昨日は、
ベビースイミング初体験でした。
五組のママさんと赤ちゃんが、参加。
うちの子だけ、最初のシャワーから、途中、最後まで、
よく泣いてました。
ときどき、泣かないときもあったけど、
基本、緊張してたみたいだった。
他の子は、11か月の子~1才数か月くらいで、
リラックスして、楽しそうだった。
うちの子だけ、いつまでも警戒を解かないので、
先生たちが気を使ってくれて、
よくフォローしてくれたけど。
先生に、
「ママが、赤ちゃんが泣いてても、落ち着いてたのは、とっても良かった。
ママも動揺すると、赤ちゃんも余計に落ち着かないことが多いから」
と褒められた。
ありがたくそのお言葉を頂戴しましたが、
つうか、
赤ちゃんが泣くくらいじゃ、動じません(笑)と、内心笑った。
水好きで、
水に入りたかったのは、ママであり、
うちの子は、あんまり水好きじゃないかもな~と冷静に思った。
うちの子、お風呂でもシャワー怖がっているし、
慣れるまで、時間かかったもんね。
お風呂嫌い、水嫌いは、パパに似たかも。

親が、子どもに習い事をさせるときの動機として、
苦手克服型と、
得意を伸ばす型がある。
ほんとうにほんとうに、
初めて、子ども中心のイベントに参加したわけだけど。
わたしの教育の方向性としては、、
苦手克服型じゃなく、
得意を伸ばす型だわ~と再確認した。
まだ小さいのに、無理して、プールに入らせることない。
好きそうな子ならいいけど。
もうちょっと大きくなってから、あらためて、やってもいいわけだし。
苦手を克服すること、
できないことを、出来ることに変えていくことで、
その子の世界が広がる・・・という考えもある。
だから、まんべんなく、なんでも、できるように・・・と。
でも、どうだろう。
全部が全部、できなくたって、いいんじゃないかな。
必死になって、苦手なことを克服したとしても、
理屈抜きに大好きだったことには、かなわない気がする。
大雑把かもしれないけど、
わたしは、得意を伸ばす型で、やっていこうと思った。
あと、もう一つ気づいたんだけど、
わたしは、
子どもを理由に、なにかするって、タイプじゃないな。
純粋に子どもが習い事するならいいけど、
ママが一緒にとか、
ママがサポートとか、なんか、向いてないって感じがした。
たとえば、ベビーヨガとか、ママとキッズでフラダンスとか。
ママとキッズの英会話とか。
今回のベビースイミングにしろ。
子どもが主役で、習い事をしたいといえば、
必要なことはするけれども、
ママと子どもで一緒に・・・・ってのが、どうも。
それはそれで輝いていて、とっても素敵なママもいるし、
素敵だな~って感じるのだけど。
私の場合、
子どもを介在させなくても、興味や好奇心、趣味、好みがあるので、
なんか、子どものレベルに一緒に降りて、
わざわざ何かしなくてもいい気が・・・。
興味がすっとんでるので、
ママっぽさがないし、
でも、子どもと一緒にいれば、ママにみえるだろうけど。
友達のKちゃんも、
産業カウンセラーの講習会で、
他人からみえる私というので、いろいろクラスメイトに書いてもらったら、
「子どもが二人もいるようにみえない!驚き!」
と書かれ、ショックを受けていた。
Kちゃんも、じぶんの興味がうんうんうなっていて、
やりたいことが沢山ある人なので、
いわゆる「ママ」オーラや、空気感が、薄いのかもしれない。
思ったんだが、
それで、良いのだと思う。
私の周囲には、そんな人、多い。
もちろん、立派な、良妻賢母なママさんもいるけれども。
家族のこともやりつつ、
自分の興味や関心をもって、動いているママも、
よりパワフルだし、
その人らしさを発揮している気がする。
自分だけのオリジナルの生き方を、みんなが求めていく時代なんだろうな。
先日、たまたま、GYAOの無料動画でやっていた、
ドキュメンタリー映画『ファッションが教えてくれること』
をみた。
アメリカのファッション雑誌「ヴォーグ」の、名編集長アナ・ウィンターを追った、ドキュメンタリー。
これみて、
自分のセンスで生きることが、大切だと、あらためて思った。
アナ・ウィンターは、とても厳しい、鋭い人だけど、
それは厳格に、仕事に徹して、生きているからなのだ。
スタイリストの、グレイス・コディントンのたたずまいや仕事も、とてもチャーミングで、
センスにあふれて、すてきだった。
センスって、なんとな~くで生きているけど、
より丁寧にやっていくと、
数ミリの違いの積み重ねが、
数十センチ、
いずれは数メートルくらいの差になってしまうんだなと思った。
じぶんの作りたいもの、目指したいものがあるなら、
そうなるように、
小さなレベルから、丁寧に積み重ねていくことも、大切だと思った。
あと、一つ思ったのは、
ファッションは、ただのファッションに過ぎないかもしれないけど、
その背景に、
文化や歴史、精神性やメッセージを、
その意味を、
いかに読めるか、感じられるかで、
全然、質が、変わってしまうということ。
グレイスは、それも理解して、
服を組み合わせ、舞台を選び、写真の世界観を作っていた。
ファッションになにか力が宿るとしたら、
やはり、人のセンスと技術、想い、アイディア、エネルギーが集まった、
結晶物としての何かがあるからかな、と。
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