ニュース。言葉と行動。冒険家。

気が付いたら、今日もいちにち無事に終わってました。

最近、ニュースを見ていると、以前と違った受け止め方をするようになった気がする。

前は、悲惨な話は苦手だった。

ここのところ、ますます、
世の中で起きる出来事は、すべて意味があるように思える。

たとえば、

日本の柔道女子の暴力事件。
大津の高校の体罰事件。

いま、なにか流れとして、
「潜在的な暴力・支配・抑圧」というものが、
うわっと顕在化して、噴き出てきて、
それにバランスをもたらす時期に来ている気がする。

これまで「暴力」を、よくわからない論理や建前、常識、思い込みで、
「指導や教育」として、いかに放置してしまっていたか。

DVと一緒で、
暴力を、問題解決のパターンとして学習してしまっている加害者は、
絶対治ることはない。

「反省した」といっても、意味を深くわかっていない。
たぶん、同じことを繰り返す。

殴って、
他人を支配・コントロールできることを覚えてしまった人は、
どこかで、それをまた繰り返す。

自分の精神構造・行動パターンが、
いかに人を傷つけるか自覚したうえで、
更生プログラムを受けて、内部から変えていかないと、
加害者は変わらない。


でも、わたしたちにできることは、
まず「暴力」とはなにか、注意深く認識すること。

変な論理に、ごまかされたり、のせられたりしないで、
本質を見抜くこと。

他人に関与してでも、自分の責任を果たすこと。

gumi

今日、ずっと気遣っていた態度をしていたのを、

バシッと正直に、感情を抜いて、意見する態度にしてみた。

すると、自分のなかできらめく核を感じた。

その言葉は、

わたしが、実践・行動しているからこそ、力をもつ言葉だと感じた。



結局、ひとは、その人その人で、自分の責任を持って生きているよね。

まるで何かの被害者のように言っちゃうこともできるけど。

いつまでも、なにかの、犠牲者のようにいるか、

それとも毅然と立ち上がって、自分の優雅さや高貴さを発揮して、

胸を張って、力強く、じぶんを生きるか。

それで、その人の人生は変わってくると思う。




でも、ふと、こうも思った。

わたしは、ときに「純粋性」について、厳しすぎるかもしれないって。

できることを、とにかくやる人間だから、

じーっと観察していて、

それと同じだけ、相手がやってないと、

「やってないよね」って、しまいには、直球でいう。

いうと、相手は、ずきんとするんだろう。


知名さんにも、似たようなこと言われたし、
ふりかえれば、ところどころ、
友達に似たようなことをよく言われている。


言葉だけじゃない。

理想だけじゃない。

ほんとうに行動しているかどうか、どう正直に生きているか。

正直に、直球で、ついてきてほしいのだ。

でも、私の回転数で、この域で、

「同じように」って人も、じつは少ないのかもしれないと、最近思いいたった。


口では色々理想を言っているけど、
態度や行動、エネルギーでは、まったく違くて、
知らぬ間に、かすめ取ろうとする人もいた。

そうじゃなければ、攻撃してくる。

そういう人たちに対しても、
「勝手にやってれば」って、いまなら思う。



建前とか、都合のいい言い訳とか、ごまかしとか、
そんなことより、
はちゃめちゃでもいいから、
自分の夢や理想を真っ正直に追求して、
転びながらでも、生きている人のほうが、好きだ。

人は、じぶんのやり方でしたいことをして、
ずっこけて失敗した人を見ると、
ほら見たばかりと、笑ったり、攻撃する。

でも、本当はそういう人のほうが、
努力家で、勇気があったり、成長の伸びしろが広いと思う。

笑う人は、失敗をおそれ冒険しない人、安定を選ぶ人。

私は、いつでも、冒険家にシンパシー。

冒険のほうが好きだから。
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