やさしく包まれたい気分

朝から窓を全開。

ジュニパーベリーに、ヒノキ、ちょっとだけイランイランのオイルを、

アロマディフューザーで焚いた。

代謝&浄化系の香りをチョイス。

散らかっていた部屋を整理していたら、

大ブレ気味だった気持ちが、少しずつ、いつもの自分に戻った。

はな

新しい職場のテーマが、

どうも、わたしの人生のテーマの一つとも重なっているらしく、

意識は、過去、現在、未来と進み、

結局「じぶん」ってものに、また気づかされる。

どうも「女性」というテーマからは、逃げられない模様。


大学院に入ってから、

女性文学を研究し、女性学・ジェンダー批評を学んだことを、

ずっと隠れキリシタンのように忍んでいた。

ジェンダー批評的な精神をもっているがために、

マッチョな周囲から攻撃された経験が、トラウマになっていたから。



社会的な場面でも、研究でも、プライベートでも、

女であり続けるとか、女としての生き方とか、どうでもいいっかな~、

自分が一番楽な生き方でいきる、と思いはじめた、この1年間。

理解のない人に、理解をもとめ、闘うことも不毛だし、疲れた。

人に説明することなく、好き勝手に生きよう、と。


でも、今、あらためて、

自由に、自分で選択して、

「女性」というテーマを見つめるってことかもしれない。

ここしばらく、しみじみ思う。

女性である自分を、

生物的に、存在的に、

いたわってあげることも大切だなって。


知らぬ間に、無性的に生きているつもりなっていた。

でも結局、女性であることも、変わりはない。

”デュアリティ”って、性別をなくすってことじゃないんだろう。

たぶん、どちらの性質も生きられるってことだから。

「性別をなくす」ってことではない。


人に、どうみられるか。

人に、こうみられたいから。

そういう基準で、

自分の外見も、内面も、生き方も、

合わせたり、変えたりすることの窮屈さ。

特に、性差において。

わたしは、そういうの、手放す。

いらない。

散々やったし、もう十分学んだから、もう必要ない。


自分が好きだから、選ぶ。

それでいいと思う。




たとえば、女の人は、

胸の形をきれいにみせたい、スタイルよく見せたいからと、

無理して、ワイヤー入りの硬いブラジャーをしたりする。


今朝はもうなんだか、体を締め付けたくない気分だった。

ノンワイヤーもあるけど、

柔らかい分、たるたるだし、外出するにはちょっと気が引ける。

そこで、買ったままになっていた、新しいのをつけてみた。

淡いパールピンク、部分レースの、ちょっと大人っぽいやつ。

引き出しのなかで、一番心地よく、ふわふわしてそうだったから。

そしたら、なんと心地よいこと。

つけた瞬間、「これ!」って思った。

「今日はやさしく包まれたい気分だったのです」

心の中でつぶやいた。


自分に心地よく、感触よく、やさしく。

それでいいのです。

また、人に見せなくたって、

美しく、かわいく、楽しんでいいのです。

女神
ここ数日、棚の奥から掘り出して、なぜか持ち歩いている、
女神の石の彫り物。
トルコ土産。

ギリシア・トルコの古代には、

こんな地母神的な女神信仰があったらしい。

女性の原始のすがたってものを、

思う、今日この頃。

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