光と風と水と。

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Hallelujahな・・・

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ByMari

急きょ、7月に、石垣島で挙式する話が持ち上がっている。



というか、「沖縄に行きたい行きたい」ずっと思って、云っていたら、

一人で行くつもりが、

ついでに、相方も連れて行って、新婚旅行してきちゃえという話になり、

最初は、なーんにもしていない自分の自己満足のため、
せめて、砂浜でウェディングフォトの安いのでも撮ろうかとか思ったのが、

おまけに面倒くさいから、挙式も二人でしてしまって、
もうそれでまとめちゃえ、やったことにしちゃえ、みたいな流れになった。



最初は、沖縄本島で色々画策していたのだが、
なかなか案がまとまらない。

なにしろ、赤ちゃんを母に預けていくことになるので、
せいぜい、行けて、二泊三日。

行きたいところもあるし、
でも、挙式とか写真とかなると、時間やお金もかかる。

さんざん調べるけれども、なんとなく、フィットしない感。


そこに偶然、相方の、タクシー運転手時代の同僚から連絡が…。

そのおじさんは石垣島出身で、当時は、東京でタクシードライバーしていたのだけど、

二年前に石垣島に戻り、いまはあちらで生活しているとのこと。


そんなこんなで、相方が、石垣島にも行ってみたいと言い出し、

ならば、わたしも石垣島には行ったことないし、もう石垣島でだけいいんじゃない?という流れに。


今まで、あんまりよく考えたことがなかったのだが、
この一週間ほど、
結婚、結婚式というものについて、いろいろ思索した。


結婚願望はあったものの、
ウェディング願望のようなものが、漠然としていて、
じぶんのなかではあまり立体的でなかった。

こういう順番で挙式をすることになろうとも、全然思っていなかった。

なんとなく、好きな人と結婚の約束をして、
結婚して、
式なんぞして、
そのあと、赤ちゃんができるものだと思っていた。

だから、結婚式って、結婚生活の初々しいスタートってイメージがある。

テレビやなにかのCMだと、
ウェディングって、
愛し合っている二人が、晴れの門出で、
あるいみ、恋愛関係の絶頂のときにするようなイメージだった。

ゼクシイのCMの弊害?!。


正直、流れのままにここまで来たので、
昨年一年で、あまりに色々なことがありすぎ、
相方の色んな面を見過ぎたので、ゼクシイのCMみたいな気分になれないのもあった。

いまさらってかんじ。

もっと別の、新郎用の、新鮮な男性を連れてきてほしい・・・くらいな。





でも、ふしぎなもんで、
たまたまyoutubeでみた、この動画をみてて、考えがかわった。



神父さんが、サプライズで、歌を歌っている動画。
この歌が、なんともいえず、よい。
さいしょ、この歌を聴いてると、目頭が熱くなってきた。

理屈じゃなく、感動してしまう。
なにかが、響いてきた。
久しぶりの感覚だった。





正直、挙式なんてしなくてもいいって気持ちもあった。

写真だけ、記念に撮ればいいと。

それも、自己満足のためであって、
今撮っておかないと、一生、ウェディングドレス姿なんて撮れないかもしれないから…だ。


こころのなかをじーっと見ていたら、
どうやら、神の前で?愛を誓うってのが、抵抗があるようだった。


たぶん、「神の前で、誓う」って、
わたしにとって何か、
別次元の深い響きを感じるみたいだった。

ホ・オポノポノではないけれども、そこから、いろんな想いがめぐってきた。
沢山気づいたことがあった。



最近、偶然、テレビで見たり、ラジオで耳にしたり、本屋さんで目についたものに、
キリスト教関連の物が多かった。

”ゆるし=Forgive”って言葉が、キーワードだった。


わたしは、昨年の一年の間に、相方との間にあったいろいろを、
どうも許せていないようだった。

「相方が、わたしに、したこと」で、許せない気持ちが根深く残っており、

それで「挙式」とか「愛を誓う」とかいうのが、
ちゃんちゃらおかしい気持ちが、どこかにあったのだ。


執念深い、粘着質といわれたらそれまでかもしれない。

たぶん、他の人が聴いても、どん引きの出来事が山ほどあったのだから、
仕方ないと思う。

「わたしは、許せないって思ってんだな~」と客観的に思った。


でも、これって、相方に対してだけではなく、
わたしの気質に起因することだと気づいた。


たとえば、いつも理解できなかったことの一つに、
我が家の、
他の家族がケンカしたときの様子がある。

うちの両親は散々ケンカしても、翌日とか、しばらくしたら、
また普通に話しだして、
いつのまにか、何もなかったかのように、戻っている。

うちの姉も、同じ感じ。
家族でケンカしても、しばらくしたら、
何もなかったかのように、話しかけてきたりする。

いつのまに、日常に、戻っている。

我が家の家族たちが、
そんな風に「なにもなかったように、できる」ことが、
長年、わたしにはまったく理解できないことの一つだった。

母が云うには、
それが、夫婦の長続きするコツなのだそうだ。

つまり、遠慮なくケンカして、でも後に引きずらない。





今日、ふとわかった。

「それって、究極的に、許しているってことなのだな」と。

たぶん、母は、
父の嫌なところも、ダメなところも、
怒りながらも、それはおかしいといいながらも、
究極的に、受け入れているんだなと思った。

だから、どんなにひどいケンカでも、別れとは、ならない。

姉にしろ、父にしろ、他の家族に対して、
正直に云いあってケンカするけど、
どこかで流して、受け入れてるんだとおもう。

それって、なんでもないようで、じつはすごいことだと思った。

地味で、たいしたことない、日常的な、惰性の関係のように思えても。


「許す」って、奥が深いと思った。


少女マンガ的な、桃色な愛=恋愛とはちがって、

「許す」は、ヒューマン的な愛に近い。

本当は、それこそが本当の愛、

ハレルヤ的な愛なのではないだろうか???。

よって、神の前で誓っても、良いのではないだろうか???というところまで、来た。



つまり・・・やっと、相方を許す気持ちになれた。

許せた、気が、する。




ベニシアさんが、以前、NHKの番組で、
「相手を許すことは、自分のためなのです」って語っていたのも思い出した。

ご主人が、一時期、他の女性と関係をもっていた時のことを聴かれて、
今でも家族であることについて、コメントしていた時だと思う。

そのときも「許し」という言葉が、キーワードだった。

ベニシアさんの云うことが、そのとき、わかるようで、よくわからなった。

でも、いまなら、すこしわかる気がする。


うまく説明できないけど、
人間関係、深いな~と思う。

単純に、合わないから切り捨てる、すぐバイバイ、終わってすっきりなこともある。


でも、繰り返す中で、学んだり、気づいたり、成長していく関係もある。
それはそれで、奥が深い。
熟成されていく感じ。



ハレルヤ!
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