新月のパワーと、気づき。マニアックな喜び。

新月パワーすごかった~。

わりと、出来事が前倒しに起こってくるタイプなので、

「あー、あー、これね」っていう、

ど真ん中なことも起こり、

感情や反応のパターンを実感しながら、

「あ、これ、ここはもう、やめていーやつだ。
捨てよ」

って、切り離せた。


で、冷静になって、静かに見てみたら、

ほぼ九割方は、上々の出来のことばかりなのである。



なのに、自分の極端な感じ方、考え方の癖で、

「悪く」「劣っている」「だめなよう」

に見えているだけだった。




人に無意味と思われ、無理解に扱われているかも、という不安は、

自分自身が、自分のやっている仕事や働きに、真に無理解、認めていないからなんだ、と言う気づき。

今回もまた、
仕事のなやみは
仕事の結果が、
解決してくれた。

だって、私が何をしてても、
どんな努力をしても、普通にしてもも、
茶々入れる人はいるし、よく分かっていない人は勝手に言いたいこと言うだろう。

でも、実際に、
私のやっている取り組みは、
こんなに実っている、
こんなに形になっているじゃん!!!
たった一ヶ月~二ヶ月で!!!、
という、仕上がりが、今手元にある。

結果を、子どもたちから受け取った。

他の誰でもない、子どもたちの取り組みから、受け取った。

しっかり道を作り、
丁寧に指導すれば、すぐに形に出てくる、
若者の柔軟さと、素晴らしさ。

価値観によって、
そんなことやらせても、意味ねーとか、
もっとちがうことやれとか、

大人も、子どもも、好き放題いうけど、

それはその人を価値観であり、その人の問題。

私は私の価値観で、
長いスパンで、身になること、役に立つことを教えている。

短期のスパンで、即利益につながることばかりがしたいなら、
それはそれで、そういう所へ行き、
やればいいだろう。
その人たちが、それをしてあげればいいだけだろう。






今回の「問題」に対峙したことで、

自分の弱さ(ゆらぎ、自信のなさ、ブレ、劣等感、罪悪感、孤立感)と、

でも、じつは、私をちゃんと認めてる人もいるという絆、
他者からの支持や応援なども、
受け取れた。
これも大きかった。

誰が見てても、見ていなくても、
最善を尽くすことは同じなのだが

たまに、周りから、きちんとした評価が返ってくると、

やってて、よかったな~としみじみ思うよね。

お金に見合わないことしているかもしれないが、
魂の貯金だと思って、仕事している。

この子たちのなかで、こんな小さな経験も、
いつか必要になったときに、
パッと取り出せるような、貴重な学びになったらいいな。


しみじみ思うのは、

人間、真剣勝負、本気になったとき、
がぜん文章は変わるし、かちっと決まるものを書いてくるってこと。

その本気さに、人は感動するし、◎をつけたくなる。

文章には、出ますね。

パッと読んで、パッとわかる。

私は量をだいぶこなしているから、

自動筆記の逆バージョンで、

読めば、たいていの文章は、自動添削みたいな感じで、わかる、レベルが。



そういう小さな、
やってる私にしかわからないよな喜び、
すごくマニアックな感動。
これがご褒美でしょうね。


あー、いつか、もっともっと、広げて、
ライブな楽しい、
毎回ワークショップみたいな、クラスを開きたい。

自分が院生のとき、もっともエキサイティングだったゼミの、
あの感動やリアル感、生きてる感が、ベースになって、
あれを自分でもちたいという夢も、あることに、気づいた。

