わかりあえる・わかりあえない。

突如、風邪熱になって、
寝込んだり、復活したり、
あいかわらず、忙しいわたくし。

今日は、職場で、産業カウンセラーと面談する日だった。

けっこう、話したように思う。

しかし、ちょっと徒労感が…。

話し合えれば、わかりあえると、
一般的に思われている。

しかし、
じつは、話し合っても、話し合っても、
わかり合えないことって、多い気もしている。

たとえば、
数年前に、付き合っていた人とは、
とにかく、話し合っていた気がする。

議論するのが職業みたいな、研究畑にいる同士だと、
理性的な話し合いは、まあ、コミュニケーションとしては妥当な方法。

でも、話し合えば、合うほど、
すれ違っていく気がした。

その時思った。

よく「じっくり話し合えば、わかりあえる」とかいうけど、
それは嘘だな~って。

今思うに、
他人と話しているようで、
人は、じぶん自身と話しているのかもしれない。

じぶんとの対話が、ちゃんとなされていない場合、
他人と話すと、
ただ、混乱し、ますますじぶんがわからなくなるのだろう。

それに、自説を曲げるつもりはなくて、
相手の意見との折衷案を考える気もない人も多い。


「そんな机上の論理で、いろいろ話しても、わからないよ」

といわれ、わたしって、考え過ぎかな~って思った。

わたしとしては、
ただ、じぶんの感じていること、思っていることを、
知ってほしかっただけだった。

解決してほしいわけじゃなくて、知ってほしかった。
受け止めてほしかったんだろう。

でも、すぐ気づいた。

それは、根本的に、他人に求めることじゃないんだと。

じぶんが、
じぶんの感じていることを、
受け止めてあげていれば、
そんな風に、他人に求めなくても大丈夫なんだと思う。


カウンセラーの人には、
「いろいろ抱えがちかもしれないけれども、
人に話すだけでも、楽になるから、
なにかあったら、相談してくださいね」との一言。


わたしは、ひとに、相談しなさすぎ、頼らな過ぎかな~とも、ふと思った。


でも、部外者のひとに相談すればするほど、
混乱することは確かなので、話さないほうが、いいってことも多い。

ましてや、当事者にすべて話せるわけでもなく。


じぶんもしあわせでいたい。
ひともしあわせでいてほしい。
それを切に願って、なにか、悩んでいるつもりになっていた。


でも、なんだか、ばからしくなった。

悩むより、
いま、感じている、楽しいこと・幸せを感じることを、
ただ、そっと大切に味わって、
しばらく過ごそうと思う。


相手には、いま、すべて伝わらないかもしれないけど、
でも、そんな祈りは、
いつか、なにかの形できっと伝わるだろうと、信じている。
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