一度、熱が下がったと思えば、
思いがけない症状がまた出て、
熱も出て、また数日、寝込んでいました。
その間も、いろいろ思いめぐりつつ、
手放すこと、いっぱい。
今回、気づいたことは、
「じぶんが、じぶんを、責めている」んだなってこと。
斎藤一人さんは、なにかのCDで、それを「心の中の悪徳裁判官」といっていた。
あれかもしれない。
誰しもの心の中に悪徳裁判官がいて、
それは大抵、
過去の経験で刷り込まれた「劣等感」「価値観」だったりするのだ。
それで、自由に型破りに生きようとするじぶんを、
すごく、気づきにくいラインで、疑ったり、責めたり、疑心暗鬼にさせる。
あーあ。そっかあ~って思った。
ベットで寝ながら、
フジ子・ヘミングの『運命の力』という本や、
宇野千代の本を、読み直し、
一つの、答えを得た気がして、こころが元気になった。
フジ子・ヘミングは、
長いこと落ちぶれていた時、病院の掃除婦をしたこともあるそうな。
パトロンを持つように言われたけど、そんなあてもなかった。
音楽の世界は、一日何時間も練習しないとだめだから、
お金持ちの家の人でないと続かない。
そして、後押しのある人がうまく世に出て、
「一流」と呼ばれいたりする。
だけど、そんな人の音は、二度と聴きたくないような音ばかり、と書かれていた。
光が当たらなくても、
じぶんの音は、一番だと根拠もなく思っていたし、
音に、自分の人生や生き方が出ているというようなことが書かれていた。
実際、フジコ・ヘミングのあの演奏、音を聴くと、
上手下手を超えた、理屈じゃない感動、
魂ゆさぶられる感動があるのは、
彼女のすべてがそこに出ているからだろうな~と、いつも思う。
人生って、わからないな~と思う。
でも、前のわたしより、
絶対、いまのわたしのほうが、文学も、小説も、わかるとおもう。
しみじみと、入ってくる。自分のことのように。
大学の通教の添削をたまたま頼まれ、今年の四月からやり始めている。
その一環で、中島敦の『李陵』と『山月記』を読み直した。
李陵の描かれ方、世界観が、なんともいえないリアリティだった。
以前読んだときと、全然ちがう感触だった。
文学は、結局、理屈を超えた人間のなにかを描くから、
わたしは、本能的にそれに惹かれ、選んだんだろうな、と思った。
宇野千代だって、そうだ。
彼女は、とことん、行動する。
超ポジティブシンキング。
でも、普通の人じゃ、それは、なかなかできないことだ。
四回結婚して、すべて離婚。
世間じゃ、考えられない人生かもしれない。
自分に嘘をつかない生き方。
でも、彼女のようにやりつくすとで、一つの思想、哲学まで到達してしまう。
さらに、それを表現することによって。
「いい・悪いじゃなて、自分の本能のまま、
とことんやりつくしちゃえば、いいじゃん。
だれが、どうおもおもうと、いいじゃん」
宇野千代の、あいらしいパワフルさの前で、そう再び思ったのでした。
そして、最近、なぜか妙にまたツボなのかが、
E.YAZAWA。
なぜか彼の曲を聴いていると、元気になる。
ロックぽいのもいいし、バラードも、いい。
特にこのライブ映像は、イントロがいい。
リピートで聴いてしまったりして、
ほんと、止まらない、ハーハー、である。
矢沢永吉にも、伝説がいろいろある。
わたしはもともと、彼には全然興味なかった。
雰囲気とか、なんか、寄り付きがたくて(笑)。
しかし、以前、なにかの対談番組で、
彼が、自分の人生について語っているのを聴き、
見直した記憶がある。
信じていた人に裏切られ、
詐欺か何かで、30億の借金を背負ったとき、
誰もが、もう矢沢永吉は終わったと、思ったそうだ。
そんなとき、
「じぶんは、矢沢永吉だ。
だから、ここからもう一度、立ち上がってみせる」
と思い、実際、完済し、復活したという話だった気がする。
若いころから、自分は一番いいとか、成功するとか、
自分で自分に言い聞かせていたという話も有名。
自伝を読むと、決して順風満帆な生い立ちではないし、
彼のロックは、
ほんと、パンクロックにちかい感性から始まっているとわかる。
もう60代なのに、パフォーマンスもこのとおり。
この人は、意外に完璧主義で、エンターテイナーとしての本気度高い。
あらためて、かっこいいと思った。
きっと、この人の音や歌にも、
彼のいろいろな経験が入っているから、
ファンがいるんだな~と感じている。
経験に負けてしまうんでなくて、
血肉にして、昇華してしまう、タフさ。
そして、一番好きなバラードが、これ。
こんなバラード、歌っているあたり、ブルースの才能も感じる。
タフさの裏に、
人のこころの痛みや、切なさもくみ取る、
ブルース的なものを感じる。
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