出会い曼荼羅

先日行った、戸隠の蕎麦屋のテーブルの隅に、
こんな札が置かれていた。


   出会い

出会うということ

ふたつの歴史が顔を合わせるということ

ふれあうということ

新しい歴史を

”今”生きるということ

歴史を生きるということ

永遠の世界を

”今”生きているということ
              酔狂師



mandara

私の出会い曼荼羅は、どうやら、際限なく広がっている模様。

出会いの質も、次元も、制限がどんどんなくなっている。

今日は、いろんな意味で、新鮮で、分厚い人に出会った。

厚みが、存在感がありすぎて、新鮮。

それでいて、ただ圧倒されるわけでもなく、
安心感というか、
信頼感のようなものを、自然と感じるのだった。

自分と似たものを感じたのかもしれない。
内部にある、同じ濃さ、重さ、強さ。

チャレンジ精神で、遊び心ではじめたことが、
こんな風な道筋にたどり着くとは、思いもしなかった。

わたしは、まだまだ本当の自分に気づいていないのかもしれない。

まだまだ、本当の自分のなにかが、発見されるのを待っているみたい。

tengu

「私も出家して、本気でお坊さんになりたいと思ったことあるんですよ」

またもや、そんなこと話していた。

どうして初対面の人に、そんな話が自然とできるのか。

やはりご縁ってやつかもしれない。

純粋でまっすぐでまじりけのない人ってのは、
一歩間違えると、
ほんと危ないというのも、なんとなく思った。

なぜなら、とにかく、まっすぐだからだ。

なんとなく、IBOKのイトウさんを思い出す。

良い意味でも、悪い意味でも、
まったく悪気がなく、思った通り、正直なのだ。

好きなら好き。
嫌いなら嫌い。

悪気がないから、ネガティブではない。

ちょっと可愛らしいくらいの時もある。

エネルギーが大きい人は、
自覚がないと、
自分の大きさに困らせられるのかもしれない。



それでいて、わたしはどうだろう?。

わたしはわたしで、
宙系、植物系だから、もっとちがうところで、ふわふわとおかしい。

エネルギーが大きな人がポーンと来ても、
へらへら、にこにこ笑って、面白がっている。

そんなわたしに、
その人は、「落ち着く」という。

わたしは、大木か?!

ふりかえってみれば、
ディープに仲良くなる友達もいつだって、
エネルギーが過剰で、ありあまっているような人ばかりだった。


炎のような人がきても、
わたしは受け止めて、そのときはそのとき、なんの痛みもない。

またひとりになったら、
ピチピチ光る、光の粒を、
草むらのなかでじーっと眺めて、静かに、一人癒されている。

それがわたしなのかな、なんて、思った今日。
関連記事

コメントの投稿

Secret

google広告

最新記事

検索フォーム

カテゴリ

プロフィール

Mari

Author:Mari
さすらいの文学少女・・・またの名を、夢見るファイター?。

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

リンク

フリーエリア

CREDIT

top