松井冬子展。それでも”君よ永遠の嘘をついてくれ”

横浜美術館で開催中の”松井冬子展――世界中の子と友達になれる”へ。

昨夜、ハワイ島ツアー仲間のtomocoさんからのインスピレーションで、
突如、思い立った行動。

感じるものが多かった。


《世界中の子と友達になれる》

「世界中の子と友達になれる」という
絶対的に実現不可能な狂気のイデアを
私は幼児期に確信したことを記憶している。
誇大妄想に等しい全能的思い込みではあるが、
今でも私の心的窮状を鎮める呪文、
琴線を震わす言葉だ。



poem3

これは反語。
反語ゆえの絶望というか、悲しみ、諦め、怒りというか、
誰しも一度は感じた何かがある気がする。

人間の無意識の底に眠る悪夢を、
絵によって顕在化させている画家。

繊細で美しいようで、
グロテスクで、狂気で、
でも、やっぱり繊細。

観る者の内面を挑発し、
あなたはどうなの?って尋ねられる気もする。

なにより、
一番感じるものが多くて魅入ったのは、
”この疾患を治癒させるために破壊する”という画。

千鳥ヶ淵の夜桜を描いた、大きな絵。

実際に咲いている桜と、
池にうつりこんいる桜とが、
水面を鏡にして、一対となっている。

暗闇にぼうっと浮かび上がる桜は、
さいしょ、白っぽく見える。
ずっと絵の前にいると、
だんだん、うっすら、桜いろにみえてくる。
画面全体を、まじりけのない、
漆黒が占めているからかもしれない。

桜は、
日本人が儚さや刹那の比喩として用い、
死生観にもよく重ねられるモチーフ。

水にうつる桜と、実際の桜。

ぼーっとみていると、
画面下部に描かれた、水面のぼやけた桜のほうが美しく思えた。

水面にうつる桜はきれいだけど、鏡像であり、虚像。
鏡面にうつる幻影にすぎない。
風が吹けば消えてしまう夢のようなもの。

実体は、
本当に咲いている、本物の桜ということになる。

しかし、
実際咲いている桜が、実体なんて、誰が保証できるのか。

そこには中国の有名な説話、
胡蝶の夢みたいなメッセージも重なっている。

人間の一生も、夢まぼろしみたいな、儚いもの。

病気であろうが、どんなに元気で健康だろうが、
幸福だろうが、不幸だろうが、いつかは絶対死ぬ。
死なない人は、いない。

だから、どんなに今ある生が苦痛でも、
自分で手を加えずとも、
いつか死ぬんだから、
そのときまで生きてればいいとおもった。

逆に、もう一度は死んだつもりで生きたら、
自由になれる。

死んだつもりで、生きたら、
なんだってできる。

しかし、それは、
わたしみたいな人間だからかもしれない。

実際、このわたしすら、
境界線、紙一重の時間があった。

ただ、
なにか楽しいこと、喜ばしいこと、美しいこと、
快楽や自由への欲求が、わたしにはまだ残っていたということ。
飽くなき欲望が。

逆に、そんな欲望すらも、
生きること自体の苦痛の前で無効力で、
今、目の前のことがどうしても苦痛で、
耐えられない場合もあるのかもしれない。

「生きることそのものが、苦痛だったんだね。

そうなってしまったら、たしかに逃げ場はない気もする。

そっかあ~。そうだったか。」

・・・心の中で、ずっとモノローグ。

実体の花と鏡像の花。

現実と幻想と。

生と死と。

自己と他者と。



結局、
昨夜は、今を受け入れることを強く思ったのだった。
その人が、この世に、いない現在・今。
その現在、今に生きる覚悟、向き合う覚悟。

・・・

その現実を受け入れたとして、
その上でもやっぱり、こうやって歌うのも、
歌であって、文学であって、芸術という気もする。

そういう生きざまが、わたしは好き。



”君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ”

このデュエット、すごいな~。

妙なことに、youtubeをうろうろしていたら、
こんな曲をみつけ、
ひさしぶりに中島みゆきスイッチオンしてしまった。

なにしろ、幼少期から、
母親に中島みゆき”時代”を聴かされて育った、わたくし。

根っから、ど根性ガエル。

・・・そんなもんなのです。
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