きのうは、友達のYちゃんのお家へ。
Yちゃんの妹さんの、Mちゃんも一緒にお会いした。
Mちゃんの赤ちゃん(6か月)も来ていて、
とってもかわいくて、むにゅむにゅしちゃった。
家にも、赤ちゃんが二人いて、
二か月の子と、八か月の子と、
毎日みているはずなのに、いくら赤ちゃんみても、飽きない。
手作りの、おいしい豆乳スープパスタと、ロールキャベツをいただいて、
心もお腹も満腹なひととき。
のほほんタイム。
おもしろいんだけど、
最近、人から「受け取る」ってことが、
やっと「あ、これ?」ってわかってきた気がする。
いままでだって、受け取ってきたんだとおもう。
だけど、
わたし、自分のことは自分で・・・という自我が強かったのか、
がんこだったのか、
たぶん、素直に受け取れてなかったんだろうな~と感じる。
素直でいることが、
「受けとる」には、必要なことなんだと思った。
三人で、女神のオラクルカードを引いたとき、
私の「未来」にでてきたカード。
ここのところ、また、気づいたことの一つ。
わたしにとって、温かさ、安らぎ、親密さを感じられるというのは、
とても大事。
そういう人間関係や環境。
まだうまくつかめていないけど、
イメージで行けば、
『赤毛のアン』や、『大草原の小さな家』の、世界観や空気感に近い。
当たり前すぎて、
これまでずっと気づけなかったけど、
わたしは、とっても守られているな~と感じることがある。
善良なものに、囲まれて。
わたしの世界には、
正直、
「悪人」があまりいなかった。
そりゃ、
家族や、友達の間でも、
でこぼこしているし、
苦労だってあるし、
ケンカや衝突、すれちがいだってある。
でも、基本的にみな、
根はいい人で、善良なひとがおおい。
そして、みんな、
その善良さが、親切さが、
「あたりまえ」だったりする。
その「あたりまえ」が、
とても難しいのだと、最近経験から学んだ。
空気のように吸っていた、
その優しさなり、温かさなり、思いやりなり・・・
わたしの世界のものなんだけど、
それってとても貴重だったのだ。
そういうものが、分かち合えない場合だって、あると知った。
感覚として「よいもの」だと知っていて、
受けとりたい・なりたいと思っていても、
そうなれない人もいるってこと。
知名藤枝さんに、
「あなたは、たとえるなら、京都御所みたいになってる」
って、云われて、
そのたとえが、妙で、じぶんのなかでずーっと印象深く残っていたのだけど。
なんか、こういうことなのかな、って思った。
じつは、以前、夢で、
きれいな神社の境内、
朱塗りの柱のある、白い塀に囲まれた場所で、
かみさまとお話ししている夢をみたことがある。
じぶんにとっては、すごく特別な夢だったのだけど、
知名さんにそう言われて、
その夢を思い出していた。
私の周りの人をぐるり見渡すと、
個性的でユニークではあるけど、
善良で、
なんだかきれいなひとがおおい。
地味とか、派手とか、関係ない。
見た目ってことでもない。
その「きれい」は、
なんつーか、
純粋ってこと。
ピュア。
どろどろしてても、
どろどろレベルは、大したことない。
成長や学び、気づきのために必要な、どろどろってかんじ。
わたしは、これまで、
じぶんとまったく違うもの、
相反するもの、
知らないもの、
未知なものに惹かれる習性があった。
じぶんとかけ離れているものが、新鮮で、
目から鱗ばかりで、
じぶんと違う価値観、方法、世界に、魅了されていた。
でも、それは外を知って、じぶんを知るための経験だったんだね。
所詮、わたしは、わたし。
わたし以外の何物にも、なれない。
染められなかった。
その経験をぐるっと廻ってきて、
いま、やっと、
じぶんというものの、属する世界を、少しずつ外から見直しているような感覚。
- 関連記事
-