった。

アイヌの着物も宝飾品も、そうされることで、

無味乾燥になるというか、味気ない気がした。

パサパサで、ただつるされている感じ。

「なんだか違うんだよな~」って思った。




映画の中で、たくさんの現代のアイヌの人たちが、

あの服を着て、額に飾りをつけて、動いていた。

アイヌの言葉を話し、公園や、狭い屋内で、アイヌの儀式を再現したりしていた。

そして、実際に映画にも出演していた、首都圏に住むアイヌの女性が、

上映会の後、目の前で、アイヌの着物を着て、踊りと歌を歌ってくれた。

わたしが今日、感じた、率直な感想。

アイヌの文化、歴史、伝統も、

博物館や記念館のなかに収められる展示品じゃなくって、

こうやって生きている、生ものなんだよな~って。

人が身に着けて、歌と踊りをし、言葉や声があって、

儀式があって、それを守る精神があって、

初めて、生きてくるものなんだ。

だから、ある部分だけ切り取って「民芸」として褒めたって、

どうしようもない。

死んでしまうんだな。



近代と近代以前。文明と非文明。

進歩し続ける文明社会では、科学の発展で、万事が便利になり、

環境も生活も文化も、激変していく。

そんななかで、

どうやって、古き良きもの、伝統、信仰、精神、文化の連続性を保つのか。

それは保てるのか。

永遠に同じ状態なんて無理だし、従来のままを完全に残すのは無理かもしれない。

でも、個別のアイデンティティや文化伝統を保ちながら、

共存する方法が、なにかしらあるのではないか。




今、どうして、このタイミングで、このテーマにふれているのか。

理屈ではよくわからない。

でも、わたしのなかで何かがシフトして、

意識化できなかったなにかと、チャンネルが繋がりそうなかんじ。

ainu 1
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ainu 3
ainu 4

そんでもって、

明日は北海道へ飛び、さっそく二風谷に行く。

二風谷も、アイヌコタンで有名な場所。

明後日は、白老へいき、登別で宿泊。

たっぷり満喫してきま~す。
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