真剣勝負。

楽しいね。

久しぶりに長くつぶやく。Teenagedream。恋の話。

忙しさMaxが、峠をこえて、

なーんだ、わたし、
「どうしよう、どうしよう」って、

自分のなかで「できないかも」って自信がなくて、
ぐらぐらして不安になっていただけで、

ただ、自分の不安が、ストレスを発生させていたのね、という気づき。

「できないではなく、ただ、やる」

「Just Do IT なのだ」

と、見切ってから、
ちょっと楽になり、

適度に手抜きや妥協もして(まだまだ過密ではあるが)、

すこし膠着が緩和された。

体はすこし、不具合が出ているから、ケアしなきゃ~。



「ただ、やるのだ」

と思うと、

とりあえず、できるように計算し、設計し、動いていくから、

人間ってすごいよね。


ゆらゆら揺れるのって、
人のせいではなく、

おそらく、自分の自信の無さ、劣等感、自己否定、自己卑下、苦手意識から発生しているものであり、

自分の個性を否定してみたりして、

理解されないかもって、疑心暗鬼になって、なにか気に入られるように、合わせようとしたり。

その相手みたいに、したら、気に入られるかなって、顔色をうかがって。

ああ、でも、
結局、自分の最善は、自分の個性を発揮したところにあるので、

変わろうとして、別の物になろうとしても、かえって、中途半端な変な状態、力が発揮できない。


で、結局、
わたしが自分らしくやる形が、
ユニークで、たぶん、他の人にはできない方法かもしれない、って今日は思った。

人のまねしたり、何かの型にはまっても、

それは、私が求められているものではなくて、

私だからできることを、ただ、子どもたちのためにやっていくことが、最善。



子どもたちに教えられることは、たくさん。

夢見る心は、どこまでも、制限はなく、

一歩間違えれば、空想は妄想だけど、

まだ枠にはまっていない、心は自由だと信じている純粋さに、

どこか共鳴する、わたしのこころ。



人のこころは、自由なのだそうだ。



そして、話していく中で、

わたしは、わたしだな~、わたしのままでいいのだって、感じ、

確かめ、

愛を受け取っている、今日この頃。

わたしには、わたしにできることのなかで、愛がある。


仕事でも、心の交流、人間関係でも、

わたしには、ただ、そこにいるだけでも、十分な働きがある。

きっとそれは、みんな、ただそこにいるだけで、十分だというあれと同じ。



達観しすぎてきて

まじめすぎる、自分が、ただ別次元の喜びで満足できてしまう今日この頃。

迷うってことは、結局、どちらも同じ、
どちらでもいいということなのだと、
わたしの底のほうから聞こえてきたので、

流れに身を任せて、

心の底から、いつしか本気の声が響いたなら、

腹は決まって、動き出すのだろうな。


この頃、恋の好みが、変わってきた気がする。

正直、なにが、好きなのか、自分の好みがよくわからない。

いいな~って思っても、
相手からは好かれないなど、
同じ失敗を繰り返したくない、っていうパターンに縛られている自分も感じる。

自分を大切にする感覚を思い出すと、
わたしを大切にしてくれているなあという実感を与えてくれる人が、
相手としては一番いいのかな、と思ったりする。

でも、それは自分が、相手を好きだ、惹かれるという気持ちと、はたして重なるのかどうか。




たぶん、本当は、好きな気持ちは一分の狂いもなく、
すべて、一つ一つがもう決まっているはず。

自分は、自分の気持ちを、知ってるんだよね。本当はね。

この人に感じる思いと、あの人に感じる思い、その人に感じる思いと、
何一つ同じ事は無い。
だって、相手がちがうんだから。

共通するのは、ただ、自分ってこと。

自分の頭で考えるから、別のものをみたり、別の現実を引き寄せてガッカリ失望するだけで。

それでいて、好きになってもらおうとする努力ってのは、
恋は人を磨きはするけれども、
ある程度までであって、
もうちがうだろうって、いう、学びからきた気づきもあって。

・・・いま、一番好きなのは、自分自身かもしれない。

いろんな人との関係性の編み目の中で、
他者を通して自分をみつめたとき、
うまく循環しているな~という感動を味わったときの、「自分」が。


「私を好きになって!!!」
「私の方をみて!!」

は、もう、そろそろ、いい加減飽きてきて、

無理なく好きなことをしてて、心地よくて、
その中で共にいられる人たちと、
共に笑いたい、幸せになりたいとおもう、今日この頃。

五月になりまして。

ケアレスミスが、頻発。

おかしいわ~。

「こわれた人間みたい」って、我ながら苦笑い。

千と千尋の神かくしの、
おくされがみさま、みたいになっていたら、いやだな~。

まあ、おくされさまよりは、ずっと私は小物で、
ただ、
凡ミスが多発しているってだけだろうが。

いずれも、
大事には至らないミスなので、よかったわ~。


とにかく、もの忘れが多い。

たとえば、ネットで予約したつもりが、ぽちっと最後のボタンを押してなかったりする。

あと、予定が立て込みすぎてて、思い出せなかったり。
(ま、手帳でまめに管理しろよってことだろうが)。

こんな、だめ?なじぶんを、
とほほ~と笑いながら

「まあ、詰めすぎなんだよね」って、単純に思ったりするんだよね。

どうして、これが動いているのか、
諸事を回せているのが、ふしぎなくらいに、ある意味で。

時間に追われず、
予定も未定で、
お金も関係なくって、
誰にも支配されずに、あくせく働かずに、
のんびりほっこり、田舎暮らし…
とか、
そういうのが、スピな人の暮らし?や、
スピ好きの人の暮らし??とか、以前は、思っていたのかもしれない。

