罪悪感、制限から、自由になるとき。

forest

最近は会う人に、
「赤ちゃんいるのに、すごいよね~」と感心されることがある。

我が家には乳児がいる。
ちょうど八か月。
離乳食もぼちぼちと進めている。

三か月くらいまでの、三時間おきの授乳のあの辛さに比べれば、
かなり手が離れてきて、ありがたい。

小さいながらも、自己主張も始まったり、
発達が目覚ましくて、毎日見ていて飽きない。


初めての子どもだし、可愛くて仕方ない。


でも、他にやりたいこともたくさんあるので、
自分がやりたいことは、すぐ行動している。


七月には、グループ・ゆいまーるを立ち上げ、
九月には、横浜市大倉山記念館にて、
大倉山マルシェというイベントを企画・開催。

その間にホームページを作成、マルシェのブログを開設、
イベントのチラシを作成して、
チラシ設置のための営業に軽く回ったり。


自分として自然な動きだったのだけど、
人によっては、「よく動いてるね~」と映るみたい。


その反応が新鮮だったので、ちょっと考えてみた。


基本的に、〇歳児を育てているママさんは、育児にかかりきりのもの。

自分だけで外出したり、人と会ったり、遊んだり、
新しいことを始めたり、活動したり。
ましてや旅行に行くとか、ありえない(?)。

そんな世間的な刷り込みや先入観が、
世の中にはあるのかもしれない。

ちなみにわたしは、
子供が五か月になった時、一人で沖縄旅行へ行った。

一泊二日という超強行軍だったのは、
子どもを預かってもらう実家の親に、さすがに遠慮したのもある。
(その時はまだ母乳をあげていて、二日以上、家を空けるのは躊躇われた)。


たぶん、そんな風に動けるのは、
子どもの面倒をみてくれる協力的な家族と、
自由を割合ゆるす夫だったというのもあるかも。


でも、面白いことに、
私でも、「これ、やっちゃっていいの?」って思うこともある。


ときに、家で待つ家族、子ども、夫のことを思い出すと、
外で自由に動き回っている自分が、わるいような気持になる。


いわゆる「罪悪感」だ。


先日、絵本ワークショップを、初台のお友達のお家で開催して、
帰り道に代官山に立ち寄り、
とても帰りが遅くなったとき。

帰りの電車でメールしながら、
いつもより淡白な夫の反応を、気にしている自分に気づいた。


自分の時間で、自分のエネルギーを使って、
「自分の好きなことをしている」のに、罪悪感をもってしまう。


「これっておかしいんじゃない?」と、思った。
自分のことなのに、
自分自身で、じぶんの自由を認められない、もどかしさ。


この罪悪感というものは、
多くは、社会や世間の常識によって刷り込まれた、
制限でできている。


「母親は、子ども中心・子ども優先で生活すべき」
「夫を放って、妻が自由にするのは、我儘」


そんな風に、
母親の役割、妻の役割で、
自分の時間や、自分のエネルギー、自分の関心は、
子どもや夫に向けるべきなのだ…という刷り込みがある。


そう気づいてから、
「ああ、これって、手放すことなんだ~」と思った。


自分の時間、自分のエネルギーを、どう使っているか。
客観的に、ふりかえったことがあるだろうか。


役割に生きていると、忘れがちだ。
知らぬ間に、家族や他人の為、役割の為に、
自分の時間、エネルギーをすべて使っていたりする。


すこしだけでも、
自分で、自分に、
時間とエネルギーを与えてあげてもよいのだ。


「すこしだけ」でなくても、
好きなだけ、与えてもよい。


案外、「これ、やってみていいの?」と思うことをやってみたら、
できちゃったりするものだ。


それをするか、しないかは、
あとは本人の問題だったりする。


極端な例を出せば、
わたしは、いま、
夫と離れて暮らしている。

子どもを連れて、実家に戻り、生活している。
(処々の事情があるので、今後ブログのどこかで書くと思う)。


夫は、私たちが住んでいたアパートで、暮らしていて、
実家から車で10分程度の場所なので、
つかず離れず、必要なサポートだけはする。


最初、夫も抵抗があったみたいだし、
今もこの先どうするのか、客観的に考えられないようだ。

だけど、わたしは今後の関係性に対しても、
かなり合理的で型破りなアイディアをたくさん抱いている。



こういう風に暮らして、初めて、
「ああ、自分がしたいようにして、よかったな~」
と感じている。


自分に、自由を許した。
自分に、安全で快適で、平和な環境に住むことを、認めた。
自分に与えたのだと、感じている。


世間的にいえば、どう思われるか、どう映るのか、
よくわからない。


ただの我儘、好きなようにしている、
役割から逃げているように思われるだろうか。


だけど、
実感として、これが最善だったと、自分では納得。


夫の様子も、
離れて暮らすようになってからの方が、
落ち着いて、本人もマイペースを取り戻し、
リラックスしているようにみえる。


とはいえ、
極端な例なので、
別居を推進するつもりはないので、あしからず。

※罪悪感を感じることをしてみる=倫理観を捨てる、ではない。

こうなるまで、
わたしも、どれほどの紆余曲折があったかは、また別の機会に書こうと思う。



わたしが伝えたいのは、
「これ、やっていいのかな?」
をやってみると、
案外、すーっと楽になるということ。

拍子抜けするくらい。

そして、じぶんが本当は、どんな状態が心地よいのか、
じぶんらしいかを、思い出すことができる。


先入観でもなく、制限でもなく、世間の常識でもなく、
じぶんの心地よさ、平和を、選ぶ。

自由ってそういうことなんだ。

やりたいように、やればいいんだと思う。

誰に遠慮することなく。

ぜんぶ責任はじぶんがとるんだから。
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