自分に気付くということ



気が付けば、8月もあと二週間ほどで終わる。
早い早い。

7月も、8月も、じぶんを根底から問われるようなことが多かったな~と、
ひと段落してから、思った。

新しい経験が多く、そのたびに動揺しながら、対処しつつ、
じぶんのポリシーや哲学、理念みたいなものが、
確かめられていくのを、感じた。

こたえはわかっているのに、
ときに、疑心暗鬼になったりもした。

あまりにつらいと、
相手ばかりが、いやに、思えたりした。

だけど、
相手を信じられていない、じぶんがいるのかも?と思った。

そして、じつは、原因は相手のようで、
じぶん自身の選択肢や、直感や、こたえをどこかで信じ切れていない、
じぶん自身が問題?と、
最後には気づいた。


じぶんに、最後の最後の一部でも、自信がない部分が残っていると、
ゆらぎがあると、
ちょっとした外部的なことで、疑心暗鬼が発生してくる。


結局、じぶんの自信の問題なのだった。


”信じる”ということを、あらためて、
おもったり、かんがえたり、感じたりした。


究極的に、すべては、じぶん自身の問題なのだな~。


それに、わたしも完璧な人間ではないから、
そういうことがあっても、しかたない、許そうって気持ちになれた。







「相手は、どうして、こんな風に云うんだろう」

「こんな風にいわれて、傷ついた。ひどい」


そんな感情がうわ~ってあらわれたとき。

「じゃあ、自分は、相手にどういってほしかったか?」と問うてみた。


すると、
ほんとうは、こう云ってほしかった、
ほんとうは、こんな風に、反応してほしかった・・・という言葉が、いくつか出てきた。


「大丈夫だよ、きっとうまくいくよ」

「つらいよね、よくがんばってるよね。一緒に乗り越えていこうね」

わたしだったら、

他人が、相手が困っていたり、悩んでいたら、こういう風に云うだろうって思った。



そこまで考えたら、逆に、ストンと楽になった。


じぶんは、慰めたり、励ましたりしてほしかったんだな~と気づいた。




でも、それはもしかして、他人に求めるものではなく、
じぶん自身が、じぶんに与える励ましや讃えなのかな?
と気づいたら、さらに楽になった。




他人に云ってもらうことを期待するより、
そんなじぶんの気持ちを、自覚することのほうが、大切な気がした。


じぶんが、一番、じぶんのことわかっているんだから、
もっともっと、
じぶん自身から、励ましや、慰め、讃えを与えればよかったのだった。

じぶんが、じぶんに与えることを、おろそかにしすぎていたんだね、と。



「そうか、そんな風に云ってほしかったんだね」

わたしは、わたしに、心の中で云ってみた。

やさしい気持ちになった。

そして、かなり楽になった。



そんな風にフラットになったら、
周囲の反応が、
その人たちなりに精いっぱいな善意であることも、あらためて感じられた。




昨日も、産科の先生のところへ、遺伝相談外来というので、行ってきた。

いろいろあったけど、今すぐ、書ききれない。

またおいおい書きます。

とりあえず、わるいほうには流れず、けっこう明るい展望です。
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