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一つの山と一つの気づき。

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毎日、日々、サイクルの、ちょっとした、そして、精妙な変化を感じる。

4日~2日前までのサイクルと、

昨夜からの今日の夕方までのサイクルは、

わたしには、ちょっと違っていた感触。



今日の夕方は、ひとつの山だった。



最近、気が付けば、「あ、これって試されてる?」って思うことが多い。


ニュースをみていても、

道を歩いていても、

けっこう、世の中の調子は、争いエネルギーが強い。


尖閣諸島問題しかり。


気が付けば、社会レベル、個人レベルでも、ピリピリしている感じ。


3.11から続く、長期にわたる閉塞感と、精神的疲弊だろうか。


で、じぶんも気が付けば、
ネガティブに感情的になる瞬間があって、
「あ」と思う。


人のせいに思ったりするかもしれないけど、

周囲のエネルギーに同調するか、しないかは、じぶん次第だとおもう。

hana


わたしも、
感情的になる理由は、
さまざまな言い訳は、いくらでも、みつけられる。


いまは、変化やとりくみが、めじろおしで、
そのなかで、バランスを取っている。

会社にしろ、プライベートにしろ、
周囲から求められ、必要とされるなにかがありつつ、
錯綜している状況の中で、
「ただ、わたしにできる、最善を尽くすだけ」という、
じぶんの胸ひとつで乗り切っている感がある。


これで、
変化や成長を、楽しむ感覚がなくなったら、
よゆうがなくなってしまうだろう。


実際「がんばりすぎてるかな」って自分を観察するときもある。


――いま、よゆうあるか、ないか。
じぶんの、からだと、こころと、たましいに、
尋ねてみる時間も大切。



今日の夕方は、そういう意味で、一つの山だった。



で、わかったこと、一つ。


「どんなじぶんで。ありたいか」。


他人と接する際は、
すべて、パブリックパーソナリティなんだな。


したしい関係性、
家族、友達、パートナーであろうと。



ここで、売り言葉に買い言葉で、
感情的に突っ走ることもできるけれども、
相手のことも思いやって、
感情的しこりを切り捨て、手放して、声をかけることもできる。


こちらが、まず、
無条件の愛や、客観性という、大人の態度をとる。


それだけで、事態はガラッと変わる。



そのことに気づいたのは、
今日の仕事のさいごのさいご、
職場の上司が、
「マリリンコさん、大丈夫?」って一言、声をかけてくれたことにある。


今日は業務量に対し、時間が足りず、
わたしにしては珍しく、残業をしていたところだった。


なにげない、一言だったけど、その人の思いやりが、じんと滲みた。


もちろん、上司たちも、
大変な忙しさの中で、それぞれの仕事を抱えている。


お互い、大変だし、
「わたしだって、こんなに仕事があって、大変なのよ!」と、
じぶんの大変さを主張することだってできる。


でも、一言、
「あなたも、大変だよね。大丈夫?」と相手の立場を汲んで、
声をかけるだけで、
たがいの気持ちは変わってくる。


そういうのが、思いやりだと、あらためて感じた。


だから、わたしも、
また別の関係で、
他の人に対しそんな思いやりの態度を、示そうと思ったのだった。


いまは、この地球で生きているどの人も、
それぞれの場所、それぞれの立場で、
なにかしら、課題に取り組んで生きている。


ポジティブにいられるときもあれば、
世の中の空気的には、閉塞感が強いので、
ネガティブな方向の、こころの揺さぶりも、強いだろう。

そういう意味で、やっぱり、励ましや思いやりが必要な時もある。


おたがい、つらいつらい云って、愚痴り合ったり、
他人や世間にイライラ切れることも簡単だけど、
どうせなら、
「わたしも大変、あなたも大変だね。
でも、もうちょっと、ゆる~く行こうよ」
と、肩を叩くくらいの気持ちで、いられたらいい。

そんな風に思った。
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