昨日は、仕事の帰り道の電車の中、急に電話が鳴った。
うれしいお誘い!tomocoさんだった。
横浜駅で降りて、合流。
そしてご飯を食べて、ゆっくりお話しした。
いろいろなこと。
tomocoさんは会うたびに、感覚が鋭くなっている。
人を見る目が、みかがれている。
一般的・常識的・社会的評価というより、
その人の雰囲気や空気、エネルギーやオーラの癖みたいなものを、無意識に見ているっぽい。
それをごくごく地に足着いて、みてとって、自分のこやしにしている。
”自分のfeeling、好き・嫌い、心地よい・心地悪い、なんかちがう・なんか合う”、
tomocoさんはだんだん、そういうのがとても敏感になっているんだと思った。
前も敏感だったろうが、よりクリアに、明確になってきたんだろう。
目が、変わっていた。顔の感じとか、肌から出る照りつやとか、やわらかさとか。
人が変わっていくのを見るのは、とても楽しい。
わたしもいっぱしな、顔相観になれそう?!(笑)。

”縁のふしぎ”を感じる。
話の流れで、一年ほど前に、ある人から言われた言葉を思い出した。
その人は、その人がいるような場所へ、私も行けばいいと言った。
わたしが、その人のことが、好きだったから。
そしたら、そういう人が、みつかるよって。
その言葉が、ずっとどこかに残っていた。
「そうかな~?」
「いや、そういうことじゃない気もするんだよな~」
彼のような人がいる場所へ行けば、
また彼のような人に、出会えるのだろうか。
行動的といわれるわたしなのに、
ふしぎと、その人が行きそうな場所を探して、行かなかった。
なんとなく、違う気がした。
そうじゃない気がした。
いまさらだけど、
縁とか、運命ってある気がしている。
自分はいいなと思って、惹かれていても、
本当に合う人は、別にいたりする場合も、多い。
きっと、単に、合わなかったんだと思う。
その人と、わたしでは。
その人には、その人とぴったり合う人がいたし、
わたしには、わたしで、もっと合うタイプは別にいる。
わたしは、だれよりも、私自身のことをよくわかっていない。
だから、いま、この場所に立って、
「これでよかったな~」としみじみ思うのだった。

熊野を旅していたとき、
じつは、けっこう若い男の人に親切にされたり、お話ししたりした。
といっても、ごくごく健全な、旅人をねぎらう地元の人と、旅人って感じの会話。
印象的だったのは、
熊野那智大社でちょこっとだけお話しした、若い神主さん。
なんともいえない、さわやかで、線が太くて、健康的な感じの人だった。
わたしはずっと、女性的な、物腰の柔らかい男性が好きだと思い込んでいた。
でも最近、じつは男性性のつよい、男らしい人のほうが、
じつは合うのではないかと、気づき始めている。
自分の歴史を振り返ってみても、
向こうからやってくるのは、やたら、そんな感じだった。
一見そう見えなくても、ふたを開けてみたら、そんな感じだったり。
男性性が強い人ばかりだったから、うんざりしちゃったのかもしれない。
でも、自分自身が成長してみれば、そんな人も、かわいいもんだ程度にしか思わない。
たぶん、自分が思っているより、わたしは女性性が強いのかもしれない。
環境的にも、生活的にも、仕事的にも。
だから、バランスなんだとおもう。
濃度の問題。
よく男女は一対みたいに言われるけど、
ほんと、お互いの存在で、バランスとってるんじゃないかな?と思う。

・・・経験のジェットコースター。あいかわらずですが。
平和であたたかで、無条件な愛にふれた場所や時間が、
ずっと、わたしのなかにあるので、
大丈夫。
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