先日、たまたまNHKを見ていたら、
佐村河内守さんのインタビューがやっていた。
あとで調べたら、
この人は、NHKのドキュメンタリーで取り上げられ、
今年4月には、金スマにも出演するなど、
なかなか、話題になっていた人のようだった。
現代のベートーベンなんていわれている。
広島の原爆二世の人で、
音楽を志していたけれど、
高校生の頃に、被ばく症もあって、
聴力に異常をきたしはじめ、
35歳にして、全部の聴力を失ってしまった、音楽家。
いまでも、さまざまな症状や後遺症、精神的な症状も抱えて、
一日30種類の薬を飲んでいるそうだ。
聴力障害のため、激しい耳鳴りに苦しめられる日々。
彼は、聴力は失っているけれど、
絶対音感で、作曲を続け、
交響曲第一番”HIROSHIMA”を作り上げたそうだ。
なにげなく見た番組だったけど、その数分の中で、
彼自身が語っているのをみて、
わたしも、深い感銘をうけた。
彼が語る言葉は、重く、深い言葉ばかりで、
なぐさめや、安易な励ましなど、なんの意味もない風だった。
絶望とか、悲しみ、苦しみ、怒りとかを、
へんに簡単に妥協でくるんでしまうんじゃなくて、
闇をあじわいつくした人の気配でいっぱいだった。
でも、その闇を突き詰めていった結果、
さいごに、かがやく光こそ・・・ということを、彼はくりかえし云っていた。
「人間は、闇の底に突き落とされて、初めて、小さな光を知る」
「心の闇に、光を」
「小さな光の交感」
わたしは、聴きながら、メモ書きした。
世の中には、すごい人がいるもんだなと思った。
きっと、これは彼にしかできない芸術の形だし、表現。
じぶんを、突き詰めていった結果、こういうものが生まれたんだろうな。
そういう、感動。
にんげん、人生に無駄ってことはなくて、
すべて必要な経験だし、その経験から逃げずに生きていれば、
かならず、光が訪れるんだっておもう。
最近、興味をもつものが、なんとなく広島に縁があるものが多い。
行きたいな~って思っている、厳島神社は、広島。
矢沢永吉も広島出身。
かれも、原爆二世だったと、自伝に書かれていた気がする。
わたしは、研究で、
被爆作家・林京子について書いていたことがあり、
長崎の原爆については、調べたり、考えたりしたことがあった。
でも、さらに規模の大きい、広島については、あまり深く考えたことがなかった。
「ふつうのひと」と同じ、常識程度の認識。
正直、広島というものを、
ふかく感じたり、考えたりしようとすることを、避けたい気持ちもあった。
それは、沖縄のひめゆりの塔や、鹿児島の知覧特攻隊のことを、
なるべくなら考えたくないように。
子供のころ、小学校で見せられた、はだしのゲンのアニメから、一歩も出ていない。
ただ、こわいこわいの世界。
でも、これだけ時間が流れ、
歴史に対する認識もより個人として抱けるようになった今、
じぶんがどう感じ、なにを思うのか、
平和ってなんだろうと、
人間の歴史として、もういちどかんがえるのも、いい経験だと思ったりする。
先週土曜日、
riekoさんに、クリスタル・ヒーリングをしてもらった。
予定をついでにこなしてしまおうと、
午前中~昼に、恩師との打ち合わせに行ったのもあり、
その日、気温が急上昇したのもあり、かなり、体調は不安定だった。
クリスタル・ヒーリングをしてもらったら、
ゆるんで、ほどけてしまったのか、ぽか~んって感じになってしまい、
いつもは、それなりテンションも高めかもしれないけど、
かなりマタ~リしてしまった。
なんだか、小学生のころの気分を思い出したのだった。
云ってもらった言葉も、
じぶんじゃ気づいているようで、気づいていないようなことが多く、
「そうかも?!」と、
あらためて、自分の生活(内外の)みなおす気持ちになった。
riekoさんお手製の、
おいしいタイカレーと、春雨サラダもいただき、のほ~んと帰宅。
おいしいタイカレーとサラダで、
気づいたのは、
人が作ってくれたご飯食べるのって、しあわせだな~ってこと。
ここ二週間あまり、自分が作った食べ物ばかり食べていた。
外食とは、またちがうんだよね。
知っている人が、ちゃんと作ってくれたご飯って、心満たされる感じ。
わたしは、なにか、受け取り足りていないんじゃないかとかんじ、
翌日は、やる気が起きず、
ご飯も作る気が起きず、
おもわず、実家に戻って、夕飯食べちゃいました。
それでも、かなり元気になった。
小さなレベルから、
自分に、許可できていない、じぶんってものが、
かなりいるな~と自覚した次第。
riekoさんが、ハートチャクラのところで、
「母性」って何度も云ってくれたけど、
じぶんなりに、それも感じるところがあり・・・。
「母性」は、やりすぎちゃうほどに、母性なんだな、わたしは。
でも、わたしも受け取らないと、
ある一線をこえてくると、きゅうきゅうになってしまうのだ。
きゅうきゅうになった結果が、いまの、状態なんだと思う。
体のことにしろ、なにか、じぶんでもバランスとりきれない。
この欠乏症を、じぶんでケアしていくつもり。
riekoさんアドバイスも生かして、
自分の好きなことをしたり、
水辺や、プチ旅行に行ったり、なにかしらする。
ふりかえると、あの日は、ふしぎで、
午前中に会った恩師たちにも、
健康のことをしきりに聞かれたが、「厄年」の話がけっこーでた。
わたし、後厄なんです。今年で33歳だから。
厄払いは、前厄の年(一昨年)にしてもらっていたけど、
いまひとつ手ごたえのない祈祷だった気がして。
昨日、地元のお世話になっている神社へ行って、
丁寧に厄払いの祈祷してもらっちゃった。
それでも、すこし、スッキリした気がした。
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