けれども、

最近思うに、
エネルギーの大きな人は、
そんなことにすら固定観念であり、
縛られない。

枠外なのだろうな、と。

お役目が増えてくると、
求められるから、あちゃこちゃ動くし、
どんどん、新しいものも入ってくるし、
自分自身も、向上する気持ちが強いし、

ただ、取捨選択しなければ、いけないっていう必要性。

忙しいこと、
立ち働いていることが、たいして、苦ではない。

スケジュールを過密にして、
自分のなかの空虚を埋めている感じもなく、

ただ、そうだから、そうなっているって感じで。

充実感、やりがいもありつつ。

でも、やっぱり、心身のメンテやケアは意識的に必要だね~。

無駄や無理を、
手放し、省略していく、ことの、必要性も実感。

自分の弱さ、かわいらしさ、もそうして、受容。

エンパス。人のはなし。無駄なこと。

数週間前だろうか、

ちなさんのブログで、
モール症候群という単語を読み、
そのまま検索して、
「エンパス」についての記事にたどり着き、本を試しに買ってみた。

「エンパス」の著者の、来日ワークショップに、
その頃、全然、知識がなかった5,6年前に、
偶然、人のつきあいで参加していたことも、今更になって知り、驚く。

エンパスエンパスって、
なんだか、それで言い訳みたいって思ってた。

なんとなく知っているけど、
なんとなく近づかないで、深く知ろうとしないで、通り過ぎていた。

今のタイミングで、
客観的に内容にふれてみたら、
あらまあ、わたしは、これでしょうね、って感じの内容ばかりだった。

具体的な対応策、暮らし方、方法論のヒントも、載っており、
役立つかも?!。

人は好きだし、人の集まりも好きなのだが、

ちょっと「人あたり」みたいに、
食中毒症状をおこし、

けっこう、疲れたり、ひきずる、重くなることも多い。


そのもやもやを分析するのが、
大体わたしの、翌日~数日間の内省、メンテナンスタイム。


その、取り扱い方も、
ほんと、そのときそのときで、その質もかなり変わっていくよね。

わたしも、成長してきたって事かな。

わたしは、なんだかんだで、
自分がやっぱり、スパンと、単純な理想主義なので、
そして感覚もそれで生きているので、

「どろどろ」が、あまり理解できないのかもしれない、本当の意味で。

人のことは、どうでもいいから、
結局、いまのじぶんは、どうなの?!って思うのだ。

良い・悪い、
言ってたら、きりないよ。

本当に、大切なこと、
最善を尽くすために意識を集中することが、
できなくなるよ。

無駄なエネルギーを、どうでもいい人のために、消耗するのは。

いくら、「被害者」だとしても、
それをぐちぐち言い続けていたら、その人たちと同じエネルギーを発しているよね、ほぼ。

そういう次元で、同じ土俵の相撲をとるのではなく、

ただ、自分が自分らしく輝き、超ハッピーになることだけが、

本当の意味での「勝利」だと思うのです。

勝ち負け幻想、勝ち負け原則で生きている人に、説明するとしたら、
これがわかりやすい説明。



って、わたしは、自分の時間を、自分軸のほうへ向けていったら、

やっぱり、見ている方向性が全然違うので、スッキリ。


わたしは、わたしの感じていることを、信じる。

他人の感じていること、思っていることも、尊重しつつ。



でも、まあ、
重い、軽い、エネルギーはあるんので、

わたしも、
会った後に重くなるような場合は、極力、引き気味で関わろうかなと。

だって、使うエネルギーの場所、相手は、
たくさんあるから、

すこしでも、「無駄」は、だんだん、できなくって、
ほんと、無駄だし、全体がまわらなくなる。


一年一年、同じ事は無くって、
シフトチェンジ、
切り返しながら、
目の前のことに全うする。



根っからの

大学生のころ、
ドストエフスキーの代表作を読んでいた。

その中でも、

『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャが、

とても心に入ってくるキャラクターで、

献身的に人に尽くし、子どもらに囲まれている場面などが、妙にリアルに心に残り続けている。

周囲に時代遅れとばかにされながらも、
若い修道僧として、真理を問い続け、
なおかつ、目の前の人たちの生に、寄り添い続ける。

そんなアリョーシャの人物。

遠藤周作がよく描く、
人の善い、ばかにされやすい、純粋な若者たちのような。


今日は偶然、
BSをつけていたら、映画『パッチアダムス』がやっているのをみて、

また何か心のなかで響き渡るような感覚を覚えた。


映画『ブラザーサン・シスタームーン』を見たときにおぼえた、感覚に似ていた。


わたしがやりたいことは、こりずに、
理想主義だな~と思う。

でも、自分とかけ離れた、夢の自分になりたくてそう思っているのではなく、

ただ、こころから感動したいから、
そう本心でおもって、動いているだけなので、
偽善ではないのだ。

もう根っからの、
生まれた後の生育過程で、だれになにか刷り込まれた価値でもなく、

もう生き癖としか言いようのない、
生まれながらにインプットされている何か、みたいな。



人間的である。

人間らしさ。

そういったものと、かけ離れた生き方はできない。

いつでも、自分は、人間らしく、人とかかわりたいと思う。



技術的な面での向上もあるが、

人間として、がないと。


求められる範囲ということもあるけれども、

別の軸で、
自分が満足できるものを、求めてしまう。

別のものが、見えかけている。

すこし、おもしろい、
そして、すこしまた本気をだしていこうという感じの。



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