庭で土いじりセラピー。愛の充電池。

昨夜は、天気予報で「熱帯夜になる」といっていて、
相方が「涼しい部屋で寝なよ」というので、
一階のリビングで、寝た。

たまには、優しいことも云うもんだと思ったので、
むげに断るのもな~、という気持ち。

なんとなーく、わたしは暑くても、
二階でひとりで寝るほうが、ぐっすり寝れる気がしていた。

案の定、予感は的中。

朝早く、家を出るために起きた相方が、
悪態をつき、あたり散らす声で目が覚め、
二度寝する気分になれず、そのまま起きてしまった。

「なんだかな~」と思った。

相方とわたしは、ほんとうに、全然、性格がちがう。

なぜ、この人は、
こんなに常にイライラして、当り散らしてるんだろう?といつも思う。

ふしぎでならない。

限度を超えると、社会不適合者になるんじゃないかと、客観的に心配している。

たぶん、これまで生きていた人生での、鬱屈と怒りの貯蔵量がはんぱないのと、
愛の充電池が足りなかったので、
逆噴射的に、怒りで生きているのだろう?というのが、わたしの解釈。


今朝は、じーっとそのことについて見つめていたら、
ふと、結局は、ホ・オポノポノのクリーニングなのかな?と思った。

相方の問題のようで、100%わたしの問題である、という、あれだ。

過去世のカルマや、
なにか集合意識かもしれないし、わたし自身がクリーニングしなきゃいけないこととして、
そういう話を見聞きしているんだろう。

相方が変わるとも思っていないし、期待もしていないけど、
わたしはわたしで、なにがあっても、優雅に対処できる自分でありたい。

まあ、朝から気分を引きずっても仕方ないので、
少々、早いものの、
静かな音楽をかけながら朝食を食べて、
洗濯、食器洗いをすませた。

その後、まだ日があまり高くないので、
ずっと気になっていた、花の苗を、やっと鉢に植えた。

ひさしぶりに土のやわらかさを手で感じつつ、土のしめった匂いをかいだ。

夏の日陰の心地よさ、
ときたまの風のすずしさ、
蝉の音、
葉のざわめき。

窓を全開にしていたから、
家の中でかけておいた、ピアノの、ノクターンや月の光が流れてきて。

いろいろな音が、漫然としつつ、調和。

素になって、気持ちよかった。

土いじりが、わたしにとって、
なによりものセラピー&デトックスだったことを、思い出した。

新しい花苗は、
どこに置くか、特に考えていなかったけど、
なんとなく秋色っぽい寄せ植えだったので、玄関横に置いてみた。

tuti2

tuti1


それまで置いてあった、赤い日日草の寄せ植えは、
いままで、ありがとうの気持ちも込めつつ、
お休みさせようと、ベランダ側の庭に持ってきた。

この日日草は、けっこうボリュームがでて、きれいに咲いてくれたのだけど、
途中から、バッタが住み着いて、葉っぱに穴が開いちゃって(^_^;)。

今日移動させていたら、1匹だとおもっていたバッタが、
4匹くらい飛び出てきて、驚いた。

バッタ一家のマイホームになっていたらしい。

どうりで穴が開くのが早いわけだ。


酷暑で、だめになってしまった鉢植えも多く、
その鉢も整理して、片付け、
生き残った鉢植えを手入れして、配置し直してみた。


花の鉢のレイアウトを入れ替えるだけで、
気分も変わるから、ふしぎ。

草花の手入れしていたら、
スイッチが切り替わって、なんだかとっても、すっきり。

フラットな感覚。

わたしは、わたしの心地よさ、静けさ、穏やかさに浸っていていいんだよな~。

しぜんに、それができた、今朝。


panji

最近、ひとつ気づいた、正直なはなし。

相方と接することで、価値観や世界観がまったく異なるので、混乱したり、
困惑したりすることが、これまで多かったし、
今でも多い。

わたしは、恵まれた家庭環境で育って、
親や家族にも恵まれ、
苦労を知らなくて、甘ちゃんみたいに、相方には言われることが多い。

贅沢だとか。

でも、最近思った。

大切なのは、
その家庭の経済状況、お金、社会的な身分や地位とか、はぶりの良さではない。

そんなことよりも、
親や、祖父母や、姉妹、親戚といった家族から受け取った、
愛情や、信頼、
なにが良いことで、人として素晴らしいことかといった価値観。

そんな価値観を、当たり前のように吸収して、育ってきたことだ。

わたしは、正直、愛情の充電池がはんぱない。

そりゃ、うちの家族だって、
ひとりひとりが完璧な人間でもないし、
それぞれ長所も短所もあれば、
家族喧嘩もあるし、いろいろあった。

でも、根っこの部分では、
人生を生きていくうえで大事なこと、
精神的なことを、沢山受け取ってきた。

人としての信頼、善良さ、道徳心みたいなものを、
知らぬ間に受け取って、生きてきたと、気づいた。

そういう環境で育ち、
人を信じることができるし、
人の善意や親切心も信じられるし、
逆に、人に親切にしたり、優しくすることの喜びも知っている。


家族が教えてくれた、一番大切なことは「人としての心」だったと思う。

そして、愛情の充電池がいっぱいであるという、贈り物。

そういう子どもで育って、そのまま大人になってきたということ。

それに気づいてから、人生で初めて、
祖父母や両親、姉や、おじおば、囲まれてきた家族に、
感謝の気持ちがわいてきた。

リアルに湧いてきた。


絵本作家・きむらゆういちさんのエッセイで、こんな言葉があった。


愛情は食べ物と同じで食べないでがまんすることはできるが、
食べるまでは決して満腹になることはない。


愛情を知っているということと、
知らないということは、とても大きい違いだと思う。

食べ物に譬えているけど、ほんと、そうだな~とおもう。

ふとしたことで、
ああ、自分は知ってるんだと、気づいたとき。

感謝しかない。

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わたしは、あらためて、
じぶんの家族を尊敬したし、
そんなじぶんに誇りをもっていいんだ、誇りをもとうと思った。

これからも、
わたしは人として、そういう誇りをもって生きていこうって。

愛情の充電池がいっぱいであることは、誇りに思っていい。

だって、人にやさしくできるし、しあわせを感じられるし、
じぶんのことも愛せる。

なにがあっても、ちょっとやそっとじゃ、
この充電池は、枯れたり、充電切れしたりしない。
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