お宮参り。「役割」と自由。さすらい。

昨日、赤ちゃんのお宮参りでした。

やっと、赤ちゃんは生後二か月。

ほんとは生後一か月でやるところを、暖かくなってから…と今時期にしました。


赤ちゃんと、わたしと相方、
うちの両親と、相方のお父さんと妹さん、姪っ子三人で、行きました。

朝から動いて、久しぶりに疲れました。

でも、みんなで集まって、よかったなと今は思う。

結構気も使ったし、準備にも気を使ったけど、
終わってみれば、
ひとつの区切り目のように感じられた。

「形式」って、
最近じゃ、かたちにこだわらなくてもよくなり、
省略されたり、簡略されたりもするけど、
やっぱり、意味があるのかな、とも思う。

形にとらわれて、心がこもらないのはナンセンスだし、意味はない。

でも、心があれば、
心をかためたり、たしかめたりするために、
形式があったり、儀式をする、約束事をするというのは、意味があるきがした。





わたしを囲む、「かたち」はどんどん、年相応になりつつある。

今までは、じぶんが育った家族だけ相手にして、「家族」をやっていればよかったものの、

これからは、相方側の家族・親族も「家族」「親族」づきあいする必要が出てくる。



知名さんがトークショーで云っていたという、「役割」ということを、実感し学習する。


娘である自分、妹である自分、孫である自分。

妻である自分、パートナーである自分。

嫁である自分、兄嫁である自分。

母である自分。

講師である自分、友達である自分。

女である自分、三十代の自分。



「役割」の自分や、制限のある自分は、増えていく。



家族といる喜びや達成感、

赤ちゃんといる喜びや満足、幸福感は、たっぷり。

役割といえど、感動はたくさんあり、気づきもある。

取り組んだだけのことが、ある。




でも、まあ、やっぱり、わたしは、ぶらぶら自由人なじぶんを感じている。

気が付けば、こころは、いつも、じぶんがしたいことで、いっぱい。

そんな瞬間は、まわりの家族やらなにやらは、すべてわすれてしまってる。

どうにかして、できないかな?

なんとかして、できないかな?

ちょっとした隙間にすべりこむように、
じぶんのしたいこと、やりたいことを、やろうとしている。




いつまでたっても、「おとな」になれてないじぶんは、どうだろう?と思う心もある。

わたしにとって、「おとな」とは、自分の両親がしてきたように、

じぶんのしたいことを、家族や子どものために、あきらめる人たちのことかもしれない。


いや、きびしく、言い換えれば、

じぶんのしたいことを、家族や子どもを言い訳に、しない人たち…ともいえるかな。




でも、ちがうんだよな~、そうじゃないんだよな~と。


すべてあきらめず、

すべて楽しめるように。

楽しみながら、挑戦したい、ちょこちょこと。

やろうとおもえば、できるはずだ。




さすらい魂。


関連記事

コメントの投稿

Secret

google広告

最新記事

検索フォーム

カテゴリ

プロフィール

Mari

Author:Mari
さすらいの文学少女・・・またの名を、夢見るファイター?。

カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

リンク

フリーエリア

CREDIT

top